ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

世に勝つ者は永遠に生きるキリストとその弟子たち

 

 「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」(ヨハネ第一4:5)

 

 なぜ、イエスが神の御子と信じる者は世に勝つのでしょう。

 イエスご自身が、世に勝利されたからです。世に勝つとは、世の流れに逆らい、新しい道を設けられたのです。

 

 世の流れは、地中に向かいます。死の国へと続いています。

 イエスが設けられた新しい道は、天に向かう道です。天の御国へと続いています。

 

 世の流れは、決して天の御国にはいることができません。下に向かって流れるだけです。世は、地の摂理に従います。

 

 神に遣わされた神のひとり子イエスは、この世のものではありません。天から来られ、天のことばを語り、天に帰られました。地の摂理を覆すために、来られたのです。

 

 神のひとり子イエスは、この世の摂理の死から、新しいいのちを生み出されました。新しいいのちは、世のものではありません。天に属するいのちです。

 神の子羊イエス・キリストは、ご自身の肉のからだを神にささげ、死に打ち勝って新しいからだをいただかれました。死のないからだです。

 

 こうして、神の子羊イエスは、死に勝利し、死の国へと導く世に勝利を取られたのです。神が、世に打ち勝った勝利の主イエス・キリストにお与えになられたのは、永遠のいのちと、御霊による新しい創造と主権です。

 

 神は、キリスト・イエスによって女から生まれた肉の人を、世に勝利したイエスとひとつとなるキリストの御霊を与えて、真理の御霊の信仰によって、世に打ち勝つ神の子どもに創造されるのです。彼らは、御子のいのちを持つ者です。

 

 神によって生まれた者、すなわち、生かす御霊によって新しい創造を受ける者はみな、世に勝つのです。

 私たちの信仰、すなわち、イエスを神の御子と信じる信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。

 

 「このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。

 あかしするものが三つあります。

 もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。(イエスをキリスト〈救世主〉と告白することは、神の証言を持っているあかしです。)

 神の御子(イエス・キリストの御名)を信じる者は、このあかし(神のあかし)を自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。(神が救世主として遣わされた神の御子イエス・キリストを信じないことは、神を偽り者〈真理のない不真実な方〉とするのです。)

 そのあかしとは、神が(イエス・キリストを信じる)私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。

 御子(キリストの御霊)を持つ者はいのちを持っており、神の御子(真理の御霊)を持たない者はいのちを持っていません。

 私(ヨハネ)が神の御子の名を信じている(イエス・キリストを唯一の救世主と信じている)あなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが(信仰によってすでに)永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。」(ヨハネ第一5:6-13)

 

 水は、すべてのもののいのちの源です。

 「天の下の水は一所に集まれ。乾いた所が現われよ。」と神が仰せられると、そのようになり、神は、乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた、ということが聖書に書かれています。(創世記1:9,10)

 

 地は、水から現われました。よって、地の塵から造られた人は、水から現われたと言えます。目に見える現象は、水から現われたものなのです。

 神は、水から天地万物を現わされました。肉体を持つ人は水から生まれました。人は、現象として現われたのです。

 

 「救い主」として地上に遣わされた神のひとり子は、肉体を持つ人の子として来られました。霊なる神のひとり子として来られたのではありません。

 

 ヨハネは言います。

 「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、試しなさい。なぜなら、偽預言者がたくさん世に出て来たからです。

 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。」(ヨハネ第一4:1,2)

 

 イエスは、完全な人(堕罪前〈善悪を知る知識の木の実を食べる前〉のアダムのような罪のない完全な人)です。神のひとり子の姿で遣わされていません。

 イエスは、宇宙人でもなく、神々のひとりでもなく、聖人のひとりでもありません。人の子として来られたキリスト(救世主)です。

 

 また、イエスは、契約の血によって来られた方です。

 アブラハムは、神に命じられて、三歳の雌牛と三歳の雌やぎと三歳の雄羊とを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにしました。血が流されたのです。

 神は、切り裂かれたものの間を通り過ぎ、アブラハムと契約を結ばれました。

 創世記15:5-21に書かれています。

 

 神は、血をもって契約をなされます。

 神は、アブラハムと契約を結び、アブラハムの子孫のイスラエルと契約を結ばれました。そして、神の御子イエスは、ユダヤ民族のユダ族のダビデ王の子孫ヨセフの家に生まれたのです。

 

 キリストは、あらかじめ、定められていたのです。

 

 イエス・キリストは、神と人との契約の成就として来られました。

 アブラハムと契約を結び、イスラエルと契約を結び、ダビデ王に約束されたとおり、ユダヤ民族のダビデの系図の家に、キリストは生まれました。

 イエスは、ダビデの町ベツレヘムでお生まれになりました。こうして、イエス・キリストは、預言者の預言の成就として、契約の成就として、また約束の成就として来られたのです。

 

 イエスは、神の子羊として来られました。罪の贖いの血を流すために遣わされました。神が遣わされた救世主は、御救いのためにご自身の血を流されました。

 

 キリストは、肉体をもって世に来られ、ご自分の肉のからだを裂いて贖いの血を流し、神の民に、新しい契約を与えられました。

 

 神の御子イエスと契約を結ぶ者(神が遣わされた神の御子イエス・キリストを信じる者)に、神は、生かす御霊を授けられます。

 死に勝利し、世に打ち勝ったイエスは死から甦り、生かす御霊を授ける権威を神からいただくキリスト(救世主)となられました。

 

 キリストは、肉体を持って来られた人の子であり、贖いの血を流した神の子羊であり、聖霊のバプテスマを授ける方です。

 イエスは、真理の御霊、すなわち生かす御霊を授けられる「神のひとり子」、神が定められた唯一の救世主です。

 

 イエス・キリストのうちに死から甦るいのちがあり、キリストが与えられる生かす御霊は永遠のいのちなのです。

 

 宇宙人は世に勝つ者ではありません。永遠のいのちを得させる救い主ではありません。どんなに神の知識と知恵を知らせ、人間には知ることのできない宇宙の秘密を明かしたとしても、彼がメシアではありません。

 光の天から追放され、光の天に帰る術を持たない被造物のひとりなのです。彼らは、宇宙という漆黒の闇の生命体です。

 創造主を知るものですが、贖われていない神の子(堕天使)であり、神の子羊イエス・キリストの御名によらなければ、光の天に帰ることのできないものなのです。

 

 神が遣わされた唯一のキリストは、聖書の預言どおりダビデの子と呼ばれる人の子としてイスラエルのベツレヘムに生まれ、肉体を持って贖いの血を流し、死から甦って聖霊のバプテスマを授ける権威を、神から与えられた神の御子イエス・キリストです。

 

 神の御子イエス・キリストを信じる者は、神の子羊イエス・キリストの血によって罪が贖われ、自分の罪を言い表わして神に義とされた人であり、キリストの生かす御霊を受けて、永遠のいのちを持つ人です。

 

 「この方(神に遣わされた神の御子イエス・キリスト)こそ、まことの神、永遠のいのちです。

 子どもたちよ。偶像(真理ではない偽りのもの)を警戒しなさい。」(ヨハネ第一5:20,21)