ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

自称神の子

 

 聖書では、ノアの時代に至る頃のことに触れています。

 「人が地上に増え増え始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

 そこで、主は、『わたしの霊は、永久には人のうちに留まらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。』と仰せられた。

 神の子らが、人の娘たちのところにはいり、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリム(巨人)がいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。

 主は、地上に悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのを御覧になった。

 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」(創世記6:1-6)

 

 人とは、神がエデンの園から追放し、地球に置かれたアダムとエバの子孫のことです。神が、エデンの園の管理者として、土の塵から造られた人です。土から造られ、神の息を吹き込まれて生きるものとされた、肉体の人々です。

 

 聖書には、人とは別に、神の子と呼ばれる人々がいたことが書かれています。

 神の子と呼ばれる人々は、天地万物が造られる随分以前に、天から追放された神に逆らう天使長ルシファーのもとにいた天使たちではないかと、私は思います。

 

 天使長が罪を犯したので、天使長ルシファーに統率されていた天使たちもみな、天使長に従って天から出たと思います。神に天から追放された彼らは、天から堕ちた堕天使たちです。

 

 神に背く心を持つ天使たちは、天使長とともに闇の堕天使となりました。天使長であったルシファーは悪魔となり、悪魔と心一つとなっていた天使たちは、悪霊どもとなったと考えます。

 

 天使長に従いつつ、心は神とともにあった天使たちもいます。彼らの一部は、神の御前で永遠に、神だけに仕える四つの生き物となったと考えます。彼らは、天で仕えるきよい心を持つ天使たちです。四つの生き物の翼には、多くの目があります。多くの天使たちの霊が集められて新しい生き物として創造されたのではないのかと思います。その目は、集められた天使たちの目です。

 

 「御座から稲妻と声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊(すなわち、七つの御霊の教会)である。

 御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。

 第一の生き物は、獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶ鷲のようであった。

 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。

 『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。』」(黙示録4:5-8)

 

 四つの生き物は、永遠に生きておられる、御座に着いている方(存在の根源であり、いのちの源であられる、全知全能の生けるまことの神)に、栄光、誉れ、感謝をささげるものです。

 

 獅子は、悪魔に勝利された「ユダの獅子」と呼ばれる神のひとり子イエス・キリストを現わします。

 雄牛は、父なる神、すなわちイスラエルの神を現わします。アロンは、モーセが見えなくなって不安なイスラエルのために、金の子牛を造りました。

 人間の顔は、神の子羊キリスト・イエスの血によって贖われ、御霊によって新しく生まれた七つの御霊の教会の神の子どもたちを現わします。(御霊によって新しく創造された神の子どもたちは、神の一員となり、御使いたちに仕えられるものとなるのです。父、御子、聖霊、神の子どもたちとなるのです。)

 空飛ぶわしは、聖霊を現わします。 (「主を待ち望む者は新しく力(生かす御霊)を得、鷲のように翼をかって上ることができる。」イザヤ40:31、「あなたがた(イスラエル)を(奴隷の家エジプトから連れ出し)鷲の翼に載せ、わたしのもと(神が住まいとされる神の都エルサレムのある、約束のカナンの地)に連れて来た。」出エジプト19:4)

 

 天使長とともに天から出て来た天使は多くいます。しかし、悪霊となったのは、その一部です。

 

 多くの天使(堕天使)たちは、悪魔から離れました。神は、悪魔から離れ悔いる堕天使たちのために、彼らを贖うプロジェクトとして、天地万物を造られたように思います。

 

 エデンの園には、いのちの木がありました。堕天使たちのうち、良い心を持つ合格者たちはいのちの木の実を食べ、天の御国に帰ることができます。エデンの園の管理者として、神は、土の塵から人を造られました。

 

 本来、いのちの木は、天使たちの救いのために置かれたように思います。しかし、管理者である人が悪魔の食べ物である善悪を知る知識の木の実を取って食べてしまったことで、予定は狂いました。

 

 エジプトから救い出したイスラエルを荒野を通らせ四十日で、約束の先祖の地カナンに入らせる予定が、イスラエルの背信の罪によって、四十年も荒野に留まらせることとなりました。

 同様に、人(アダムとエバ)の背きの罪によって、エデンの園は閉じられいのちの木は閉ざされました。そして、人の贖いと救いのための歴史を始めざるを得ませんでした。

 

 神は、女の子孫からキリストを起こすことを定められました。神は、人の歴史の中で、アダムの子でアダムによく似たセツの子孫アブラハムを選び、アブラハムと契約を結ばれました。

 アブラハムの契約を相続した、妻サラとの間のひとり子イサクの双子の息子のうち、神は、弟ヤコブを選び、ヤコブをイスラエルと呼ばれました。

 

 神は、ヤコブ(イスラエル)の十二人の息子を族長とするユダヤ民族をイスラエルと呼び、イスラエルと民族の契約を結ばれました。イスラエルは、神との契約によって、神の民とされました。神の祭司の国民です。

 

 神は、イスラエルの指導者のモーセに、ユダヤ民族のうちから、正しい道へ導くとこしえの指導者である預言者(キリスト)を起こすことを約束されました。

 

 神は、イスラエルにダビデ王を立て、ダビデに、とこしえのイスラエルの王座に着くひとりの子孫(とこしえの王)を与えることを約束されました。

 

 神は、祭司の国民イスラエルに、神の子羊を遣わされました。

 彼は、アブラハムに約束した女の子孫「人の子キリスト」であり、モーセに約束した「ユダヤ人から起こされるキリストの油を注がれた預言者」であり、ダビデに約束した「ダビデの王座に着く、キリストの油を注がれたとこしえのイスラエルの王」、すなわち、人の罪を贖い、世の罪を取り除く神の子羊イエス・キリストです。

 また、死に勝利し、天に上られたキリストは、まことの聖所である天で神に仕えるまことの大祭司、すなわちとこしえの祭司です。

 

 神の祭司の民イスラエルは、神の御計画どおり、神の子羊を屠り、世に御救いをもたらしました。神の子羊イエスの血は罪を贖い、神に罪赦された人々(神の遣わされた救世主イエス・キリストの名を信じる人々)に、キリストの御霊(生かす御霊)が分け与えられます。

 

 キリストの血で贖われ、生かす御霊によって生きる新しい人(肉のアダムの子孫ではなく、御霊によって新しく生まれた神の子どもたち)が完成すると、エデンの園が回復します。すなわち、神の都(新しいエルサレム)にいのちの木のある千年王国が、地上に現われます。

 

 エデンの園は、神の子(堕天使)たちが、いのちの木を食べ、神のもとに帰るいのちの道です。千年王国は、宇宙の生命体が神に立ち返りいのちの木の実を食べる、被造物の贖いの時です。

 

 神の子(堕天使)は最初に造られたアダムのように、男のかたちをしているのでしょう。アダムとエバの子孫の人の娘によって、子どもを得たのです。

 堕天使たちはもともと霊であり、霊は永遠に生きます。天から追放された天使たちは、一度肉体を持つ人となって、贖われなければなりません。人の子として来られたイエスは、肉体によって血を流し、背信の罪を贖われたのです。キリストの贖いの血を受けるために、堕天使はみな、女から生まれる肉体の人とならなければなりません。

 

 女は、人の象徴です。女から生まれる者が肉体の人間です。

 聖書には、神の子らが、人の娘たちのところにはいり、彼らに子どもができたことが書かれています。そして、地上に人の悪が増大したことも書かれています。

 

 神の子らは、純粋な人の子らと異なり、神の知恵があります。それゆえ、善悪の知識を知る木の実を食べた人にまさる知恵を持っているのです。

 

 おそらく、エデンの園では、正しく悔い改める堕天使たちのために、いのちの木が用意されていたのでしょう。しかし、罪を犯した人の救いをまず行なわなければなりません。神の知恵を持つ神の子ら(神のもとに帰ることができず宇宙に存在する天使たち)は、土の塵から造られた「人」に自分たちの知恵を現わし、惑わす者でもあったようです。

 

 エデンの園の管理者としてエデンの園に置かれていた、土の塵から造られた「人」は、罪ゆえにエデンの園から追放されました。

 地上の苦難や肉体の罪と戦い、救いを求める人は、神の御子イエス・キリストの御名によって、永遠に生きる新しい人に造り変えられました。

 今の世の終了に伴い、神の子羊イエス・キリストの贖いの血と生かす御霊によって新しい創造の人(神の子ども)とされた人々が、千年王国でキリストに仕える地球の管理者となることでしょう。

 

 地球には、宇宙の堕天使たちが集められ、それぞれ、千年王国において、女から生まれる、肉体の人となるでしょう。宇宙全体の贖いの時です。

 信仰により、イスラエルの王キリストにへりくだる人々は、都にはいりいのちの木の実を食べることが許されます。

 

 千年王国は、自称神の子の堕天使たちの救いの時だと思われます。自称神の子では、救われません。肉体を持ち、キリストの血によって贖われ、生かす御霊によって新しい創造を受ける者が、天の御国にはいる神の子どもたちなのです。

 

 これから、宇宙人の話も頻繁に聞くことでしょう。おひとりの神が、すべてのものの存在の根源であられます。宇宙人からのテレパシーを受ける人々も起こされるでしょう。しかし、彼らは贖われていない、自称神の子なのです。

 

 キリストがお与えになる御霊のいのち(いのちの木の実、すなわち永遠のいのち)を受けなければ、神が創造される新しい天と新しい地にはいる神の子どもになることはできません。