ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

契約の箱とイエス・キリスト

 

 モーセは、神に命じられて、純金でかぶせたあかしの箱を作りました。純金で「贖いのふた」を作りました。槌で打って作った二つの金のケルビム(守護する御使い)を「贖いのふた」の両端に作りました。

 

 主は、荒野を行くイスラエルを養われました。朝になると露が降り、その露が上がると、地には白い霜のような細かいものがありました。それは、主がイスラエルに食物として与えてくださったパンでした。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようでした。イスラエルの家は、それを「マナ」と名づけました。

 

 主は、イスラエルに命じて言われました。「各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、天幕にいる者のために、それを取れ。」(出エジプト16:16)

 

 朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集め、日が高くなると、それは溶けました。朝まで残して置く者のマナは虫がわき、悪臭を放ちました。毎日その日の分を集めなければなりません。

 

 主は、イスラエルに安息日を定められました。六日の間はそれを集めることができますが、安息の七日目には、それを見つけることができません。それゆえ、六日目には、主はイスラエルに二日分のマナを降らせられ、民は二日分のマナを集めなければなりません。

 民は、六日目に安息日の分との二日分のマナを集め、七日目にはそれぞれ自分の場所に留まって安息しなければなりません。

 

 主は、モーセに命じられました。

 「それ(マナ)を一オメルたっぷり、あなたがたの子孫のために保存せよ。わたし(主)があなたがた(イスラエル)をエジプトの地から連れ出したとき、荒野であなたがたに食べさせたパン(マナ)を彼ら(イスラエルの子孫)が見ることができるために。」(出エジプト16:32)

 そこでアロンはそれを保存するために、金の壺にマナを一オメルたっぷりその中に入れ、あかしの箱の前に置いた。

 

 主は、金の壺の中に入れたマナを、のちのイスラエルの子孫のためのしるしとし、先祖がイスラエルの神によってエジプトから連れ出されたことは事実であるとされました。そして、イスラエルは、生けるまことの神御自身が養い生かされる神の民であることの証とされました。また、マナの記憶によって、安息日は、神がイスラエルに定めたものであることを明確にされました。

 

 レビ人のコラはルベン族のダタンやアビラムなどと共謀して名のある者たち二百五十人のイスラエル人とともに集まり、モーセとアロンに逆らい、「あなたがたは分を越えている。全会衆(イスラエルのすべて)残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがた(モーセとアロン)は、主の集会に立つのか。」(民数記16:3)と言いました。

 

 モーセはコラに言いました。

 「レビの子たちよ。よく聞きなさい。

 イスラエルの神が、あなたがた(レビ族)を、イスラエルの会衆から分けて、主の幕屋の奉仕をするために、また会衆の前に立って彼ら(イスラエル)に仕えるために、みもとに近づけてくださったのだ。あなたがたには、これに不足があるのか。

 こうしてあなたとあなたの同族であるレビ族全部を、あなた(コラ)といっしょに近づけてくださったのだ。それなのに、祭司の職まで要求するのか。

 それだから、あなたとあなたの仲間のすべては、一つになって主に逆らっているのだ。アロンが何だからといって、彼に対して不平を言うのか。」(民数記16:8-11)

 

 神が地の口を開けられたので、逆らうコラとダタンとアビラムと彼らに属するすべての者は、生きながら、陰府に下り、地は彼らを包んでしまい、彼らは集会の中から滅び去りました。

 また、主のところから火が出て、香をささげた二百五十人を焼き尽くしました。主が彼らのささげる香を聖と認められなかったからです。主の前から激しい怒りが出て来て、神罰は民のうちにも始まり、アロンが集会の真中に走って行って、香を焚いて民の贖いをすると、神罰はやみました。この神罰で死んだ者は、一万四千七百人になりました。

 

 「主はモーセに告げて仰せられた。

 『イスラエル人に告げて、彼らから、杖を、父の家ごとに一本ずつ、彼らの父祖の家のすべての族長から十二本の杖を取れ。その杖におのおのの名を書き記さなければならない。

 レビの杖には(レビではなく)アロンの名を書かなければならない。彼らの父祖の家のかしらにそれぞれ一本の杖とするから。(ヤコブの十二人の息子の名を書き、レビの杖にはアロンと書くように。)

 あなた(モーセ)はそれら(名前が書き記された十二本の杖)を、会見の天幕の中のわたし(神)がそこであなたがた(イスラエル)に会うあかしの箱の前に置け。

 わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてイスラエル人があなたがた(モーセとアロン)に向かってつぶやく不平をわたし自身が静めよう。」(民数記17:1-5)

 

 モーセはそれらの杖を、あかしの天幕の中の主(あかしの箱)の前に置きました。

 「その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ、レビの家のためのアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。

 モーセがその杖をみな、主の前から、すべてのイスラエル人のところに持って来たので、彼らは見分けて、おのおの自分の杖を取った。

 主はモーセに言われた。『アロンの杖をあかしの箱の前に戻して、逆らう者どもへの戒めのため、しるしとせよ。彼ら(イスラエル人)のわたし(神)に対する不平を全くなくして、彼らが死ぬことのないように。』

 モーセはそうして。主の命じられたとおりにした。」(民数記17:8-11)

 

 イスラエル十二部族の中から、イスラエルの神がレビ族を選び、会衆の前に立ってイスラエルに仕えるものとして聖別されました。

 ほかの部族の杖は木のままであったのが、アロンの杖は、なんと一晩でアーモンドの実を結び実のついた木とされたのでした。

 神は、御自身の主権をもってアロンを祭司とし、レビ族を主の幕屋の奉仕をする部族とされたのでした。このことに不平を漏らす者は死に値します。神の御主権はイスラエルの上にあり、アロンの上に権威を置かれたからです。

 

 神がモーセに命じて作らせたあかしの箱に、マナを入れた金の壺と、アーモンドの実を結んだアロンの杖と、モーセがシナイ山で受けた十戒の書かれた二枚の石の板が入れらました。

 石の板は、イスラエル人たちの「私たち(イスラエル)は主が仰せられたことを、みな行ないます。」(出エジプト19:8)との誓いによって、神と契約を結んだあとで、神が神の民として守るべき掟を、御自分の指で神が書かれたものでした。

 

 石の二枚の板と金の壺とアロンの杖の入ったあかしの箱は、神が神の民と契約を結んだ「契約の箱」です。

 神の戒めと安息日を守り、神の御主権にへりくだり神のことばに聞き従う神の民としての、主の契約の箱です。

 全世界で、神が契約の民として選ばれた唯一の民族である、イスラエルの神のしるしです。

 

 あかしの箱は、神の箱、主の箱とも呼ばれる、契約の箱であり、イスラエルの神は、この契約の箱とともにおられました。契約の箱は、至聖所に納められました。民の罪の贖いのために、アロンの系図の大祭司が年に一度だけ至聖所に入って行きます。贖いのふたのケルビムとケルビムの間から、神は語りかけられます。

 

 契約の箱は、失われました。しかし、イスラエル(ユダヤ民族)の契約は失われません。契約の箱は、神がイスラエルに備えられた新しい契約のひな型でした。

 新しい契約はいのちの契約です。石の板やマナやアロンの杖のような、目に見える物質的なものではありません。神は、神のひとり子を肉体の中に入れて、イスラエルに遣わし、神のことばを与え、神のことばによって生かし、神と人との仲介者とされるのです。

 

 レビ族の祭司は廃止され、神の御子キリストがとこしえの祭司となられます。

 律法を廃止され、生かす御霊を与えて、心に神の国の律法を書き記されます。そして、肉の割礼ではなく、御霊による心の割礼によって、契約のしるしとされます。

 マナのようになくなる食物ではなくて、永遠のいのちに至る食物(霊の食べ物、神の御子イエスのことば)を与えられます。

 

 ケルビムが守った契約の箱の贖いの蓋は、神のひとり子イエス・キリストの贖いの血であり、罪の贖いの神の子羊イエスの血は、新しい契約をおおいます。

 キリストの血は、悪魔に勝利した力ある血です。闇を破り、死人を甦らせ、光の子とする力ある血です。悪魔は、キリストの血のうちにある者に手出しすることができません。神の御使いが守ります。

 

 神は、キリストの血の覆いの中に入った者に生かす御霊を授け、イエス・キリストの御名によって神に祈る祈りを与えられて、肉を殺し、霊にて生きる者に新しく造り変えてくださいます。

 

 イエス・キリストの御霊によって、私たちは神が臨在される契約の箱のような存在になります。

 肉の割礼の民だけでなく、無割礼の異邦人にも、この恵みは及びます。契約の無かった、イスラエルの外にいたほかの民族の人々も、神の小羊イエス・キリストの血の恵みと信仰によって、御霊を宿す聖霊の宮、神の神殿とされるのです。神は、御霊が宿る聖霊の器のうちに住まわれ、神の臨在を置かれます。

 

 モーセが作った契約の箱は失われました。しかし、イスラエルの契約は失われていません。

 神は、新しい契約をイスラエルに与えられました。神が、イスラエルに、神と人との仲介者である神のひとり子イエス・キリストを遣わされたので、永遠のいのちの契約が始まりました。

 

 神は、人々にイエス・キリストを信じる信仰を与えて生ける神との交わりの中に入れてくださいました。レビ族でない者も、イスラエルでなかった者も、神の御子イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊の生贄(賛美の生贄、すなわち御名をたたえるくちびるの果実)をささげる聖なる祭司とされました。

 私たちは、神の憐れみを受けて、イエス・キリストの御名によって、大胆に生けるまことの神に近づくことが許されたのです。

 

 「ですから、私たちは、憐れみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(へブル4:16)

 

 契約の箱は、神とイスラエル民族との契約です。

 神のひとり子イエス・キリストは、アブラハムの契約の成就であり、イスラエル民族の契約の実現であり、神と人との契約なのです。