エホバの証人の人が来られました。
どんな教えなのか、どう違うのか、話をしてみようと思い、玄関先で立ち話をしました。
私も聖書を用意しました。教会で使っている聖書は縦書きです。エホバの証人の人の聖書は横書きでした。
あれこれ質問しながら、話を進めていかれます。質問に答えられる事が分かると、これはクリスチャンも答えられないという、キリストの言葉とは違う旧約聖書の箇所から攻めて来ます。
言葉に詰まりました。とうとう、理解し兼ねる聖句を突き付けてきました。エホバの証人の人は、してやったりと、したり顔です。
きっと、この聖句をあげたら、クリスチャンは答える事が出来ない、と王国会館で教育されているんだな、と思いました。
こうして、生まれたてのクリスチャンを引き込んでいくんだな、と思いました。クリスチャンよりも、自分達の方が、聖書に詳しいと思わせるんでしょうね。
今度は私からの質問です。質問に、にこにこ笑顔で答えていかれます。
イエスに対する位置づけが、違うように感じました。イエスが神の御子であるという事がぼんやりとしているのです。ぼんやりというよりも信じてなさそうなのです。
聖書の中でイエスは、「わたしが道であり、真理であり、いのちです。わたしを通らなければ、誰ひとり御父のみもとに来ることは無い」と言っています。
イエスが、天の神である万物を造られた天の御父のもとに帰る唯一の道(方法)であり、真理(神のことば)であり、救いを与えるいのち(永遠のいのち)である。十字架で死の呪いに勝利し、死から復活したイエスが、神が認められる、唯一天から遣わされた救い主キリストである、と書かれているのです。
キリストの使徒ペテロは、「キリスト以外には、誰によっても救いはありません。世界中で主の御名のほかには、私達が救われる名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです」と言っています。
聖書を使いながら、どうして、この大事な真理を見落としてしまうのでしょう。
わかったことは、エホバの証人の人も聖書の言葉を全部は理解していないという事でした。
私に矢継ぎ早に質問した同一人物とは思えないほど、しどろもどろです。もう、立ち去りたいという様子です。
最後の質問。「あなたは、天国に行く確信はありますか?」
滅相もないというように手を振り、「私なんかとんでもない。天国に入るのは、選ばれた十四万四千人だけです。」と言うのです。
では、この人は天国に行かないでどこへ行くつもりなんだろう。天国の希望が無いのに、どうしてこんなに熱心に活動出来るんだろう。
エホバ(天地創造の神)を直接見て知っているのは、世の始まる前から御父とともにおられたイエスだけ。エホバの証人はイエスひとりしかいないはず。
エホバの事を教えてくれたのはイエスです。私達はキリストのことばを聞いて、神を知り、天国の事を知り、永遠のいのちの事を知ったのです。
「私達は、イエスが天から神に遣わされた神の子羊キリスト(救世主)であること、子羊イエスの贖いの死によって、罪が赦され死と滅びの呪いから救い出されたこと、そして、イエスが現してくれた天の父なる神を伝え知らせる者、キリストの教えを守る者、また、十字架にかかって死に、三日目に復活されたキリストの史実、キリストのわざを証しする証人なのではないですか?」
エホバの証人の人は大きな声を出しました。「全然違いますね‼」エホバの証人の教えとキリスト教会の教えが全然違うと言って驚いた様子でした。
私は言いました。「そうでしょう。全然違うでしょう。だから、自分達の事をクリスチャンって言わないで下さいね。紛らわしいですから。」
もうこれ以上聞きたくないというように、ドアを開けたと思ったら、慌てて出て行きました。
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