ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエス・キリストは永遠のいのち

 

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世(神が造られた人)を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでに裁かれている。」(ヨハネ3:16-18)

 

 天におられた方、永遠に生きておられる神のひとり子がなぜ、天の栄光を捨てて、死の定められた不義の世界(地上)に来られたのでしょう。

 永遠のいのちは天にあり、天に住むものにあります。永遠に生きるいのちであり、死のない存在です。まさに、神のひとり子はそのようなお方です。

 

 天地万物が造られる以前から天に存在しておられた神のひとり子が、肉体をもってやって来られました。神のひとり子のいのちは死ぬことがありません。神の御子イエスは永遠のいのちです。天におられた時も永遠ならば、地に来られても、神のひとり子イエスの霊は全き光であって、罪も闇もありません。死のないいのちなのです。

 

 神のひとり子イエスは、(神の御子イエス・キリストを)信じる者がみな、永遠のいのちを持つために来られました。永遠のいのちを持つ者は死にません。永遠のいのちは天に属するものなので、天に上るいのちなのです。

 

 神は世を愛されました。神は、人が滅ぶことを望んでおられません。

 神がひとり子を世に遣わされたのは、悪い世を裁くためではありません。それは、天の神が遣わされた神のひとり子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、人の子イエス(主キリスト)と同じ永遠のいのちを持つためです。

 

 神は、御子イエス・キリストによって世を救う御計画です。

 神の御子イエス・キリストを信じる者がみな、「人の子」(死と滅びにのみこむ蛇の頭〈悪魔〉に勝利した女の子孫、すなわち十字架で罪の贖いの血を流した神の子羊イエス)にあって永遠のいのちを持つためです。

 

 神のひとり子イエス・キリストを信じる者はみな、裁かれません。神が御救いのために遣わされた神の御子キリスト(救世主)を信じたからです。

 信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでに裁かれています。すでに裁かれているとは、世には死と裁きが定まっているということです。

 

 「人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている。」(へブル9:27)

 神は世を愛され、裁きを逃れる道を用意されたのです。それが、神が遣わされた神の御子キリスト・イエスでした。

 

 人間は生まれつき、死と裁きが定まっています。その定めを破るために、神のひとり子は遣わされました。

 神は、イスラエルにお与えになった律法を廃棄し、イスラエルに永遠に生きるための新しい律法をお与えになられたように、世の裁きを廃棄し、世に永遠のいのちを得させるために、神のひとり子イエスを遣わされたのです。

 

 イエス・キリストは、とこしえの天と滅びゆく地との仲介者です。滅びゆく地にあって、ご自身(イエス・キリスト)の名によって、滅びの子悪魔の手から救い出して、とこしえの天に入る者としてくださいます。

 

 神は、永遠に生きるキリスト・イエスの御霊を、御子を信じる人々に授けられます。

 「神の御子を信じる者は、このあかし(私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。)を自分の心の中に持っています。

 神を信じない者は、神を偽り者とするのです。(神は救世主〈神のひとり子〉を遣わされないとするのです。)神が御子についてあかしされたことを信じないからです。(イエス・キリストは神の御子ではないとするのです。)

 そのあかし(父〈神〉の御心は、子〈神の御子イエス・キリスト〉を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。)とは、神が私たち(神の御子イエス・キリストを信じる者)に永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのち(永遠のいのち)が御子のうちにあるということです。

 御子を(心の中に)持つ者はいのちを持っており、(心の中に)神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」(ヨハネ第一5:10-12)

 

 あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。

 イエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。

 「(十字架上の)イエスは、酸い葡萄酒を受けられると、『完了した。』と言われた。そして、頭をたれて、霊を(父に)お渡しになった。

 その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置を総督ピラトに願った。

 それで、兵士たちが来て、イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。 

 しかし、イエスのところに来ると、イエスがすでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折らなかった。

 しかし、兵士のうちのひとりがイエスの脇腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。」(ヨハネ19:30-34)

 

 十字架で死なれたイエスの脇腹を槍で突き刺すと、ただちに水と血が出て来たとあります。イエスのからだから、罪を贖う血と罪をきよめる水が出て来ました。

 神は、神の子羊イエスの十字架のわざにより、贖いの子羊の血によって罪人の罪を赦し、神の御子キリスト・イエスを信じて罪の赦された罪人を義とされました。

 そして、キリストの御霊(生かす御霊)を与えて、聖なる神の子どもとされるのです。

 

 「キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身を生贄として罪を取り除くために、来られたのです。」(へブル9:26)

 それは、信じる者がみな、人の子(神の子羊イエス)にあって永遠のいのちを持つためです。

 

 ヨハネは言います。

 「私たちは神からの者(神の御子イエス・キリストにあって神の子ども)であり、全世界は悪い者(悪魔)の支配下にあることを知っています。 

 しかし、神の御子(イエス・キリスト)が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方(神の御子イエス・キリスト)こそ、まことの神、永遠のいのちです。」(ヨハネ第一5:19,20)

 

 天から来られたイエス・キリストは、私たちに真理の御霊を与えて、御霊によって真理(神)を知る者としてくださいました。私たちは、イエスが霊的な理解力を与えてくださらなければ、私的解釈して真理を悟ることのできない人間です。

 神の御子イエス・キリストにおいて、聖書に書かれている預言(御救い)は成就し、また、父なる神のことや天の御国のことを知らされました。イエスのことばは、いのちのことばです。ことごとく成就します。

 イエス・キリストが永遠のいのちなので、彼のことばもまたいのちなのです。イエス・キリストを信じる者は、神の御子イエス・キリストを心に持つ者であり、永遠のいのちを持つ者なのです。