ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本の国造りと国譲り

 

 古事記には、大国主命と少彦名神の二柱の神が互いに協力して、国を造り始めたことが書かれています。

 

 日本神話に登場する神々を、私は、イスラエルの君ミカエルのように神の被造物に仕える御使いのように思っています。

 日本列島を造り、国を失った神の民(ユダヤ人)のもう一つの住まいとして整え、悪しき者たちから日本国を守るために、神に働きを任されている御使いのように思うのです。

 

 水を司る御使い、火を司る御使い、風を司る御使い、土地を守る御使い、また、神が召された人々に仕える御使いたちに、日本人はそれぞれ神の名をつけたように感じるのです。

 

 大国主命は少彦名命とともに、平和で安らぎのある縄文の世界を造ったのでしょう。すべてのもののうちに目に見えない神を認め自然と調和する世界だったことでしょう。

 人は太陽の恵み、雨の恵み、自然の恵みに感謝し、鳥や生き物と共生する神の被造物の一つでした。いのちを慈しむ穏やかな人々で争いはなく、すべてのものは神を現わすひとつのいのちで共存していました。

 

 かつて、ノアやアブラハムが持っていた信仰です。神を恐れる正しい人々の世界です。しかし、縄文人にはひとりの神という知識はなく、すべてのものにいのちが宿るという純朴な魂を持つ人々です。何ものかに生かされていることを知る人々でした。

 

 神は、このような自然の中に神の存在を認める穏やかでへりくだったアブラハムの信仰のような人々の国を、日本列島に造られたのです。

 彼らは、アブラハムの血肉の子孫たちかと思うほどの純真な信心の持ち主です。

 

 「アブラハムは自分の全財産を(相続人として神が定められた、妻サラのひとり子)イサクに与えた。

 しかしアブラハムのそばめたちの子らには、アブラハムは贈り物を与え、彼(父アブラハム)の生存中に、彼ら(アブラハムのそばめの子ら)を東のほう、東方の国にやって、自分(の財産を受け継ぐ跡取り息子であり「アブラハムの子孫」と神がお呼びになる)子イサクから遠ざけた。」(創世記25:5,6)

 

 アブラハムのそばめの子らは東方に向かって行って、日本列島に辿り着いた人々もいたのではないでしょうか。

 彼らは、大国主神が少彦名神とともに国造りをした国の縄文人の一部だったように思います。縄文人の世界は豊かなコミュニティであり、まだ大国主神の国造りは完成していませんでした。

 

 さて、少彦名神は、常世の国に旅立ってしまいました。

 取り残された大国主神が「私一人でどうしてこの国造りができようか。」と言うと、海上を照らして近寄って来る神がありました。

 

 その神は、「よく私(大物主)の御魂を鎮め祀れば、私はあなた(大国主)とよく協力して、国造りを完成させよう、もしそうしなければ、国は完成し難いだろう。」と言いました。

 

 大国主神が「あなたの御魂(みたま)を鎮め祀るには、どうしたらよいのでしょうか。」と尋ねると、大物主神は答えて、「私の御魂を大和(やまと)の、青々と垣のようにめぐらしている山々の、その東の山のほとりに、身を清めて祀りなさい。」と言いました。こうして、大物主神は、御諸山のほとりに(奈良県の三輪山)に鎮座されました。

 

 この大物主は、アッシリアに捕囚され、アッシリアに戦争が始まると同時にアッシリアを出て東に向かって日本列島に辿り着いた、北イスラエルの人々ではないのかと思います。

 

 縄文人は、信仰があっても、信仰の対象となる存在について明確ではなかったと思います。まさに、知られざる神を敬っていたのでしょう。

 

 北イスラエル王国のユダヤ人たちの神の儀式を見て驚いたことでしょう。そして、彼らとともに神がおられると確信して、神の存在を明確にし神のことを教えてくれる彼らを尊び、敬ったのではないのかと思います。

 

 律法は違反する人のためにあります。平和な縄文人に律法はいりません。神の国を造るためにうるさく言う国常立神は、鬼門とされる丑寅(東北の方角)に封印されました。神に背くことへの呪いを告げる「艮の金神(うしとらのこんじん)」は祟り神として畏れられたからです。

 

 大国主神は、大物主神とともに日本の国づくりを完成します。それぞれのコミュニティが、みな同じ神によって同じ志を持つ国民となり、神を中心とするひとつの国のかたちとなりました。

 

 下界を見て大国主神の国を御覧になった天に住まわれる高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)と天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、天照大御神の子に、その国を治めさせようとされました。

 

 国譲りをするように、天照大御神は大国主神に使いを送りますが、使者は帰って来ません。使者たちは大国主神に仕える者となってしまいました。

 とうとう、強い建御雷神(タケミカヅチノカミ)を遣わし、「天照大御神と高御産巣日神の仰せである。おまえ(大国主)が領有している葦原の中つ国は、天照大御神の子が治める国であるぞ。おまえの意志はどうなのか。」と尋ねます。

 

 大国主神は、「息子の事代主神が答えましょう。」と言いました。事代主神は、父に、「天つ神の仰せられることです。この国は天つ神の御子に差し上げましょう。」と言い、もうひとりの息子は力比べで勝負したいと言い、あっさりと負けてしまいました。

 

 大国主神の国造りによって築かれた「豊葦原の瑞穂国」は、あらゆるものが豊かで、力強い国でした。国造りの後、大国主神は天照大御神に国をお譲りになり、天照大御神の孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が治めました。

 天照大御神は、大国主神の国造りの大業をねぎらい、大国主神のために宇迦山の麓に壮大な宮殿を造営し、永久にお鎮まりになる場所(出雲大社)をお与えになり、「目に見えない世界を司り、『むすび』(聖書でいう聖霊)の御霊力によって人々の幸福を導いておくれ。」と仰せられました。

 

 大国主神は少彦名神とともに国造りをはじめて、大物主神とともに完成されました。そして、その国は、天照大御神に譲られました。

 

 私には、日本神話の天御中主神(アメノミナカヌシ)、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、神御産巣日神(カミムスヒノカミ)の造化三神は、聖書の父なる神、聖霊、子なるキリストのことのように思われてなりません。

 

 日本神話を、ユダヤの神と重ねてみると、日本の国づくりをした大国主神は、渡来して来た大物主神(ユダヤ十二部族の長子エフライム〈ヨセフ族〉がいる北イスラエル王国の神の民)とともに、縄文人の意識を神御自身に向けさせ礼拝する者とすることに成功し、神の国のかたちを造りました。縄文の世界は、祭司のいる国とされました。

 

 南ユダ王国の神の民が渡来すると、高御産巣日神(聖霊)が、大国主神と大物主神(北イスラエル王国のユダヤ人)に、天照大御神(イスラエル十二部族の王ダビデの子孫のいるユダ族)に国を譲るように導いたと考えられます。

 

 イスラエルは、北イスラエル王国と南ユダ王国の二つに分裂しており、両者のにらみ合いがあったと思われます。北イスラエル王国は南ユダ王国に支配されたくはなく、また、南ユダ王国は、ダビデの子孫を王に立てたかったことでしょう。

 

 聖霊は、支配権を南ユダ王国に置くようにと導かれました。

 

 北イスラエル王国が捕囚されたならば、ダビデ王の跡継ぎはイスラエルの地を出て身を守るようにと預言されていたとの話もあるようです。

 ユダ族のインマヌエル王子が日本の初代天皇の神武天皇という見解もあるようです。

 

 神は、北も南も捕囚されることを知っておられて、ダビデの子孫(イスラエルの王)が途絶えないように守るために、先に北イスラエル王国のユダヤ人によって神を恐れる神の民を整えて、その神の御心にかなう国造りがされた日本列島にインマヌエル王子を導き入れられたように思われます。

 

 自然の中に畏れ多い方の霊と深い愛と慈しみを日々体験しつつ自然と調和し生き物と共生していた縄文人に、渡来した北イスラエル王国のユダヤ人は、全能の神の存在を知らせ、神が宿ると思われる木や岩を祀る民としました。

 

 自然への感謝や被造物と一体化する信仰から、神という存在を現わす石や木を祀ることで、世界に満ち満ちておられる霊を、礼拝対象の神として体験しました。

 

 南ユダ王国のユダヤ人が渡来すると、社(やしろ)を造り、神の住まわれる神殿で礼拝することが始まりました。

 

 天照大御神の時代が完成しようとしています。日本全国に、多くの神々(実は、神の働きを担う御使いたちなのではないのかと思います。彼らは、日本人を災いから守り、日本人の幸福のためにそれぞれのお社で、天の神に仕えています。)

 

 終わりの時代に、日月神事を降ろした「うしとらの金神」(厳格で細かくうるさいと言って、ほかの神々に丑寅の方角に閉じ込められていた国常立神〈クニトコタチノカミ〉)が出て来て、神の国の国造りのために働かれるような気がします。

 100%実現すると言われる「日月神事」を岡本天明に降ろした神は、この「うしとらの金神」です。

 

 「天御中主神」(聖書の父なる神にあたる存在)が人間の目で見える姿で現れたのが、「国常立神」と言われているそうです。神の御子イエス・キリストみたいですね。

 

 神は、罪が贖われたとこしえの神の国をカナンの地に完成するために、イスラエルの残りの者を日本の地に残しておられたのでしょう。

 

 神は終わりの時に救いの働きをするユダヤ人たちを日本の中に残しておられました。日本人の中に隠されたユダヤ人たちに真理の御霊を注いで新しい人(御霊の人)を創造し、日本を贖って日本人を救いへと導き、また、世界の人々を救いに導く者とされるのでしょう。

 

 天照大御神から国常立神に国譲りがされると、物質的な神の国ではなく、とこしえの神の国の建国(御霊の教会の完成)が日本から始まって、世界に広げられることでしょう。

 

 縄文の魂の目覚め、ユダヤ人の伝承を持つユダヤ系(出雲系)の魂の目覚め、神の秩序をわきまえて神を礼拝する大和系の魂が目覚めることは、とこしえの神の国の国造りの鍵となるのでしょう。