ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

火の滅びから救い出される者

 

 「キリスト(救世主)は、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身を生贄として罪を取り除くために、来られたのです。(十字架のキリスト・イエスは私たちの罪を贖う生贄の子羊でした。)

 そして、人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負う(裁き主であられる神は、十字架のイエスを主キリスト〈救い主〉と告白する者たちの罪を赦されます。)ために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく(すでに、罪はキリストの十字架で処罰されています。)、彼(イエス・キリストの再臨)を待ち望んでいる人々のために来られるのです。」(へブル9:26-28)

 

 ナザレのイエスは、裁き主であられる神が遣わされた、罪を取り除く贖いの子羊でした。かつて、神は世を水で滅ぼされるとき、神を恐れる正しい人ノアに箱舟を造ることを命じられました。

 

 神は、神に聞き従い箱舟を造ったノアとノアの家族を箱舟の中にかくまい、大洪水の滅びから救い出されました。ノアの家族以外の人類はすべて、地上から死に絶えました。大水にのみ込まれて死者となったのです。これが、水による滅びでした。神は、悪いものとなった世を、水で滅ぼされたのでした。

 

 「神はノアに仰せられた。

 『すべての肉なるもの(すべての息のあるもの)の終わりが、わたし(創造主である神)の前に来ている。(今まさに実現しようとしている。)地は、彼ら(地上の人々)のゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたし(裁き主なる神)は、彼ら(地上のいのちあるすべてのもの)を地とともに滅ぼそうとしている。』」(創世記6:13)

 

 こうして、神はノアに、箱舟の設計を伝え、その通りに造るように命じられました。神は、ノアを選び、御自身の御計画(水の裁きと世の滅び)を知らせ、ノアのために箱舟を造ることを命じられたのです。

 

 主は仰せられました。

 「わたし(天地万物を造られた唯一の神)は今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上に大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。

 しかし、わたし(主)は、あなた(ノア)と契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子(セム、ハム、ヤペテ)たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。」(創世記6:17,18)

 

 世を水で滅ぼすことを定められた主は、ノアに、ノアとその家族の救いの約束をされ、契約を結ばれました。そして、彼らに箱舟にはいることを命じられました。また、すべての生き物を雄と雌とで箱舟に連れてはいり、生き残るようにすることと、ノアの家族とすべての生き物の食べるあらゆる食糧を箱舟に積み込むことを命じられました。

 ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行ないました。

 

 「主はノアに仰せられた。『あなたとあなたの全家族とは、箱舟にはいりなさい。あなたがこの(暴虐に満ちた)時代にあって、わたしの前に正しい(主を恐れる)のを、わたしが見たからである。

 あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌、一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌、七つがいずつを取りなさい。それはその種類が全地の面で生き残るためである。

 それは、あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面から消し去るからである。』」(創世記7:1-4)

 

 このように、神は、契約を結んだノアに、水による世の滅びの始まりの日と、その滅びからノアを救い出すことを約束されたのでした。

 

 四十日四十夜、雨が降り続き、世界は大水の下となりました。すべての山は水の下となったので、地球の地表は水没し、水の星となったのでした。そこに箱舟が漂い、水が引くと、アララト山の上に留まりました。

 このことは、実際に起こったことです。作り話ではありません。世界中の大地には海であった痕跡が残されています。

 

 箱舟から出て来たノアに、神は、誓われました。

 「わたし(全能の生けるまことの神)とあなたがた(人)、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。

 わたし(神)は雲の中に、わたし(の誓いの)虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。

 わたしは、わたしとあなたがた(人類)との間、およびすべての肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。

 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべての肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」(創世記9:12-16)

 

 神は約束どおり、どんなに悪い世になっても、水ですべてのものを滅ぼすことはなさいません。

 しかし、次は、火で滅ぼすことを定めておられます。

 

 神は、神を恐れる正しい人ノアを選び、水による裁きに箱舟を用意され、神に聞き従って箱舟を神の設計どおりに造ったノアとその家族を箱舟の中にいれて救い出されました。神の裁きのとき(水で滅ぼされたとき)、ノアとその家族は、水の滅びから救い出されて生き残りました。

 

 火で滅ぼすことを定めておられる主は、神を恐れる正しい人アブラハムを選び、契約を結ばれました。神は、アブラハムの子孫、ヤコブの子イスラエル(ユダヤ民族)を神の祭司の国民として選び、火の滅びから救い出す神の家を造ることを定められました。

 

 神は祭司の国民イスラエルに、世の罪を取り除く神の子羊イエスを遣わし、祭司の国民ユダヤ人たちの手で、子羊イエス(神の御子キリスト)を屠られました。

 神の子羊は、肉体をもつ神のひとり子でした。神の御子が、肉体をもつ人の子としてイスラエルに来られ、罪の贖いの血を流されたのです。

 

 水から救われたノアは、地上で生きる肉のままの人でした。

 火の滅びから救い出すために、神は、人類を罪のないものにしなければなりません。肉のままの人ではいけません。なぜなら、火の滅びはすべてを焼く尽くしてしまうからです。罪に定められないきよい霊魂は火で焼かれることがありません。

 神は、罪を怒り、罪深き肉を焼き尽くされるのです。すべての者は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができません。

 

 神は、世の罪を取り除くために、神のひとり子に肉体を造り、神の子羊として遣わされました。造り主なる神の御子が、罪人を火の滅びから救い出すために、みずから罪の生贄となられたのです。

 神の子羊イエス・キリストの血は、罪の贖いの血です。イエス・キリストの贖いの血による救いを信じる者は、神に義とされます。神が御救いのために遣わされたキリスト(救い主)を信じたからです。

 神は、罪人の罪を贖って人の罪を赦し、火の裁きから救い出すために、神の子羊イエス・キリスト(救世主)を遣わされたのです。

 

 主は、水で滅ぼされる世に、御救いの契約を結んだノアのために、箱舟を用意されました。

 主は、火で滅ぼされる世に、御救いの契約を結んだアブラハムの子孫のために、ユダヤ民族の中から出るキリスト(救世主)を用意されました。

 

 すでに、神の子羊イエス・キリストの血は十字架で流されています。罪の贖いのわざは二千年前に完了しています。

 

 水の滅びのとき、ノアが箱舟にはいって救われたように、終わりの時代の火の滅びのときには、神が用意された救い主、神の御子イエス・キリストの御名のうちにはいって救われます。

 

 「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

 神は、(神のひとり子)キリスト・イエスを、その(罪の贖いの)血による、また信仰による、(神が受け入れられる唯一の)なだめの供え物として、(ユダヤ人にも異邦人にも、強い者にも弱い者にも、男にも女にも)公にお示しになりました。それは、御自身の義(主を恐れる正しい者を神を神としない悪者といっしょに滅ぼしはしない。)を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を忍耐をもって見逃して来られたからです。

 それは、今の時(火の滅びの前に)に御自身の義(必ず、御救いの道を用意される。)を現わすためであり、こうして神御自身が義(御救いのために救い主イエス・キリストと、助け主〈真理の御霊、すなわちキリストの御霊〉を遣わされる真実な神)であり、また、神の御子イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。(神が遣わされた神の子羊イエスを信じる者は、キリスト〈救い主〉を遣わされた神をも信じているのです。)」(ローマ3:23-26)

 

 キリストは、世の罪を取り除くために来られました。しかし、すべての人がキリストを信じるわけではありません。キリストは、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられました。私たち(キリストを信じる人々)を生かすために、ご自身のいのちを捨ててくださったのです。

 二度目には、罪を負うためではなく、イエス・キリストの再臨を待ち望む人々(信仰によってキリストの血により罪が贖われて、キリストが分け与えてくださった生かす御霊を受け、神の国の実現を待ち望む人々)の救いのために来られます。

 

 キリストは、火の裁きから救い出すために、聖霊のバプテスマと火のバプテスマとを授けられます。御霊の与える火のバプテスマ(試み)をくぐった者は、信仰によって生きる者に造り変えられます。

 御霊によって生まれた者(肉の思いから御霊の思い、神の意識に変えられた者)は、新しい創造を受けて神の子どもに造り変えられます。神が永遠のいのちを得させられるので、神の子どもたちは、火の滅びを恐れることがありません。

 

 火の滅びは、最後の裁きによって定められます。すべての人は神の御前に立ちます。そして、ひとりひとり裁かれます。

 神が遣わされた救世主イエス・キリストの御救いを受けなかった者(神の御子イエス・キリストを信じない者)は、罪が贖われていない罪人です。キリストの血のない者は、神に罪が赦されていません。罪のある者は、神に義とされません。神に義とされない者は、自分の罪の中で死に、永遠の火の池に投げ込まれます。

 そして、そこから永遠に出ることはできないのです。

 

 火の裁きを定めておられる主は、ひとりでも多くの人が救われることを望んでおられます。

 「主は、ある人たちが遅い(主の来臨の約束の実現はまだなのか)と思っているように、その(再臨の)約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、(神は)ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられます。

 しかし、主の日(終わりの時)は、盗人のように(想定外に突然)やって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。(新しい世を創造するために、最初の古くなった世〈神を神とせず欲望のまま物質や偶像や神を消すものを慕っていのちを踏みにじる暴虐に満ちた悪しき世〉を焼いて取り除かれます。)」(ペテロ第二3:9,10)

 

 「しかし、私たち(火の滅びから救い出される者たち)は、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(ペテロ第二3:13)