ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の戒めを守りイエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの試み

 

 三年半の、ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人による預言の時は終了しました。

 神を信じない者たちを苦しめた彼らがいなくなって、世は反キリストの主権でおおわれます。

 彼ら(ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人)の預言のことばに敵対し神のひとり子イエスを認めることのできないユダヤ人(契約の土台に堅く立つが御子イエスへの信仰を持つことのできないユダヤ人)たちは、神の霊によって、三年半の間養われる荒野にかくまわれました。

 

 地上には、預言のことばを聞いて神に立ち返り神にすがる、律法の下にいるユダヤ教徒のユダヤ人と律法の下にいない世俗派ユダヤ人と、熱心でなかったクリスチャンたちがいます。残りの神の民です。

 

 反キリストと反キリストの国の十人の権力者が神の思いを受けて、ローマ教皇とバチカンとカトリック諸国を焼き払いました。

 神の家の裁きは始まっています。

 

 「やがて来るべき君主(この世を支配する者、すなわち反キリスト)の民(イスラム教徒)が町と聖所(神の霊に満ちたふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人)を破壊(殺害)する。彼(反キリスト)は一週(七年)の間、多くの者と堅い契約を結び、半週(三年半)の間、生贄と献げ物とをやめさせる。(神殿の丘に建てられた神の神殿で、神を礼拝する行為をやめさせる。)

 荒らす忌むべき者が翼(神殿)に現われる。(反キリストが神殿に立つ。しかし、)ついに、定められた絶滅(天から来られるイエス・キリストと天の軍勢により滅ぼされる。)が、荒らす者(神の家を破壊する破壊者、反キリスト)の上に降りかかる。」(ダニエル9:27)

 

 反キリストが、神殿の丘に建てられた神の神殿に立つ時が来ました。

 「この獣(反キリスト)は、傲慢なことを言い、汚しごと(神を汚す言葉)を言う口を(悪魔に)与えられ、四十二か月間(三年半の間)活動する権威を与えられた。

 そこで、彼(反キリスト)はその口を開いて、神(全能の神であられるイスラエルの神)に対する汚しごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。(聖なる天に敵意をあらわにした。)

 彼(反キリスト)はまた聖徒(ユダヤ人とキリスト者)たちに戦いを挑んで打ち勝つことが(神に)許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。

 地に住む者で、屠られた子羊のいのちの書に、世の初めからその名の書き記されていない者はみな、彼(反キリスト)を拝むようになる。

 耳のある者は聞きなさい。

 虜になるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。」(黙示録13:5-10)

 

 聖徒らに神殿の神への礼拝をやめさせた反キリストは、自分自身が神の神殿に立ち、自分を神とします。全地は反キリストに従い、悪魔を拝みます。反キリストに権威を与えたのが悪魔だからです。

 ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人のことばは、神の民がそれ以上聞きたくないというような厳しいものでした。ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人の語る神のことばによって多くの人々の心の思いが現われました。神に心がない人々はたじろぎました。神の怒りに震えました。

 御座にある方(神)の御顔と子羊の怒りとからかくまってくれる者を求めます。

 世の初めからいのちの書に名の書かれていない者はみな、彼(反キリスト)を拝むようになります。

 

 もう一匹の獣が現われます。悪魔から権威を受けた偽預言者です。彼(偽預言者)は、ユダヤ人を惑わして、預言の期間を終えたふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人と戦って勝利し彼らを殺した反キリストの像を造らせます。

 

 像は人のようにものを言います。そして、人々の感情や思考までも読み取る機能が備わっているのかも知れません。反キリストと繋がっていて、像によっても人は監視されるのでしょうか。だれが拝みだれが拝まないのか、また、反キリストに服従心があるのか無いのか、一瞬で見分け、獣の像を拝まない者を割り出す機能があるのかも知れません。像を拝まない者を取りこぼすことはありません。

 

 神は、神がユダヤ民族にお与えになった「モーセの十戒」の初めに、偶像礼拝を禁止しておられます。

 「わたし(神)は、あなた(イスラエル)をエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神(イスラエルの神)、主(天の神)である。

 あなた(イスラエル)には、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。(唯一、天の神だけがまことの神である。)

 あなた(イスラエル)は、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。(月星太陽や人や獣や魚や目に見えるものの形を造って神としてはならない。)

 それら(人間の手で造った偶像)を拝んではならない。それらに仕えてはならない。(偶像に献げ物をして崇めてはならない。)あなた(イスラエル)の神、主であるわたし(イスラエルの神)は、妬む神、わたし(イスラエルの神)を憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたし(イスラエルの神)を愛し、わたしの命令(十戒)を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(出エジプト20:2-6)

 

 偶像を拝み、それに仕える者は生けるまことの神を憎む者であり、神はその者を呪い、その者の咎はその子にも孫にもつきまとい、三代四代にわたってその咎の報いを与えると言っておられます。

 神を愛し、神の命令を守る者(偶像を拝んではならないという神の命令に従って、偶像を拝まない者)には、神の祝福が臨み、神はその者を恵み、恵みを千代にまで施すと約束しておられます。

 

 神は、神以外のものを心の王座に置くことを罰せられます。神に仕える神の民の心の王座には神がおられなければなりません。天地万物を造られた全知全能の神は妬む神です。

 

 「わたし(神)の名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」(イザヤ43:7)

 神が御自分のものとして区別されるもの(ユダヤ民族)は、聖なる神が、御自身の栄光のために、御自分で創造し(アブラハムを選び、イサクを造り、ヤコブと契約を結び、ヤコブの子らイスラエルを造られた)、神の律法を与えて神の民にふさわしい民族として形造り、神の民イスラエルを造られたのです。

 

 「わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。」(イザヤ42:8)

 イスラエルの神は、「主」です。唯一の神です。人間の手で造られた地上の(偶像の)神々とは別格の神です。主なる神が、天地万物を造られたのです。主は唯一であり、主は創造主です。永遠に生きておられる天の神です。

 主は御自身の栄光を天にある何者にも、ましてや地に属する者、他の者に与えられません。また、主の栄誉を、人間の手で刻んだ像を持つ偽りの神々に与えることは、決してありません。

 

 「わたし、このわたし(イスラエルの神)は、わたし自身のためにあなた(イスラエル)の背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」(イザヤ43:25)

 神御自身が神の民を造られました。神は、神御自身のために神の民の罪をぬぐい去られます。永遠に不動の神に基軸があります。とこしえの主が主御自身のためになさるので歴然とした事実です。

 

 「わたし(神)のため、わたしのために、わたしはこれを行なう。どうしてわたし(聖なる天の神)の名が汚されてよかろうか。わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。」(イザヤ48:11)

 

 反キリストと偽預言者は、反キリストの像(偶像)を拝まない者を殺します。しかし、神は、反キリストの像を拝まない者に永遠のいのちをお与えになり、偶像を拝む者を滅ぼされるのです。

 

 ユダヤ人の信仰を試みる反キリストの像とは別に、世界中の人々に反キリストの刻印を受けさせて、刻印を拒む者は買うことも売ることもできず社会から抹殺されます。刻印を受ける者は、反キリストの権威に服従する者です。刻印を拒みイエス・キリストを告白する者はみな殺されます。

 自分の命を愛して刻印を受ける者は、売り買いして生き延びますが、キリストの信仰を捨てた者たちは最後には反キリストから殺されます。

 自分の命を惜しむ者は生き延びて助かったかのように思われますが、実は、刻印とともに、永遠のいのちを失うのです。(キリストのいのちの書から名が消されます。)彼らは、信仰の失格者です。

 神は、イエス・キリストに対する信仰を持ち続けて殺された人々に、信仰の勝利者の「いのちの冠」を与えられます。永遠のいのちをお与えになるのです。

 

 大バビロンは倒され、神の家の裁きは始まっています。残りのユダヤ人の信仰も、残りのクリスチャンの信仰も試みられます。

 残りのユダヤ人たちは、神の戒めを守り通すことができるでしょうか。

 残りのクリスチャンたちは、イエス・キリストに対する信仰を持ち続けることができるでしょうか。

 

 「主よ、信仰の弱い者です。お助け下さい。私を顧みてください。」

 日本で踏み絵のあった頃、だれからも信仰が弱いと思われていた高木宇右衛門(たかぎうえもん)がただひとり、鞭打ちにあっても、信仰を失わず、また、死なずに家に戻って来ました。同じ村の信者はみな、信仰を捨てると嘘をついて帰って来ていました。信仰深い信者も嘘をつきました。

 一番信仰の弱かった宇右衛門だけが信仰を捨てないで生き延びたのです。みなが驚いて尋ねると、彼は答えました。

 「私は皆さんが知っているとおり、信仰の弱い者です。私は、ずっと神に祈っていました。『信仰の弱い私を助けてください。私は信仰が弱いので、あなたを裏切ってしまいます。どうか、助けてください。あなたを裏切らないように、力をください。』すると、神がともにいて力をくださいました。鞭打ちに堪える力、拷問に耐える力と信仰を告白し続ける力を賜ったのです。それで、主への信仰を告白し続けることができました。」

 常日頃の祈りが、試みのときの守りとなり、信仰を持ち続ける力になるのだと知りました。

 

 預言を聞いたユダヤ人と生き残っているクリスチャンたちの試みの時が来ます。

 「もしだれでも、獣(反キリスト)とその像を拝み自分の額か手かに刻印(反キリストの支配下に服する者が受けるチップ、神に仕えない人間のしるし)を受けるなら、そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りの葡萄酒を飲む。

 また、聖なる御使いたちと子羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。(彼らを助ける者はだれもいない。)そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣(反キリスト)とその像を拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。

 神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」(黙示録14:9-12)