ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

仏陀の明けの明星はキリストの出現を予言してたの?


  高校生の頃、赦せない人がいました。憎しみは増すばかりです。

  こんな憎しみを心に抱く私に、自分自身が失望しました。小学生の時から明るめの子だったと思います。

  でも、私の心は見ていたのです。醜い私を。こんなに人を憎んで悪い人間だ。おまえなんか、誰にも愛されない。人々はおまえの心が見えないから知らないだけだ。

  良い子であろうとしていた自分にごまかされ、悪い人間ではないと自己評価する私がいました。今は、自分に裏切られた失望感を抱えています。

  救いを求めました。毎晩、般若心経を唱えていました。「邪念を捨てろ。無心になれ」の思いが差し込まれました。

  大学は浄土真宗の大学で、社会福祉を専攻しました。「仏陀」の講義は必修科目でした。

  仏陀の講義で、私の心に留まる二つの言葉がありました。仏陀が弟子に残した言葉です。

  「わたしが得た悟りは、わたしから出たものではない。もともと在ったものを見出したにすぎない。」
  「わたしは悟りを得て悟ったが、わたしのあとに、この悟りを行い実践して生きる方が現れる。わたしのあとに明けの明星が現れる。」

  仏陀は知識と智慧を持っている。そして、教える事も出来る。でも、教えを受けた者が、その悟りの境地に到達するのは雲を掴むようだ。誰もが涅槃とやらに辿り着くものではなさそうだ。

  どうしたらいいんだろう。自分の力で辿り着くのは至難の業。まず、無理だ。目の前にぼんやりとした希望の明かりを見ながら、そこに辿り着く事が出来ない。

  すべての悩みから解き放される境地へは、凡人には辿り着く事は勿論の事、知る事も見る事も出来ない。よほど高尚な精神の持ち主でなければ、悟れないでしょう。

  仏陀の残した希望の言葉。仏陀のあとに明けの明星が現れるらしい。仏陀ではない別の人が現れた時、その人が今はぼんやりとしている境地を明らかにしてくれる。そして、そこに辿り着く道を実践して教えてくれる、と言う。

  仏陀の約五百年後に、キリストがイスラエルのベツレヘムで生まれています。

  その時、三人の東方の賢者が「ユダヤ人の王がお生まれになった事を星によって知りました」と星に導かれて遠い旅路の末にイエスに辿り着いて、幼いイエスに宝物を捧げてイエスを拝み礼拝しています。

  これらの賢者達は、仏陀の言葉を信じて明けの明星を待ち望む仏陀の弟子から引き継いで、明けの明星を待ち続けた小さな群れの人だったと私は考えます。

  仏陀の教えの何を受け継ぐかで、目指すところが変わります。これらの賢者達は仏陀の教えではなく、仏陀が遺した言葉を守る、忠実な群れにいた人達ではないのかと思っています。

  仏陀が言い遺した言葉、明けの明星なる人が来た時、すべてが明らかになる。

  聖書の黙示録22:16に「わたし、イエスはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である」とイエスご自身が、ご自身のことを"明けの明星"と名乗っておられます。

  聖書の中に明けの明星という言葉を見つけた時、仏陀の言葉を思い出したのでした。仏陀の言っていた、すべての真理を明らかにしてくれる明けの明星とは、キリストの事だったのでは、と思い至りました。

  真理を仏教に求めたけれど出会えず、明けの明星という言葉だけが残っていました。イエス様が明けの明星である事を知って、いつの間にか自分が求めていた所にちゃんと辿り着いていたんだと思いました。

  仏陀が語った明けの明星とは、ユダヤに生まれるイエスキリストを指していたと思われてなりません。

  仏陀入滅後、明けの明星の出現を待ち望む弟子達が祈り待ち望んでいる中で、神が彼らに、生まれる場所や星のしるし等について示していかれたように思います。

  神は世界にひとりしかおられません。全世界は神のものだから、真剣に生老病死からの救いを求めた仏陀に、救い主キリストの出現をお示しになったんだと思います。

  だから、五百年以上前に、明けの明星が出現する事を悟り得たのでしょう。仏陀は瞑想の彼方に、それとは知らずに天地万物の神を見たのでしょう。


  仏教の中には真理の種がありました。人間を知る事は出来ます。でも、救いには至りませんでした。生老病死の悩みの克服は人の精神にかかっていました。

  聖書の中に真理の実がありました。生老病死からの救いの答えがありました。人には出来ない事だから人に代わってキリストが克服し、この勝利者であるキリストを信じてキリストの陣営に入れば、救われた者、天で生きる新しい創造の人とされる。

  仏教の中に見つける事の出来なかった本当の救いを、キリストから得る事が出来ました。それは、哲学ではなく、宗教ではなく、確かな実体でした。

  神が用意された「永遠のいのち」。これが、仏陀が生涯かけて求め続けたものだったんだと思います。

  この永遠のいのちは、すべての悩みの原因である罪を犯す源の原罪、生まれ持つ原罪の力、死の呪いを十字架で滅ぼし砕いたイエスによって、明けの明星によって得られるものだったのです。

  悟りを授けられた仏陀は、死んで墓に入りました。今尚、墓の中です。仏陀の教えが弟子に受け継がれて悟りの境地へと導いています。

  仏陀自身は、死から戻って死後の世界の事を教えたり、死んだ後の救いや必ず涅槃に入るという保証の言葉は残していません。


  明けの明星のキリストは、人類の罪の身代わりとなって十字架で処刑され、墓に入りました。そして、死に勝利して三日目に墓から甦りました。

  新しい霊の体で甦ったイエスは弟子達に現れて、自分が天から来た人類の救い主キリストである事を知らせ、イエスを神から遣わされた救い主と信じる者は、ご自身のように、一度死んでも霊の体で甦り永遠に生きる神の子とされると約束されました。

  仏陀はこの天から来られるメシアの到来を知り、明けの明星を待ち望んだ一人だったのではないでしょうか。