ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本のクリスチャンの役割

 

 日本のクリスチャンは、日本人の1%と言われています。ユダヤ人のキリスト者もまた、ユダヤ人の1%と言われています。

 

 日本人も、ユダヤ人も、キリスト教によって救われるのではないようです。アブラハムの神、生けるまことの神に出会って御救いを受けるのかも知れません。

 

 終わりの時代のメシアが日本から起こると、あちらこちらで囁かれています。メシアとされる人が起こると、日本にも世界にも救いが起こるようです。

 

 では、今なぜ私たち日本人のクリスチャンは、救い主イエス・キリストを知り、聖書の神がまことの神であることを信じて、日本の地にいるのでしょうか。

 

 クリスチャンには、特権があります。天のまことの聖所で仕えておられる、とこしえの大祭司イエス・キリストの御名を呼んで、全能の神、主に申し立てをすることが許されているのです。

 

 イエス・キリストの御名は、天と地を繋ぐ神の道であり、神と和解した者、神がともにおられる御霊の器にゆだねられています。

 

 神の子羊イエスの血により罪が贖われた人は神との隔ての壁であった罪が取り除かれて、神と人との仲介者であられるイエス・キリストの御名によって神に近づくことができるという約束は、神の子羊イエス・キリストを神の御子救い主であると信じるクリスチャンの特権です。

 

 罪を認められず神に義とされた人は、大胆に、聖なる神の御前に出ることができます。そして、民に代わって祈ることができるのです。

 

 レビ記によれば、神に仕える部族として定められたレビ族以外の者が神殿の務めに関わることは許されません。レビ族の中でも、祭司に携わる家系はアロンの子孫です。それ以外のレビ人がその務めに手を出すならば、分を越えた者として、神に裁かれます。

 

 神は、人類に御自分のひとり子をお与えになりました。大切なひとり子を惜しげもなく、お与えになったのです。

 神は、ひとり子をお与えになられたとき、すべての縄目を解かれて、ユダヤ人の律法も、すべての制約も、むなしいものとされました。

 神にとって、ひとり子よりも大切なものはありません。この大切なひとり子を大切にしてくれる人々を、神は義とされるのです。

 

 神のひとり子は、ベツレヘムで生まれたイエスであり、神に主の通られる道を備えるために遣わされたバプテスマのヨハネから「世の罪を取り除く神の子羊」と証言され、「神の子」と呼ばれた、ナザレのイエスです。

 ナザレのイエスは、「メシアがイスラエルに現われる。」「キリストはユダヤ人から出る。」という聖書の預言を信じるユダヤ人たちが、その出現を待ち望んでいた方であって、キリストご自身なのです。

 

 日本のクリスチャンは、神道、仏教の色濃い日本文化の中に育ちつつ、神の御子イエス・キリストにとらえられた人々です。

 

 神は、数少ない日本のクリスチャンに、とこしえに栄光に満ちた、祝福の役割を与えておられます。

 

 終わりの時が近づいて、隠されていた事柄が明確にされつつあります。終わりの時にイスラエルに立つふたりの証人は、日本人から出るというのです。

 奥義を紐解けば、日本列島の中にユダヤ人の血を持つ渡来人がいて、二千年以上前から日本人として日本国を形成してきたのです。

 

 クリスチャンは、イエス・キリストの御名によって救われると教えられてきました。ユダヤ人から救いが出ることや、生ける神の名のことを知る人は少ないでしょう。

 

 しかし、神は終わりの時代に、生ける神のことを最も理解できる日本人に、世界の救いを命じておられるのです。

 

 生ける神は、神がキリストのしもべに遣わされた聖霊であり、目に見えない霊です。死ぬべき者を生かす御霊であり、また、真理を教える「真理の御霊」です。

 

 生ける神は、天地万物を造られた創造主が、世の罪を取り除く贖いの血を流された十字架の子羊イエスと、子羊イエスを人類に遣わされた神のひとり子キリスト・イエスの父(父なる神)であることを教えられます。

 

 多くの日本人は、真理の御霊によって真理(人類を救う子羊の名と父の名)を教えられて、御救いを受けるのでしょう。キリスト教によって御救いを得るのではなく、生ける神の真理の御霊によって救われるようです。

 

 日本人の魂の安らぎは、教義や教えによって支えられるわけではありません。本能的に見えない崇高な存在を霊で感知し、そこに信仰の目を向けるのです。それゆえ、純粋な日本人の魂は、宗教の教える救いに満足しません。本能的に、霊的な満たしの実感を求めているのです。それは、聖いものでなければなりません。真の平安に飢え渇いています。魂は、永遠を求めてさまよっているのです。

 

 神は、日本人をこのように造っておられるようです。そして、生ける神の名を印された人々(ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人)の語る福音に耳を傾けて、真理の御霊を迎えるのでしょう。

 真理の御霊を受ける者は、霊とまことをもって聖なる神にへりくだる人々です。

 

 イスラエルのメシアとアロンのメシアのふたりの証人が起こされる日本は、世界に先立って、御救い(魂の救い、すなわち神に立ち返り、神にへりくだって永遠のいのちを得させられる恵み)を受けることでしょう。

 

 日本のクリスチャンは、イエス・キリストが現われるために道備えをしたバプテスマのヨハネのような存在に感じます。

 多くの日本人が神が起こされる油注がれた神の人のことばに耳を傾けて真理の御霊を受けることができるようにと執り成す者、御霊の働かれる神の霊の道を築く者のように思います。

 

 神は、御霊の教会をとこしえの教会とされます。キリスト教会ではなく、真理の御霊を受けた永遠のいのちの教会です。

 

 良い種であっても、やせた土地に蒔くならば、育ちません。芽が出ても弱弱しい木となります。木が育っても、花が咲かなかったり、花が咲いても、実が実ることがなかったりします。実ができても、良い実とはならないでしょう。

 

 日本人の魂が信仰を得て義の実を結ぶために、悪い霊から守られなければなりません。

 悪しき霊と戦う人はだれでしょう。

 

 「世(神を否定する悪しき霊の支配)に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者(クリスチャン)ではありませんか。」(ヨハネ第一5:5)

 

 私たちの主イエス・キリストはすでに悪魔の縄目を踏み砕き、勝利をとられています。もはや、死を恐れることはありません。死をもたらす罪は、キリストの血によって取り除かれ、義とされたからです。

 

 神は、人が勝利者のキリストに繋がるために、もうひとりの助け主を与えられました。キリストの御霊です。私たちは御霊によってキリストとひとつとなるのです。

 

 イエスは言われました。

 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名(イエス・キリストの御名)によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。

 あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。」(ヨハネ15:16,17)

 

 日本のクリスチャンは、ほかの日本人に先立って、神の愛を知った者です。日本列島を愛しましょう。愛情を注ぎ、愛と慈しみで満たしていきましょう。

 

 ひとり一人、自分の住んでいる地域、職場や教会、日常の生活の行動範囲の土地をキリストの血を注いで、きよめていきましょう。そして、その中に住む人々にもキリストの血潮が注がれ、神が定められた時に神のことばに耳を傾けることができるように、祝福しましょう。

 

 クリスチャンは祈りによって、神の霊が働かれる場所を開き、聖霊が通られる道を備えてまいりましょう。

 

 テレビのある番組で、一人の人が語った「使命」と言う言葉の解釈に感銘を受けました。使命とは、自分に与えられた神の使命のために命を使うこと。

 私たちクリスチャンは、先に救われた者として、後に救われて来る日本人のために、日本の地を慈しみ、感謝のことばとともに愛情を注ぎましょう。そして、日本人から起こるふたりの証人が悪しき者から守られるように、そして、神の務めを全うすることができるように、また、日本人たちが神に愛されていることを知ることができるように祈りましょう。

 

 日本のクリスチャンは、祈りと執り成しによって、ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人にゆだねられた、とこしえの神の家を建て上げる、すなわち御霊の教会の完成のための働きに加わるのです。

 

 日本列島に住んでいる日本のクリスチャンは、神の誉れある役割を担っているのです。神の国のために、命を使ってまいりましょう。