『主の愛のながうちに』という聖歌のおりかえし部分が好きでした。そして、三番を好んで賛美していました。
通りよき管となり み恵みを取り次がん
御霊にて満ち溢れ み栄えを現さん
(おりかえし)
用いたまえ わが主よ 用いたまえ 我をも
み恵みを取り次ぐに 通りよき管として
宣教師のもとで働いていた時のことです。
その教団の教会の牧師が他教会の奉仕等の都合で、日曜礼拝の奉仕が出来ない場合、宣教師がメッセージに出掛けていました。
ところが、ある日曜日、宣教師に代わって私が行くことになりました。
その教会は古い教会で、女性宣教師が開拓して生まれた教会でした。宣教師は年老いて帰国されました。今は、教会の長老達が代わる代わるにメッセージをしているのです。
その女性宣教師は真理に立つ、厳格な方だったようです。彼女に育てられた長老達もしっかりとした信仰の人達でした。
宣教師が帰国した後、様々な日本人の牧師が赴任しましたが、信仰のしっかりした長老たちの目は厳しいものだったそうで、結局、長老達がメッセージするようになったそうです。
教職者の間では、扱いに困る信徒達だったのです。問題のある教会ではなくて、問題のある群れだったのです。
そんな噂を聞いて、私はおじけづきました。主に祈りました。「恐いです。行きたくありません。行かなくても良いようにして下さい。」
心は恐怖に包まれ、メッセージを考える事も出来ません。今でもはっきりと覚えています。部屋の片隅で震えながら祈ったことを。
ただひたすら自分が嫌な思いをしたくない一心で、頭を畳につけるようにして神に懇願しました。しばらくしての事です。
神の鋭く刺すような視線を感じました。無言です。それは、有無を言わせない威厳に満ちた神の恐ろしいほどの臨在でした。
目だけでものをいわれました。無言で「行け!!」と命じられたのです。私の心は、ただただ震えました。神を恐れて震えました。従わなければ、厳しい処置をされる神の主権の前で、震え上がりました。
もう、行きたくないという気持ちはありません。神が遣わされるのだ、と受け止めました。
主に何を語ったら良いのか、と祈りました。ダビデの信仰、神の御前でへりくだった王の心、幼子のような神への信頼と低く砕かれたダビデの、主の御前での姿を語るように示してくださいました。
メッセージが与えられ、今度はその教会のために祈りました。神の強い愛を感じました。神の愛が、宣教師がいなくなってから、教会を守り仕えて来たその小さな群れに激しく注がれているのを感じました。
祈っているうちに、私のうちにひがみっぽい思いが湧いて来ました。別に私が行かなくてもいいんじゃないの、とすねる心もありました。それくらい、この小さな群れに対する神の愛は真っすぐでした。
日曜日の朝、主にこれから出かけます。主がお語り下さい、と祈って出発しました。
私の全然知らない人々の教会です。人間的な愛着もありません。知らない場所に、神の使いで行くだけです。私自身の感情とか親しみの無いまま、講壇に立ちました。
講壇に立って話し始めると、御霊の愛を感じました。その信者達を愛し慈しまれている御霊の愛です。
まるで、主がサタンにヨブを自慢されたヨブ記の記事のような状況でした。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
どうだ、わたしのしもべ達を見たか、と言わんばかりでした。神がこの群れを愛しておられる、と分かりました。神の手の中に隠された宝の民のようでした。
帰りの車を運転する私は、頭の中が空白でした。何か今まで信じていた常識が否定されて、新しい神の教えを聞きかされたような、説明しがたい虚ろな感じでした。
すでにあり、立っていた土台が揺り動かされるような、立っている土台が取り除かれて宙に浮いたような不思議な感覚でした。
私はただの管なのだ、という無味乾燥な存在、無機質なものになってしまったように感じました。私自身が入る事の出来無い、神とその教会の絆のようなものに、嫉妬したのでしょうか。
その時、ヨナ書のヨナもこういう脱力感を味わったんだろうな、と思いました。
しかし、この事を通して、人が見る見方と神が見ておられる見方は違うのだと教えられました。神が見ておられる見方の方が正しいのです。
また、神の管になるためには、自分に死ななければいけない事も知りました。管にならなければ、神のいのちは届けられません。人々の霊が生きるのは、神のことばによって生きるのです。人にいのちが与えられるためには、管にならなければなりません。
神のしもべとなる覚悟を問われました。管とならせて下さい、と祈りました。