ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

主にあって死ぬ死者は幸いである

 

 ふたりの証人の活動期間(三年半)が満ちると、地上から、神のことばを宣教するふたりの証人と神に召された十四万四千人のユダヤ人が、反キリストによって取り去られました。

 

 いよいよ、悪魔が世の神として君臨し、悪魔の支配する時が来ました。

 「彼(悪魔に権威を与えられた反キリスト)は聖徒(ユダヤ人とキリスト者)たちに戦いを挑んで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民(全地)を支配する権威を与えられた。

 地に住む者で、屠られた子羊(イエス・キリスト)のいのちの書に、世の初めからその名の書き記されていない者はみな、彼(反キリスト)を拝むようになる。」(黙示録13:7,8)

 

 悪魔は、もう一匹の獣(子羊のような二本の角がある獣)に権威を与え、反キリスト(十本の角と七つの頭の獣)とともに働かせます。

 子羊のような獣は、ユダヤ民族のダン部族から出る滅びの子でしょう。彼は、ユダヤ人たちを惑わします。反キリストの像を造るように命じ、その像は、ものを言い、反キリストと同じ姿をしています。AIの力で、本物(反キリスト本人)と見間違うほどの像です。

 

 子羊のような獣(偽預言者)は、反キリストの像を拝まない者をみな殺させました。また、子どもから大人まで、富んでいる者も貧しい者も、生き残っている神の聖徒にも悪魔の奴隷の人間にも、すべての人々にその右の手かその額かに、反キリストの刻印(チップ)を受けさせました。この刻印のない者は、買うことも売ることもできません。反キリストは、反キリストの刻印のない者は反キリストが統治する世界で生きられないようにしました。

 

 天に、叫ぶ御使いの声があります。第一の御使いは大声で言いました。

 「神を恐れ、神を崇めよ。神の裁きの時が来たからである。天と地と海と水と水の源を創造した方を拝め。」(黙示録14:7)

 

 キリストの御霊の器(ユダヤ人ビリーバーとクリスチャン)も真理の御霊も取り去られた世は、ユダヤ人の時を迎えて、旧約時代の世界のようになります。聖霊は、神の選ばれるユダヤ人とともにおられます。神がイスラエルに預言者を立てられた旧約時代のように、神は、この時代のために召したふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人にことばを授けられます。

 十四万四千人のユダヤ人は、全世界に出て行って、あらゆる国民、部族、国語、民族(の残りの神の民)に永遠の福音(とこしえに変わることのない主のことば)を宣べ伝えます。

 こうして、死から復活されたイエスが昇天される時、ユダヤ人の弟子たちに命じられた世界宣教は、十四万四千人のユダヤ人によって完成します。

 

 また、反キリストが、ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人が宣教活動をする三年半の「ユダヤ人の時」の間に、神に忠実な多くのユダヤ人(キリストやメシアニック・ジューに敵対しないユダヤ教徒とメシアニック・ジュー)を殺害し、ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人を殺害すると(殺された者のすべては殉教者です。)、エルサレムに大洪水が起こり、その最中に、神は、残りのユダヤ人(頑なにイエス・キリストを信じないユダヤ人、超正統派ユダヤ人なのか、レビ族のユダヤ人なのか、はたまた、キリスト・イエスを出したユダ族なのか?)を、反キリストの目から隠して荒野へと導かれます。そして、反キリストが主権を持つ三年半の間(大患難の期間)、神が彼ら(荒野にかくまわれたユダヤ人)を養われます。

 

 反キリストは、神に熱心なユダヤ人たちを見失うと、怒って、神の戒めを守り、イエスのあかしを保っている者たち(神の民の残りの者、すなわち忠実ではなかったユダヤ人とクリスチャン)を殺害しようと立ち上がり、バチカン市国に向かうでしょう。

 

 第二の御使いは言いました。

 「大バビロン(世界を惑わした偽キリストのいるバチカンとその信者たちの国々)は倒れた。」(黙示録14:7)

 神は、反キリストとその国民(反キリストが治める十の国の国民、イスラム教徒)を使って、大バビロンを滅ぼされます。

 

 その後、悪魔は、反キリストともうひとりの獣である偽預言者のふたりに悪魔の権威を与えて、残りの神の民(ユダヤ人とクリスチャン)に反キリストの像を拝むことや反キリストの刻印を受けることを強要します。

 

 第三の御使いは、大声で言いました。

 「もし、だれでも、獣(反キリスト)とその像を拝み自分の額か手かに刻印を受けるなら、そのような者(反キリストの像を拝む者や反キリストの刻印を受ける者)は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りの葡萄酒を飲む。(彼らは憐れみや赦しの余地のない永遠の怒りを受ける。)

 また、聖なる御使いたちと子羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。(彼らは、イエス・キリストの御名を呼ぶ者たちでしたが、もはや〈反キリストと心を通わす〉彼らを火から救い出す者はいません。)

 そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣(反キリスト)とその像とを拝む者、まただれでも獣(反キリスト)の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。(彼らへの神の怒りは、敵対者たち〈悪魔の子ら〉に対する怒りよりもひどいものです。)

 神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」(黙示録14:9-12)

 

 天からの声を、ヨハネは聞きました。

 「『書き記せ。「今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。」』御霊も言われる。『しかり。(その通りです。)彼ら(像を拝まない者、また刻印を受けなかった者)はその労苦(悪魔と反キリストと偽預言者との苦しみ)から解き放されて休むことができる。(彼らは死〈反キリストの殺戮〉によって、労苦から解放されます。)

 彼らの行ない(像を拝まなかった者たちや刻印を受けなかった者たちは、神を否むことがなかったのです。)は彼らについて行くからである。(彼らの正しい行ないは、彼らのいのち〈永遠のいのち〉を守りました。彼らは信仰の勝利者として、御霊の教会に加えられます。)」(黙示録14:13)

 

 像を拝まない者や刻印を受けない者は神の聖徒です。神は、彼らを彼らの死(反キリストの殺戮)によって、反キリストと偽預言者の労苦から解き放ち、悪魔の世界から救い出してくださるのです。

 

 自分の命を守り、反キリストの殺戮を恐れる者は、反キリストの命令に従い、永遠のいのちを失います。しかし、彼らもまた、すべての聖徒を地上から取り除いた後に、反キリストによって殺される定めなのです。

 

 同じ死を迎えるならば、死んで永遠のいのちを得る方がまさっています。

 神の戒め(偶像を拝んではならない)を守り、イエスに対する信仰(イエスは主キリストであるとの告白)を持ち続ける聖徒たちは、主にあっての忍耐が必要です。最後まであきらめてはいけません。

 反キリストの命令に従わず、反キリストに敵対することは、神を選ぶことです。世が反キリストにひれ伏しても、神の聖徒らは神の敵(悪魔)に心を向けません。彼らの心は主とともにあるのです。

 

 神の聖徒らを救うお方は、天の神だけです。悪魔に迎合してはなりません。この地上は永遠ではありません。必ず、終わりが来ます。終わりのあるものにすがってはなりません。

 目には見えないけれども、心のうちにある信仰(神の約束)に信頼し、信仰を持ち続けるならば、神はそれに応え、必ず、救い出してくださいます。

 

 どんな状況にあっても主に望みを持ち、主への信仰を持ち続け、主にあって死ぬ死者は幸いです。たとい、この世で望んでいたことの実現を見なかったとしても、肉体の死によって、神のみもとに帰るからです。そこには、永遠の安息があるのです。

 主にあって死ぬ死者には、永遠のいのちと永遠の安息が約束されています。

 

 「ですから、あなたがたの確信(神への信仰、キリストによる御救い)を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものです。(その信仰は、私たちを天の御国に入れるのです。)

 あなたがたが神の御心を行なって、約束のもの(天の御国)を手に入れるために必要なのは忍耐です。

 『もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。遅くなることはない。

 わたしの義人は信仰によって生きる。

 もし、恐れ退くなら、わたし(神)の心は彼(不信仰な者)を喜ばない。』

 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのち(永遠のいのち)を保つ者です。」(へブル10:35-39)

 

 キリストを信じる私たちのいのちには約束(永遠のいのちと天の御国と永遠の安息)が伴っています。それゆえ、死に至るまで(神に)忠実でいましょう。