ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

いつ国を再興してくださるのですか

 

 「イエスは苦しみを受けた(十字架の死の)後、(死から復活して)四十日の間、彼ら(イエスの弟子たち)に現われて、神の国(イエス・キリストがイスラエルの王となって建てられる新しいイスラエル王国)のことを語り、数多くの確かな証拠(復活のイエスが数多くの弟子たちにお会いになって話され、また食事をともにされた)をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。

 彼ら(使徒たち)といっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。

 『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。(バプテスマの)ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。』

 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。

 『主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。』

 イエスは言われた。

 『いつとか、どんなときとか言うことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父が御自分の権威をもってお定めになっています。

 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 こう言ってから、イエスは彼ら(使徒たち)が見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人(御使い)がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。

 『ガリラヤの人たち(使徒たち)。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒1:3-11)

 

 イエスは十字架で死なれ、墓に納められました。しかし、三日目に墓から甦られて、復活のからだで弟子たちに会われました。それは、四十日の間のことでした。

 「先生」と呼び、イエスに従っていた弟子たちは、「主」と呼びます。彼らは、イエスが神のひとり子であることを確信したのです。

 死から復活して永遠に生きるからだとなって、再び世に現われた人間はだれもいません。ひとりもいません。しかし、天から来られた神のひとり子イエス・キリストは死から甦られ、復活のからだで弟子たちにお現われになったのです。見ることも、触ることも、食べることも、会話することもできる新しい肉を持つからだです。朽ちる肉のからだではありません。壁を通り抜け、一瞬で移動することのできる自由なからだです。幽霊ではありません。永遠のいのちのからだです。

 

 復活したイエスを見て、弟子たちは、「わたし(イエス)を信じる者は、死んでも生きる。」と言われたイエスのことばが真実であることを実感し、御救いを確信しました。そして、イエスのことばは真理であると悟りました。

 

 イエスは、四十日にわたってたびたび弟子たちに現われて、神の国のことを語られました。そして食事をともにしているとき、イエスは弟子たちにお命じになられました。

 「エルサレムから離れないで、わたしから聞いていた父の約束(「もうひとりの助け主」を遣わす。)を待っているがよい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう。」と言われたのです。

 

 かつてバプテスマのヨハネは、キリストについて証言していました。

 「私は、あなたがた(ユダヤ人)が悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方(キリスト)は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値打ちもありません。

 その方(神が遣わされるキリスト)は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」(マタイ3:11)

 キリストは、聖霊のバプテスマを授ける権威を神からいただいた方なのです。聖霊のバプテスマを授けることのできないキリストは偽り者です。

 

 イエスは、十字架の死によってイスラエルの罪の贖いをし、死から甦られて天に上り、聖霊のバプテスマを授ける権威を父から授けられました。キリストとなられたのです。イエスが地上にいる間は、成し遂げることができませんでした。復活の栄光を受けておられなかったからです。

 

 イエスは、父に、弟子たちにもうひとりの助け主を彼らにお遣わしくださいとお願いされました。神は、神のひとり子イエスの祈りを聞かれたのです。

 

 もうひとりの助け主は、真理の御霊です。真理の御霊は聖霊です。イエスを死から甦らせられた神の御霊です。神の御霊を、イエスの弟子たちの心に遣わしてくださいます。土の塵から取られた肉のからだの人間のうちに、聖なる神の御霊が住まわってくださるというのです。

 神の御子イエスの贖いの血を信じイエスを神の御子主キリストであると告白する人のうちに、神は、御霊を住まわせ、イエスのことばを思い起こさせ、真理を教え、神の国に入るのにふさわしい聖なる者に造り変えてくださるのです。

 

 御霊は、「イエスは主です。」と言い、父なる神を「アバ、父。」と呼びます。聖霊を受けた人々は、天の神を「天の父。」と呼び、イエスを「神の御子、主キリスト。」と呼びます。

 

 イエスは、かつて、ユダヤ人の指導者であるニコデモに、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)と言われました。

 新しく生まれるということが理解できないパリサイ人のニコデモに、イエスは言われました。「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」(ヨハネ3:5,6)

 

 聖霊を受け新しく生まれなければ、神の国を見ることはできず、また悔い改めだけではなく、御霊によって新しく生まれなければ、神の国に入ることはできない、とイエスは言われました。

 悔い改めてイエスを信じても、御霊を受けなければ肉によって生まれたままの肉の人間です。肉のものは朽ちてしまいます。肉には死が伴っているのです。

 御霊を受け、御霊によって生まれた者は霊です。肉の死から甦り永遠に生きる新しい創造です。御霊のうちに永遠のいのちがあります。御霊を宿す者は、永遠のいのちを得させられます。

 

 「さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。

 『神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。「そら、ここにある。」とか、「あそこにある。」とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。』」(ルカ17:20,21)

 

 神の国は、人の目に見せるようにして来るものではありません。場所でもありません。天から遣わされた御霊のうちに神の国はあります。イエス・キリストのうちに神の国があったように、イエス・キリストの御名によって授けられた御霊のうちに神の国があります。

 御霊によって新しく生まれた者のうちに神の国があります。聖徒らの交わりのうちに神の国があるのです。神の国を持つ人々によって神の国は建て上げられます。

 

 イエスは、使徒たちの目の前で天に上って行かれました。そして、聖霊のバプテスマを授けるキリストが完成しました。

 イエス・キリストの御名によって聖霊のバプテスマを受けるならば、その人のうちに神の国が来るのです。

 

 「主よ、イスラエルのために復興なさるのは、この時なのですか。」と弟子たちは復活されたイエスに尋ねました。

 イエスにつき従っていた使徒たちは、キリストが聖霊のバプテスマを授けるならば、神の国が来ると思ったのでしょう。

 エルサレムに留まり聖霊のバプテスマを授けられてもうひとりの助け主を受けるならば、いよいよ、ローマ帝国の支配から解放されて、イスラエルを神の民としてくださった神の御子キリスト・イエスが支配されるイスラエル王国を再興してくださる。

 

 しかし、イエスは弟子たちに「いつとか、どんなときとかということは、あなたがたは知らなくてよい。」と言われました。その時から二千年経つ今も、弟子たちが期待したようなイスラエル王国は再興されていません。

 

 イエスが弟子たちに言われたのは、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムに、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」でした。

 すなわち、イエスの再興されるイスラエル王国は、ユダヤ人だけでなく、全世界の人々、すなわちすべての民族、すべての国、すべての言語の人々に、イエス・キリストが神の御子であることが宣べ伝えられ、イエス・キリストの御名が世界中に証され、囲いの外の羊たち、すなわちイスラエルに属さない羊たち(神が救いに定めた人々)をも集められて、完成するのです。

 

 聖霊のバプテスマを授けるキリストが、聖霊によって神の子どもたちを創造し、御霊によって新しく生まれた人々を集めて、永遠に生きる人々の国、すなわち永遠のいのちを得る国民のイスラエル王国を完成されるのです。

 

 弟子たちが考えるイスラエルの国の再興は、ローマ帝国の支配から解放され、すべての敵から守られて、独立したユダヤ人の国が建てられることでした。

 しかし、神の御子イエス・キリストが語られたのは、地上のイスラエルの国の再興ではなく、神の国(神の御子イエス・キリストを王とするイスラエル王国)の建国でした。

 

 「(バプテスマの)ヨハネが捕えられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。

 『時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。』」(マルコ1:14,15)

 

 イエスは、初めから「神の国」について語っておられました。

 神は、神に忠実な神の民イスラエルを、神のひとり子イエス・キリストのために用意されるのです。また、イエスは、父の御計画のために、忠実に聞き従われました。

 二千年前の弟子たちの時代に完成するものではありません。ですから、イエスは、弟子たちに、「いつとか、どんなときとかということは、あなたがたは知らなくてよい。」と言われたのです。

 

 パウロは、神の御霊を受けた人々に言います。今の時代の人々に言っています。

 「あなたがたが眠りから覚める時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜は更けて、昼が近づきました。(滅びは深まり、救いの時が近づきました。)ですから、闇のわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」(ローマ13:11,12,14)

 

 「あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。」とパウロは言います。

 私たちは、真理の御霊をいただいた者です。御霊が真理を教えてくださいます。御霊は、私たちに備えることを教え、悪魔の策略に勝利するための光の武具(感謝と祈りと賛美)を着ける者としてくださいます。

 

 国が再興されるその時、弟子たちが天に上って行かれるのを見たときと同じ有様で、復活のキリストが、すべての目が見ている間に、天から来られるのです。

 「見よ、彼(キリスト・イエス)は、雲に乗って来られる。彼(ナザレのイエス)を突き刺した者(ユダヤ人)たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また、地上の諸族(諸々の民族)はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。」(黙示録1:7)