ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエス・キリストを知る

 

  永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。

 

  人を生かす霊なる神の存在を知ること。このいのちを支配する神は、天地万物を造られた、唯一のまことの創造主。各国で、その国の創造者なる神々が存在しているように思われていますが、実は、ただひとりの創造主が宇宙を創造されたのです。この創造主が人も造られました。

 

  人は、各国で別々に造られているのではなく、初めにアダムが造られ、アダムからエバが取り出されました。神は、人を男と女に創造されました。人類は、この男と女から広がったのです。現在、地上に存在する人々は皆、ノアの子、セム、ハム、ヤぺテの子孫です。

 

  人は、文明の発展とともに、目に見える事柄に夢中になり、目に見えないものを失って来ました。

 

  海に囲まれた日本では、いつも自然の威力に恐れをなし、見に見えない神を畏れていました。自然災害を神の怒りと捉えて、犠牲を払って神の怒りをしずめることをしてきました。

 

  しかし、昨今では、神を恐れることは、痴れ事だとする風潮があります。科学的に分析し、人間の知恵を使って対処することを良しとします。神を恐れることは、知識の無い人々のたわごとで、滑稽な事とされます。

 

  神は生きておられます。数世代前に畏れられていた神は、現在も生きておられるのです。目に見えるものを追い求めるあまり、閉じてしまった霊の思い。しかし、この霊こそが、永遠のいのちと繋がる受容体だったのです。

 

  霊の思いが塞がれると、永遠のいのち(唯一のまことの天の神)の御思いを受け取れなくなりました。人々は、いのちから離れ、闇の偽りに繋がることになったのです。

 

  神は、地上に神のひとり子イエスを送ることで、天の神の存在を明らかにされました。多くの神々が作られている中で、人を造られた創造主を現わされたのです。

 

  人間が作った神々は、人間がかしずくことを必要とします。人間が作り人間が守るのです。そうすることで、人間は御利益を期待します。

 

  人を造られた神は、人に、神に従うことを要求されます。従う者に、神の祝福と報いがあります。

 

  人を造られた創造主には、意思があり、感情があり、計画があります。神から遣わされたイエスは、神の計画を知らせました。

 

  創造主には計画がありました。神のひとり子イエスを信じる者に永遠のいのちを与え、彼らを神の御国に集める計画です。イエスを長子とする、イエスの兄弟達を創造されるのです。

 

  神は、神のひとり子に肉体を造り、長子のイエスを地上に現して、神の子がどのようなものであるかを知らされました。そして、御霊によって、イエスに似た人々を創造されます。

 

  処女マリアのところに、御使いガブリエルが神から遣わされました。そして、マリアが身籠って、男の子を産むことを告げたのです。その子の名は、イエスであること。そして、神である主は彼に父ダビデの王位を与えられ、彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがなく、永遠に続くことが告げられたのです。

 

  それを聞いたマリアは、ガブリエルに言いました。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」

 

  ここで男の人を知らないと、マリアは言っています。男の人との肉体的関係のことを言っています。神は、肉によってイエスを生み出すのではなく、神の御霊によってマリアの胎内にイエスを造られたのでした。

 

  知るとは、経験をさします。イエス・キリストとを知るとは、イエスが神の子であり、神の子羊であり、神が世に遣わされた罪を取り除く神の子羊キリストであり、世の滅びから救い出してくださる救世主イエス・キリストであるという知識だけではありません。

 

  イエスとの経験が問われます。イエスとの関わりです。イエスへの感情、愛、喜び、楽しみを経験しているかどうか。個人的な経験です。魂の経験です。

 

  イエスへの信仰を通して、何を体験しているのか。自分のうちにどのような感覚やどのような思いの変化を味わっているのか。このことは、大事なことです。

 

  宇宙に憧れる人が、宇宙に関する知識をどんなに深めようとも、実際に宇宙に飛び立っていないならば、地上の人のままです。実際にロケットに乗り込み、地球の外から地球を見、宇宙の感覚を体験した人は、宇宙と一つになった感覚を味わいます。

 

  イエス・キリストを知るとは、イエス・キリストと一つとなる経験をした人です。一つでも、イエスと共有する経験をした人です。他人から聞いたイエス・キリストではなく、自分の証を持つ人です。

 

  イエス・キリストに触れた人は、この地上の経験では説明できない、魂の喜びと安らぎを得ます。

 

  イエス・キリストを経験的に知る人は、イエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、言葉に尽くすことの出来ない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、魂の救いを得ているからです。

 

  イエス・キリストを知ること、これは、信仰の核心なのです。これを持っていないと、信仰の試みの時、闇の力と人間を恐れて、信仰を手放す危険があります。

 

  神は、人に永遠のいのちを与えたいと願っておられます。イエス・キリストを知る者となりましょう。

 

 

    著書 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

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