ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神がご覧になる美しい魂

 

 イエスは群衆を見て、彼ら(ユダヤ人たち)に教えて言われました。

 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。(へりくだった者はすでに神の愛を受け、天の御国に入るように定められています。)

 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。(この世をはかなんでいる者は、この世のものを頼みとしません。永遠への思いに導かれて知り得なかった真実な神に出会い、慰められます。)

 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。(争いを好まず、穏やかな心の者は、新しい世〈イエスが王として来られる地上の千年王国〉でイスラエル王国を相続する国民とされます。)

 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。(正義を愛し真理に飢え渇いている者は、真理の御霊に満たされるからです。)

 憐れみ深い者は幸いです。その人は憐れみを受けるからです。(さばく者ではなく、憐れみ深い者、赦す者は、神(裁き主)もまたその人を憐れみ、神の御子イエスを信じる心をお与えになり、御救い(永遠のいのち)を得させられます。)

 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。(神の光を妨げるもの〈この世の価値観や人間の教えによる不純な思い〉のない心の澄んだ者は、真理の神を見て真理を悟り真理の御霊を受けるのです。)

 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。(和解のために心を注ぎ争いを止め平和をつくる者は、神の御子キリストの心と結ばれる者です。)

 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。(不義が義を責め立てます。しかし、義のために迫害されている者はキリストと同様、天のものであり、いのちの書に名のしるされた者です。)

 わたしのために(神の御子イエス・キリストを信じるために)、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。(神の御子イエスはののしられ、悪口雑言を言われ殺されました。しかし、死から復活し神の御前に立つと、神から国と光栄と主権を与えられました。)」(マタイ5:3-12)

 

 霊なる神は、表面的な現象を御覧になっておられるわけではありません。

 「わたし(神)は人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(サムエル第一16:7)

 

 現象は移り行くもの。永遠に生きておられる霊なる神にとって、朽ちてゆく一時のものです。神はその中に、輝く霊、美しい魂を見つけられます。霊なる神の目は、霊なるものを見、魂を御覧になっているのです。

 

 今、神道では、身魂磨きをめざす人々が起こされているようです。「日月神示」や「よひとやむみな(世も人もすべて終わるの意)」といった神道の神の神示を学ぶ人々がいるからです。

 

 キリスト教会で身魂を磨くことに思いを向ける人はどれくらいいるでしょうか。キリストの血で贖われたので、罪が赦されて天国に入ると信じている人々は大勢いますが、聖なる神を恐れる人は多くはないと思います。

 神を恐れるのは罪がある証拠でしょう、と思うのかも知れません。

 しかし、神は霊を見ておられます。神の御子イエス・キリストを知らなくても、神を恐れ、身魂磨きに励む神道の人々は幸いな者です。神は、彼らに神の子羊イエスを信じる新しい心を与え、聖霊を注がれるでしょう。真理の御霊によって、彼らは永遠のいのちを得るでしょう。

 

 キリスト教徒は、神の御子イエス・キリストを信じ、洗礼を受け、天の御国の約束を受けました。しかし、真理の御霊を受け取っている人はどれくらいいるのでしょうか。

 

 仏教徒は涅槃を求め、へりくだって仏の憐れみにすがるでしょう。仏陀が瞑想のうちに悟りを得たように、仏法を極める人々の中には、甦ったナザレのイエスがサウロに現われて神の御計画を知らされたように、真理の御霊によって真理を悟る人々が起こされるのではないでしょうか。神は、彼らの中に、真理(永遠のいのち)にへりくだる美しい魂を御覧になられるからです。

 

 「麗しさはいつわり。(主は、目に見えるもの、着飾った姿に隠されている「魂」をご覧になっておられる。)

 美しさはむなしい。(美しさはとどめておくことができない。年を経て朽ちてゆくはかない、当てにならないものである。)

 しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。(神は、主を恐れる女に神の知恵を授け、有事に備えて永遠の備えさせ、本当に価値あるもの〈永遠のいのち〉を得させられる。)」(箴言31:30)

 

 「主よ。主よ。」という者たちが主のものではなく、主を恐れ、永遠に生きておられる目に見えないありがたい存在(神)に、霊と魂が向けられている者が主のものです。

 

 主は、魂の値打ちを測られるお方です。永遠に価値のあるものは、主を恐れる心、そして目に見えないものに心を向ける魂です。

 神は彼らを選び、御自身の聖い御霊を授けられます。彼らは、神の御子キリストの御霊を宿す聖霊の器とされるのです。聖霊の器は、真理を悟り、真理の御霊に導かれ、永遠のいのちを得て、天の御国に迎えられるのです。

 

 キリスト教徒は、聖書によって神を知り、神の知識を持っています。しかし、ユダヤ教徒、神道、仏教徒のうちにある幸いな者は、真理の御霊によって教えられて神を知る者とされるのです。

 

 神はご覧になる美しい魂に、神の御子イエス・キリストの死と復活によって分け与えられる真理の御霊を与えられます。

 神を恐れる(目に見えない神を意識して生きる)美しい魂に、神は、真理を悟る新しい心と永遠に輝くいのち(真理の御霊)をお授けになります。

 

 「お天道様が見ているよ。」と子どもたちに言って、目に見えない神を恐れさせた日本人の教育が、終わりの時代に花開くのでしょう。

 人間は目には見えない永遠の光(神)によって調べられ、神は魂を測られるからです。

 

 真理の御霊を受ける人々は、キリスト教徒もユダヤ教徒も神道の人も仏教徒も、御霊の教会のうちに建て上げられる美しい魂なのです。