ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

信仰によるアブラハムの子孫

 

 「あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。

 あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行なわれた方は、あなたがたが律法を行なったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。

 アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。

 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、『あなたによってすべての国民が祝福される。』と前もって福音を告げたのです。

 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。」(ガラテヤ3:2,5-9)

 

 ウルの地からカランに移住したテラの息子アブラムは、神のお告げを受けました。

 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:1-3)

 

 アブラムは神のことばに従い、家長の父テラを離れ、神を家長としました。そして、七十五歳のアブラムは、不妊の妻サライとともに、神のお告げに従ってカナンに入りました。

 

 神は、カナンの地で、アブラムに仰せられました。

 「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。

 わたしは、あなたの子孫を地の塵のようにならせる。もし人が地の塵を数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。

 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」(創世記13:14-17)

 

 所有する土地の約束と子孫の祝福の約束を受けても、子どものいないアブラムは、この約束と祝福を受け継ぐのは誰なのか、アブラムの家の奴隷が跡取りになるのではないのかと不安になりました。

 

 神はアブラムを外に連れ出して仰せられました。

 「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」「あなたの子孫はこのようになる。」

 アブラムは神のことばを信じ、主を信じました。主はそれを彼の義と認められました。(創世記15:5,6)

 

 アブラムは神のことばを信じ、「我が主」として神を信じました。アブラムは、信仰によって神と結ばれ、神の契約を受ける者となったのです。

 神はアブラムの信仰をご覧になって、アブラムの義とされました。アブラムが神を信じて父の家を離れ、神の示されたカナンの地に入ったことで義とされたのではありません。アブラムの行ないによってではなく、神のことばを信じるアブラムの信仰によって、神は彼の義とされたのです。

 

 子を宿したことのない不妊の妻サライは、自分が子どもを身ごもるとは思えませんでした。サライの女奴隷ハガルをアブラムに与え、ハガルによって子どもの母になろうと策を考えました。

 アブラムは、妻サライの言うことを聞き入れ、妻の女奴隷ハガルの子イシュマエルを得たのでした。

 妻サライの不信仰が信仰の義人アブラムを迷わせ、アブラムに神の約束の子ではない子どもを肉の欲求によって得させたのです。

 

 「イシュマエル(主は聞かれる)」は、神が名づけられた名前です。(創世記16:11)神は、「その子は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。」(創世記16:12)と告げられました。

 肉の子は、信仰による子ではありません。肉の子は、信仰による子に逆らい、信仰の子らを敵意をもって追い散らし迫害するのです。

 肉の子は、アブラムの信仰によってアブラムが得た神の契約と祝福を受け継ぐ子ではありません。アブラムの契約と祝福は、信仰によって生まれた子、閉経した不妊の妻サラの産んだイサクに受け継がれるべきなのです。

 

 神は、アブラムが九十九歳になったとき、約束と祝福を与えたアブラムに仰せられました。このとき、サライは子どものないまま、閉経していました。

 「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。

 あなたの名は、もう、『アブラム』と呼んではならない。あなたの名は『アブラハム』となる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。

 わたしは、あなたの子孫をおびただしく増やし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。

 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。

 わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」(創世記17:4-8)

 

 そして、神は、契約のしるしとして、アブラハムに「すべての男子は割礼を受けなさい。」と命じられ、神の契約を受ける者に割礼を定められました。

 アブラハムが包皮の肉を切り捨てられたときは、九十九歳、女奴隷の子イシュマエルが包皮を切り捨てられたときは、十三歳でした。

 

 アブラハムとアブラハムの家族、彼らのうちにいる者すべての男子は割礼を受けて、神の契約は結ばれました。

 

 神は、契約が結ばれたアブラハムに仰せられました。

 「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。

 わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」(創世記17:15,16)

 

 神は、割礼の契約を結んだアブラハム(国民の高貴な父)に、妻の名をサラ(国民の母である王女)とするように、と仰せられました。そして、神は、妻サラによって、神が「あなたの子孫」とお呼びになった「ひとりの男の子」を与えると、アブラハムに仰せられました。

 

 ひれ伏したアブラハムは心の中で、「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」と笑いました。

 女奴隷の息子イシュマエルの父であるアブラハムは、イシュマエルが跡継ぎだと思っていました。

 

 神は仰せられました。

 「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしはイサクとわたしの契約を立て、それをイサクの後の子孫のために永遠の契約とする。

 イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れ、確かに、わたしは彼を祝福し、イシュマエルの子孫を増やし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしはイシュマエルを大いなる国民としよう。

 しかしわたしは、来年の今頃サラがあなたに産むイサクと、わたしの契約を立てる。」(創世記17:19-21)

 

 サラは閉経していました。サラは心の中で「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」と言って笑いました。(私は本当に子を産めるだろうか。こんな年寄りなのに。)と思ったのです。

 

 「主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、アブラハムに男の子を産んだ。

 アブラハムは、サラが自分に産んだ子を『イサク(彼は笑う)』と名づけた。」(創世記20:1,ー3)

 

 そしてアブラハムは、神が彼に命じられたとおり、八日目になったイサクに割礼を施し、神の契約の中に入れました。

 イサクが生まれたとき、アブラハムは百歳、サラは九十歳でした。

 

 イサクは、神と契約を結んだ割礼のアブラハムとサラから生まれた、アブラハムの子孫です。イサクは、神の御力によって身ごもり生まれた、信仰の子どもです。

 神が、アブラハムに「あなたの跡取りは、あなた自身から生まれ出て来る、天の星の数のような子孫。」と仰せられたとき、それを信じたアブラハムの信仰を義とされた、あの信仰の子どもです。

 

 イシュマエルは、契約前の無割礼のアブラムと女奴隷ハガルの間の、肉の子どもです。割礼のないアブラムの子であり、神の約束の伴わない、肉の子です。

 

 神は、アブラハムに仰せられました。「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる。しかし、奴隷の子イシュマエルも、わたしは一つの国民にしよう。彼もあなたの子だから。」(創世記21:12,13)

 

 アブラハムの信仰の子イサクの子孫はユダヤ人(イスラエル)と呼ばれており、肉の子イシュマエルの子孫はアラブ人と呼ばれています。

 神は、信仰の子イサクを、「アブラハムの子孫」と定められました。

 それゆえ、イスラエルが神のお定めになった「アブラハムの子孫」として、アブラハムの契約を受け継ぎ、神がアブラハムに所有としてお与えになったカナンの地(現イスラエル)に国家を設けています。

 

 ユダヤ民族は、アブラハムの神と契約を結びました。神の仰せられたとおり、イサクの子であるアブラハムの子孫ユダヤ民族は神の民となり、アブラハムの神はイスラエルの神となられました。イスラエルは、アブラハムの祝福を受け継ぎました。そして、神のひとり子キリスト・イエスを生みました。

 キリストは、世の罪を取り除く神の子羊であり、世はキリストを信じるならば、罪赦されて神に立ち返り、神の御救いを受けて、死と滅びから救い出されるのです。

 

 神の約束どおり、御救いがアブラハムの子孫(イスラエル)から起こり、すべての国民は、神の御子イエス・キリストによっていのちを得、祝福されるのです。

 

 「キリストは、私たち(ユダヤ人)のために呪われた者となって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださいました。なぜなら、『木に掛けられる者はすべて呪われた者である。』と(聖書に)書いてあるからです。

 このことは、アブラハムの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」(ガラテヤ3:13,14)

 

 アブラハムの祝福は、十字架に掛かられた神のひとり子イエス・キリストによって、イスラエルの垣を破り、異邦人にも及んだのです。ユダヤ人も、アラブ人も、異邦人も、同じひとりの人、神の御子イエス・キリストを信じる信仰によって、義とされ、御救いを受けます。

 同じ一つの御霊によって、一つの国民、神の家族とされるのです。

 アブラハム、イサク、ヤコブの血肉によるのではなく、信仰によって義とされるからです。モーセの律法が神の民とするのではありません。

 

 「律法を行なう者はこの律法によって生きるのです。」(ガラテヤ2:12)律法は信仰によるのではありません。また、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいません。

 「義人は信仰によって生きる。」のだからです。(ガラテヤ2:11)

 

 イエス・キリストの御霊によって信仰によって生まれた者(イエスは神の御子キリストだと信じて御霊を受ける者)が、神の契約と祝福を受け継ぐアブラハムの子孫なのです。

 

 神がアブラハムに約束された祝福の基となる子孫は、神の御子イエス・キリストであり、また、神と神の御子イエス・キリストを信じる信仰の人々なのです。

 信仰の父アブラハムが信仰によって義とされたように、信仰によって義とされる者がアブラハムの子孫なのです。