ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

全き人とは

 

 「アブラムが九十九歳になったとき、主(創造主)はアブラムに現われ、こう仰せられた。

 『わたしは全能の神である。

 あなた(アブラム)はわたしの前を歩み、全き者であれ。

 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。

 私は、あなたをおびただしく増やそう。』

 アブラムは、ひれ伏した。神は彼に告げて仰せられた。

 『わたし(神)は、この、わたしの契約をあなた(アブラハム)と結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。

 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたし(全能の神)があなた(アブラハム)を多くの国民の父とするからである。

 わたしは、あなたの子孫(アブラハムの子孫)をおびただしく増やし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。

 わたしは、わたしの契約を、わたし(神)とあなた(アブラハム)との間に、そしてあなたの後の子孫(ユダヤ民族)との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神(イスラエルの神)となるためである。

 わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土(ユーフラテス川からエジプトの大川まで)を、あなたとあなたの後のあなたの子孫(アブラハムの子孫)に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神(イスラエルの神)となる。』」(創世記17:1ー8)

 

 神は、アブラハムと契約を結ばれました。

 その時、アブラムには、十三歳になる息子イシュマエルがいました。イシュマエルは、妻サラの女奴隷エジプト人のハガイがアブラムに産んだ子でした。

 

 神はアブラムをアブラハム(高貴な人国々の父)と改名して、契約を結ばれました。そして、神は、妻サラ(王女国々の母)に男の子を与え、イサクと名づけられました。イサクは、神とアブラハムの契約を相続する子孫として、神がアブラハムにお与えになったひとり子です。

 

 神は、アブラハムとアブラハムの契約を相続する子孫(イスラエル)に、「わたし(神)の前を歩み、全き者であれ。」と命じられます。

 

 アブラハムは、神に聞き従って、契約のしるしの割礼を受けました。その時、アブラハムは、九十九歳でした。翌年妻サラから生まれたイサクは、父の腰の中で父の契約を受けたのでした。イサクは、生まれながらの相続人でした。アブラハムの契約の相続人として、神が、アブラハムにイサクをお与えになられたのです。

 

 イサクが受け継いだアブラハムの契約は、イサクの子ヤコブが相続しました。

 ヤコブは、双子の兄エサウから長子の権利を買い取り、アブラハムの祝福を勝ち取りました。また、神(神の人)と戦って祝福を勝ち取りました。こうして、ヤコブは、アブラハムの契約と祝福を、父イサクから受け継いだのでした。

 

 ヤコブの十二人の息子たちは、神と人と戦って勝ち取った父ヤコブの相続地(アブラハムに約束されたカナンの全土)を所有するアブラハムの子孫、すなわちユダヤ民族(イスラエル)となりました。そして、アブラハム、イサク、ヤコブの神の民族としての契約を、全能の神(イスラエルの神)と結びました。

 

 神は、アブラハムの子孫(ユダヤ民族すなわちイスラエル)の神(イスラエルの神)となられました。そして、カナンの全土を、イスラエルに所有として与えられます。

 

 アブラハムに、「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」と仰せられた全能の神は、アブラハムの子孫(ユダヤ民族)に、神のひとり子を遣わされました。

 神に遣わされてイスラエルに来られた神のひとり子イエス・キリストは、全能の神の民イスラエルに、「あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」(マタイ5:48)と言われました。

 

 それは、かつてイスラエルの神が、モーセを通してイスラエルに命じられたとおりです。

 「『イスラエル人の会衆に告げて言え。

 あなたがた(ユダヤ民族)の神、主であるわたし(イスラエルの神)が聖であるから、あなたがた(イスラエル)も聖なる者とならなければならない。」(レビ19:2)

 

 全能の神であられる創造主が求められる全き者とは、天の父のように完全な者であり、聖なる者であるようです。

 

 神の御子イエスは、ご自分の民(神の民イスラエルは、御父、御子、聖霊の三位一体の神の民です。)イスラエルに、父について、永遠のいのちについて、もうひとりの助け主(聖霊)について、神の国について教えられました。

 神は、神の民イスラエルを、神の交わり(御父、御子、御霊の交わり)のうちに入れられるのです。永遠のいのちを得させ、神の子どもに造り変えて天の御国に入れられます。

 

 イエス・キリストの父は、全能の神であり、創造主、裁き主です。御父が、御自分の民イスラエルにひとり子を遣わされました。神の御子イエスは、滅びの世から神の子どもたちを救い出す救い主です。イスラエルが待ち望んだメシアです。

 

 神は、イスラエルにお与えになったモーセの律法を、人の子の姿で遣わされた神の子羊イエスの十字架において、御子キリストによって完成させられました。

 ナザレのイエスがモーセの律法(文字の律法)を完成し、神の子羊イエス(神の御子キリスト)の血によって、以前の全焼の生贄と罪の生贄の血の契約は廃止され、モーセの時代イスラエルの会衆と結んだ契約を古いとされました。

 神が遣わされた御子イエスによって、新しい契約が与えられました。罪の贖いの子羊イエスの血によって契約は完了され、もはや生贄は必要ありません。子羊イエスの血が世の罪を取り除いたからです。

 

 神の子羊(神の御子イエス)は聖霊のバプテスマを授けるキリスト(救世主)です。キリストは、イエス・キリストを信じる者に、キリストの御霊を授けられます。そして、御霊による割礼を人の心のうちに施し、新しい心を創造されます。

 新しい律法は、文字の律法のように人間の努力や熱心によって守るものではなく、御霊が心に律法を書き記し、父の御心、キリストの思いを心に置く新しい人に造り変えていかれます。

 真理の御霊が信者の内側から造り変えていかれ、神を知る新しい心を創造されるのです。神の御霊によって成されるみわざです。神がイエス・キリストの御名によって遣わされたもうひとりの助け主、御霊の力によります。

 「『権力によらず、能力によらず、わたし(全能の神)の霊によって。』と万軍の主は仰せられる。」(ゼカリヤ4:6)

 

 御霊によって新しく創造される人は、イエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどり、魂の救いを得ます。御霊の信仰が置かれるからです。

 

 神の望まれる全き人とは、人間が考える完全とは異なります。地上のすぐれた者ではありません。神のひとり子イエス・キリストに似た神の子どもです。

 

 神の御子イエスは、十字架で血を流して、肉に死に、罪人とひとつのものとなられました。

 罪人は、御子イエスが天に上り神の子羊の血を父にお献げになったことで、もうひとりの助け主(真理の御霊)を授けられて、御霊によって生まれる新生と、新しく造り変えられる恵み(新しい創造)を受けることができるのです。

 

 神は、神の子どもたちの完成を望んでおられます。

 「わたし(全能の神)の前を歩み、全き者であれ。」 

 光の中を歩み、御霊による新しい創造を受けることを望んでおられます。