「不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。それは、真理を信じないで、悪を喜んでいた(悪を認めていた)すべての者が、さばかれるためです。
しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
ですから神は、私(パウロ)たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。
そこで、兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。
どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」(テサロニケ第ニ2:9-17)
神が、イスラエルに神のひとり子イエス・キリストを遣わすことを定められたように、神に敵対し自分自身を神とする不法の人を世に現わすことも、神が定められておられます。
「彼(不法の人)は、いと高き方(天の神)に逆らう言葉を吐き、いと高き方の聖徒(ユダヤ人とキリスト者)たちを滅ぼし尽くそうとする。
彼(反キリスト)は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手(不法の人すなわち反キリストの支配)にゆだねられる。」(ダニエル7:25)
三年半の間、神は、ユダヤ人と地上に残ったキリスト者たちを、悪魔の権威を持つ不法の人(反キリスト)の手にゆだねられます。
悪魔から権威を与えられた不法の人すなわち反キリストは、神のような力を持ち、あらゆる偽りの力に、しるし、不思議が伴い、人々は騙されます。信仰の浅い人々、真理の知識のない人々は、欺かれます。
滅びる人たちに対するあらゆる欺きが行なわれるからです。なぜなら、彼らは救われるために神の御子イエス・キリストを愛さなかったからです。
それゆえ、神は、御子キリストを愛さなかった者たちが偽り(御救いから引き離す偽りの言葉)を信じるように、神が惑わす力を送り込まれます。
ほかの預言者たちはイスラエルの王アハブについて戦いの勝利の預言を語り、王の好意を得てました。しかし、預言者ミカヤは悪いことを預言してアハブに憎まれていました。
アハブは、自分に良いことを預言せず、悪いことばかりを預言するミカヤを憎んでいました。
「すると、ミカヤは言った。
『それゆえ主のことばを聞きなさい。私(ミカヤ)は主が御座にすわり、天の軍勢がその右左に立っているのを見ました。そのとき、主は仰せられました。
「だれか、アハブを惑わして、攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせる者はいないか。」すると、あれこれと答えがありました。
それからひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、「この私が彼(アハブ)を惑わします。」と言いますと、主が彼に「どういうふうにやるのか。」と尋ねられました。
彼は答えました。「私が出て行き、彼(アハブ)のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。」すると、「あなたはきっと惑わすことができよう。出て行って、そのとおりにせよ。」と仰せられました。
今、ご覧のとおり、主はここにいるあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を授けられました。主はあなた(アハブ)に下るわざわいを告げられたのです。』
すると、ケナアナの子ゼデキヤが近寄って来て、ミカヤの頬をなぐりつけて言った。『どのようにして、主の霊が私を離れて行き、おまえに語ったというのか。』
ミカヤは答えた。『いまに、あなたが奥の間に入って身を隠すときに、思い知るであろう。』」(列王記第一22:19-25)
アハブは、「ミカヤを連れて行け。」と言いました。
「ミカヤは言った。『万が一、あなた(アハブ)が無事に戻って来られることがあるなら、主は私によって語られなかったのです。』そして、『みなの人々よ。聞いておきなさい。』と言った。」(列王記第一22:28)
アハブ王は戦いに出て、ミカヤの預言どおり死にました。
神は、惑わす霊を使って、神に罪ある者を惑わし滅びる者とされます。
終わりの時に、神は、救いをないがしろにした人々が偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
それは、真理(神の憐れみと赦しと神の御子キリストの血による御救い)を信じないで、悪魔の言葉を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。
しかし、神を信じ神の御子イエス・キリストを愛する人々は、主に愛されている神の子どもです。神は、彼らをキリストの御霊によって新しく造り変え、神のことばを信じ聞き従う信仰によって、彼らを救いにお選びになっておられます。
それゆえ、神は彼らに救いの喜びをお与えになられます。
「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
これは、信仰の結果である、魂の救いを得ているからです。」(ペテロ第一1:8,9)
パウロは言います。
「そこで兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝え(聖書のことば)を守りなさい。」
主を仰ぎ、主を求めるならば、私たちの主イエス・キリスト、また私たちの父なる神である主、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の赦しと永遠のいのちを与えて神の子どもとしてくださった主が、神の子どもにふさわしくあらゆる良いわざとことばに進むよう、常に慰め、強めてくださいます。
「私たちが、ひねくれた悪人どもの手から救い出されますように。すべての人が信仰を持っているのではないからです。
しかし、主は真実な方ですから、あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。
どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。」(テサロニケ第ニ3:2,3,5)