ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

心を定める

 

 今、多くの人々によって、2024年は二極化する年で、2025年にはほぼ完全に分かれる、と言われています。

 

 二極化とは、人類が陽と陰とに分かれるということです。ポジティブな心になる人とネガティブな心になる人と分かれるのです。

 

 聖書の神を信じるユダヤ会堂やキリスト教会から出た啓示ではありません。啓示を受ける人々はほかにいるのです。

 神道の神示や巫女であったり、仏教の瞑想であったり、霊魂との交霊をするシャーマンや占い師や宇宙と交信する人やスピリチュアルなことの開かれた人々が声をあげています。

 

 本来、永遠の昔から生きておられる生けるまことの神に仕える聖書の民が声をあげて、世界に警告しなければならないでしょうが、聖書のみことばは知っていても、生ける神との交わりを持たない教会は、神の啓示を受け取る力が弱いからです。

 

 聖書のみことばは、人間の私的解釈では理解できないものです。神の与えられる真理の御霊に助けられなければ、真理の宝(神のみことば)を持ちながらそれを読み解くことができません。

 

 使徒ヨハネは、主キリスト・イエスが天に上げられた後で聖霊のバプテスマを受けて、御霊の働きを務めた後に、天の神の御座の右に座しておられるキリストから黙示をいただきました。これから起こることを告げられたのです。

 

 神が最初に世の終わりのプログラムを知らされたのは、キリストの弟子のヨハネでした。聖書の民です。しかし、ユダヤ教徒ではありません。神の子羊イエスの血で贖われ、真理の御霊を授けられた新しい創造の、聖霊の器のヨハネです。新約聖書(神の御子イエス・キリストのみことば)の民、キリストのしもべです。

 

 神は、旧約聖書でもダニエルやそのほかの預言者たちに示しておられました。そして、終わりの時にユダヤ人から起こる救世主を遣わすことを告げておられました。

 しかし、旧約聖書の預言者たちは、イエス・キリストを見たこともイエスのことばを聞いたこともない人々です。

 

 「イエスは、弟子たちのほうに向いて、ひそかに言われた。

 『あなたがた(イエスの弟子たち)の見ていることを見る目は幸いです。(弟子たちの前で行なったイエスの奇蹟やしるし。実に、弟子たちはナザレのイエスを通して生ける神〈御父〉の栄光を見ました。そして、次に人々はキリスト〈復活されたイエス〉の弟子たちを通して御霊の力によりキリストの栄光を見るのです。)

 あなたがたに言いますが、(神のみことばを仰ぐ旧約の)多くの預言者や王たちがあなたがたの見ていること(神の御子イエス・キリストの栄光)を見たいと願ったのに、(その時ではなかったので)見られなかったのです。

 また、あなたがたの聞いていること(神から遣わされた神の御子イエス・キリストのことば)を聞きたいと願ったのに、聞けなかったのです。」(ルカ10:23,24)

 

 「今は恵みの時、今は救いの日です。」(コリント第ニ6:2)

 終わりの時、神は、聖書の民の垣根を越えて、真理を追究する人々に啓示の光を照らされます。

 

 日本において、神道では弥勒の世に入るために身魂を磨くようにと忠告します。仏教では救いを求めて救いの名(念仏)を唱え、慈悲の心をもって歩み備えることを言います。

 スピリチュアルな働きの人々は、終わりに起こることを知らせます。ネガティブな情報として伝える人々もいますし、新しい世界に入る希望を伝え、新しい世界に備えるように励ます人々もいます。

 

 神道のいう「弥勒の世」、仏教のいう「三千世界」、キリスト教のいうキリストが治められる「千年王国」が地上に来ようとしているのです。

 新しい世が建てられるために、今までの世は壊されなければなりません。

 弥勒の世は、大峠を通り、大建て替えがなされて実現するとされます。

 千年王国が地上に建てられるために、世は患難期を通らなければなりません。

 

 光を求める人々は、弥勒の世、三千世界、千年王国に心を向けます。

 闇の中に留まる人々は、大峠、患難期に思いを向けます。

 

 黙示録を記したヨハネは、終わりの時代のキリスト教会の有様を見て、非常に驚きました。キリストがヨハネに約二千年後の世界、すなわち現在の世界を見せられたのです。

 

 「私(ヨハネ)はこの女(ローマ法王を頭とするキリストの名を名乗るからだ)が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。(歴史の中で、ユダヤ人を殺戮し、使徒たちを殺戮し、真理を求める聖徒らを虫けらのようにつぶして来ました。)私(ヨハネ)はこの女(イエス・キリストの名を名乗る教会)を見たとき、非常に驚いた。」(黙示録17:6)

 

 イエスが甦られたあと、復活のキリスト・イエスにお会いした弟子たちの信仰は確証に変わり、キリストに約束された真理の御霊を受けて奮い立たせられ、死に至るまで大胆に、復活のキリストの福音を宣べ伝えました。

 そのとき、御霊は働かれ、イエスと同じような奇蹟としるしが現われました。病人は癒され、悪霊に憑かれた者から悪霊が追い出され、死んだ者が生き返りました。多くの人が信じ、真理の御霊を受けて新しく生まれ、永遠のいのちを得る人々でキリストのからだは成長していったのです。

 

 教会では生かす御霊によって、いのちのことばが語られました。いのちのことばは、人々に真理を知らせ、生かす御霊を受ける人々がキリストのからだに加えられたのです。

 

 しかし、ヨハネが見た終わりの時代の教会は、イエス・キリストの教えよりもローマ法王の言葉に耳を傾け、イエスの母マリアを無原罪の人として崇め、聖母マリアに愛を抱き、マリアに執り成しを願うのです。また、十字架につけられたままの裸のイエスの像をながめているのです。

 

 イエスは死から甦られました。もう、肉の人ではないのです。永遠に生きる新しいからだのキリストです。キリストの教会は、父の栄光を現わさなければなりません。永遠のいのちを得させてくださる父を礼拝し、救い主キリスト・イエスが授けてくださる、約束のもうひとりの助け主「真理の御霊」によって、神に仕えるはずでした。それが、キリストをかしらとするキリストのからだなのです。

 

 聖霊は、ひとりひとりに、全知全能の主(父なる神)を「アバ、父。」と呼ぶ御霊を分け与えられました。御霊を受けた私たちは、神の子どもとしての新しい生き方を得ました。肉によって生きる者ではなく、御霊によって生き、天の御国にふさわしい者としての新しい創造をいただくのです。

 人間の知識や知恵ではなく、真理の御霊の知識と知恵によって導かれるのです。聖霊による新しい創造の人々は、イエス・キリストの歩まれた、天の父のみもとに帰るいのちの道を歩み、天の御国に希望を持ちます。

 

 ヨハネが見た終わりの時代の教会は、父なる神に代わってローマ法王を「パパ様」と呼び、聖霊に代わって聖母マリアを助け主とします。そして、死に勝利されたキリストをいつまでも肉のからだの中に閉じ込め十字架の上につけたままです。

 

 それゆえ、神は、聖書を知りながら迷っている教会に真理を隠し、教会の外にいる人々、他宗教であっても救いを求める純粋な人々に啓示を与えておられます。 

 それは、終わりの日が迫っているからです。残された時は少ないのです。神の民(聖書の民であるユダヤ教徒、キリスト教徒)が眠っているならば、世界を救うために、神は他のところから救いを起こされます。

 

 もうすでに、救いを求める人々は、それらのことばのもとに集まっています。

 そして、終わりの日に、神が立てられる世界を救うお役目の人は、日本の神道から、また日本の仏教から起こるのだと思います。

 キリストの血で贖われた聖霊の器である人(白い兄)が、真理の御霊に導かれてイスラエルのメシアとアロンのメシアのふたりを立たせ、終わりの日のために備えさせるのでしょう。

 

 この三人は、世界中に起こされる神に召された十四万四千人のユダヤ人に生ける神の印(父の名と子羊の名)を押す人々です。

 

 教会の外で、聖書を知らない人々のうちで、終わりの日のことが啓かれており、彼らの啓示の発信により、終わりを知る人々が起こされています。

 しかし、永遠のいのちを得させるのは、神がお与えになる真理の御霊によります。終わりの日の知識があっても、神が授けられる真理の御霊によらなければ、新しい世に入ることができません。

 

 新しい世に導くのは、神が神の子羊イエス・キリストの御名によって遣わされる助け主(天に帰るいのちの道に導く神の御霊)です。

 

 今、神は、教会の垣を越えて働いておられますが、時が来れば、すべての者を贖い、真理の御霊を注がれるでしょう。その時、人々は、救世主を遣わされたいのちの神、私たちを造られた創造主である父なる神を知り、私たちの罪を贖われた十字架の子羊イエスが天の神の遣わされた唯一のキリストであることを悟るでしょう。

 

 今年、人々は、これからの世を案じて不安になるか、救いを求めて救いのことばを求めるか。今の時代に起こる事柄(災害、疫病、悪者の横行など)の中で、ひとりひとりが選択するのです。

 

 これからますます世は悪くなりますが、新しい世が来ることを信じ、その新しい世に入ることを願う人々が、どんな情報が行き交っても、希望に満ちた新しい世が来ることを信じて、その道に入ることを心に定めるならば、その人はその道に導かれて行くことでしょう。