ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イスラエルに立ついのちの木

 

 神は神のことばから外れたアダムとエバを、エデンの園から追放し、彼らが罪あるままで永遠に生きることがないように、いのちの木への道をふさがれました。

 

 いのちの木は、永遠のいのちを得させるいのちの実をならせる木です。いのちの木の実を食べる者は、神の御前に永遠に生きる者となります。

 

 いのちの木は、ケルビム(いのちの木を守護する御使い)と輪を描いて回る炎の剣によって守られました。

 輪を描いて回る炎の剣をくぐり抜けなければ、いのちの木に到達できません。剣は炎を帯びて回転しています。そこをくぐり抜けようとすれば、剣に切り刻まれて焼き尽くされてしまうのです。だれも、その回転する炎の剣をくぐり抜けて生きたまま、いのちの木に到達することはできないのです。到達する前に、剣で死ぬことが定められているからです。

 

 憐れみ深い主は、アダムの子孫が悪しき者たち(悪魔と悪霊ども)に捕えられて苦しめられ、嘆くのを御覧になって、悪魔を滅ぼすキリストの権威を神のひとり子にお与えになりました。

 

 神は、神のひとり子キリストのために、地上に道を造られました。神の御子を遣わすために、神の御子を迎える国民を用意されたのです。

 

 神は、神を恐れる正しい人アブラハムを選び、アブラハムの子孫に、イスラエル(神と戦い、人と戦って、神のものを選び取った信仰の勝利者ヤコブの子孫ユダヤ民族)を造られました。

 

 神は、イスラエルと契約を結び、契約のしるしのある割礼の民イスラエルに、神の律法(モーセの律法)を授けられました。

 神は、イスラエルに神のことばを与えて、聖め、ほかの民族と区別されたのです。イスラエルは、全地にわたって、神に聖別された唯一の民族です。

 

 神は、イスラエルに、祭司を立てて、神に仕える神の民として養われました。神は、預言者たちを起こして、イスラエルを神のことばにへりくだり、神のことばに聞き従う聖なる国民として育てられたのです。

 

 神のことばから外れてエデンの園から追放されたアダムの子孫の世界に、神は、神のことばに聞き従う国民を新しく造られました。彼ら(イスラエル)は、世の罪を取り除き、世を救う救世主(神のキリスト)を、世界に迎えるために造られた国民でした。

 

 神は祭司と預言者によって導いておられたイスラエルに、御自身がお選びになったダビデを王として立てて「イスラエルの王」とし、イスラエル王国とされました。

 

 こうして、神は、神の祭司の民(ユダヤ民族)をひとつの国民(イスラエル王国)として整えられました。

 神は、ダビデに仰せられました。

 「わたし(主)が、あなた(ダビデ)のために家(神の家)を建てる。」(サムエル第二7:27)

 

 また、神はダビデに誓われました。

 「あなた(ダビデ)の日数(寿命)が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子(ソロモン)を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。

 彼はわたしの名のために一つの家(神殿)を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(サムエル第二7:12,13)

 「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座(ダビデの王座)はとこしえまでも堅く立つ。」(サムエル第二7:16)

 

 神は、ダビデの王座に、御自身の御子キリストをとこしえの王として着座させられるのです。

 

 神は、神がねんごろに育てられたこの国民(イスラエル)に、神のひとり子を遣わされました。ダビデの町ベツレヘムで、ダビデの子孫ヨセフに生まれたイエス・キリストです。

 

 神のひとり子は、神とともに天地万物を造られた「神のことば」です。神のことばが肉体を持つ人の子の姿で、イスラエルに来られました。

 「神のことば」であるイエス・キリストは、十字架につけられて血を流して死なれました。キリストは、ユダヤ人たちの心をつかんで奴隷としているこの世の君「悪魔」によって殺されました。

 

 しかし、キリストは愛によって悪魔に勝利されました。ご自分を憎み嘲りののしるユダヤ人たちを赦して、裁き主であられる父なる神の御前に執り成されたのです。

 「父よ。彼ら(ユダヤ人)をお赦しください。彼ら(イスラエル)は、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)

 

 イエスはユダヤ人を赦し、父もまた、ユダヤ人を赦されました。赦しが憎しみに勝利し、神は、キリストを死者の中から甦らせられました。いのちが死に打ち勝ったのです。

 

 キリストは、イスラエルから出た救世主です。そして、ご自分の肉体を切り刻んで人々の憎しみと呪いとに焼き尽くされて、いのちの木への道を開いてくださいました。

 

 そして、神は、神の子羊イエスという姿でイスラエルに立つキリストを、永遠のいのちを得させる救世主とされたのです。

 永遠のいのちを得させるものは、エデンの園のいのちの木の実です。神は、いのちの木への道が閉ざされたアダムの子孫に、神の御子イエスをいのちの木として、イスラエルに植えてくださいました。

 

 いのちの木はエデンの園に植わっていた木です。神が地上にいのちの木の植えられた場所はエルサレムでした。

 

 イエス・キリストは、イスラエルに立つ救世主です。

 神とイスラエルとの契約によって、旧約聖書にある約束に基づいて天から遣わされたキリストは、ユダヤ人として生まれた神の御子イエス・キリストです。

 

 救いはユダヤ人から出ると神はお定めになっておられます。救いはユダヤ人から離れてはいないのです。イエス・キリストからいのちの木の実(すなわり、キリストの御霊)を得る者は、ユダヤ人から救いをいただいたことになります。

 

 救いの約束は、ユダヤ人とともにあり、ユダヤ民族の国イスラエルに属しています。イスラエルから離れた救いの道は存在しません。

 

 もし、イスラエルから出ていない救世主や救いの道を説く者がいるならば、それは偽り者です。神から出た者ではありません。神から出ていないならば、その者が説く教えでは、永遠のいのちは得られないということになります。

 

 神が地上に送られた、永遠のいのちを得させるとこしえのいのちの木は、ユダヤ人から出たイエス・キリストただひとりです。

 

  多くの教会は、イエス・キリストを信じるけれども、イエス・キリストの立っておられる土台(イスラエル)を憎みます。あるいは、呪います。呪いはいのちを止めます。御霊を消します。死をもたらすのです。

 

 イスラエルを呪う者は、イエス・キリストのいのちの木の根を枯らします。イエス・キリストのいのちの福音を死に追いやっているのです。いのちを得させない枯れに枯れたキリストの福音を広げているだけなのです。

 

 イスラエルに植わったイエス・キリストの福音(イスラエルを祝福する者たちの中にキリストの御霊が住まわれ、いのちの道へと導かれる、そして永遠のいのちを得させる)は、真理を求める人々に見いだされます。

 

 人間の中にはアダムがいます。人がイエス・キリストに目を向け、彼を救い主と信じるならば、その人のうちに第二のアダムが新しく創造されます。

 神のことばから外れたアダムが、イエス・キリストのことばを受け入れるならば、キリストの御霊が来て、神のことばと死んでいたアダムとを繋いでくださいます。そして、永遠のいのちを得る第二のアダム(キリストのからだ)に造り変えてくださるのです。

 

 イスラエルの王、ダビデの王座にとこしえに堅く立つイエス・キリストの民を、神は、新しく創造しておられます。

 神との契約を持つイスラエルを土台とする救世主イエス・キリストが、永遠のいのち【真理の御霊】を得て、新しく創造された民を集められます。

 

 イスラエルの王イエス・キリストは、永遠のいのち【真理の御霊】を得させる救世主、とこしえにイスラエルに立ついのちの木なのです。