ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の謙遜

 

 神は、永遠の昔からおられるお方。始まりがなく、終わりのない方です。神は、天地創造の主、全知全能の神です。

 

 神は、天地万物が造られる前から存在しておられました。悪魔(堕天使)が現われる前から存在しておられました。天使が存在する前から存在しておられました。仕える者がいなくても、神は初めから神でした。

 

 天使は神によって造られました。天と地は神によって造られました。人は神によって造られました。すべてのものは、神によって造られたのです。

 

 神は、すべてのものの上におられる絶対者です。すべてのものは、神によって生まれ、神に保たれています。神の御意思で現われ、神の御意思で消えます。

 

 神はおひとりです。たとい、天使が星の数ほどいたとしても、神はおひとりです。天使の中から出た神に背き訴える者(悪魔)が神々の名を語ったとしても、神はおひとりです。

 

 「天と地を造らなかった神々は、地からも、これからの天の下からも滅びる。」(エレミヤ10:11)

 

 天に神格を持たない神々は、神ではありません。神の神格は、初めからおられる神と、神が生んだひとり子と、神の聖霊とにあります。神は、愛と平和と交わりの神、父なる神と子なる神と聖霊によって完成されています。ほかの神々は必要ないのです。

 

 永遠の昔からおられるおひとりの神は、地上に神の民イスラエルを造り、イスラエルにひとり子をお遣わしになられた神、ひとり子と結ばれる人々に聖霊を授けられる神、父、子、御霊の三位一体の神です。永遠に生きておられる生けるまことの神です。

 

 三位一体のおひとりの神が、天地万物を造られました。天も地も人も、おひとりの神が造られました。

 天と地を造らなかった神々は神ではありません。神に敵対する反逆者の堕天使(悪魔)が人を惑わすために、偽りの神々を起こしました。人は、神でないものを、神と信じ込まされています。

 

 「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(ルカ21:33)と神のひとり子イエスは言われました。

 

 天地万物を造られた神は、天地万物を滅ぼされます。神は、天地万物を、神に敵対する悪魔を罪に定めるため、また、神のひとり子の主権を確立するために造られました。ひとり子の主権が確立したならば、天地万物は用を果たし終えるのです。役目を終えた天地万物は、消滅します。

 

 悪魔の罪を裁くとき、神のひとり子(イエス・キリスト)の主権に服さないものは、すべて滅ぼされます。悪魔と同じ罪に定められ、裁かれるのです。

 

 天地万物を造られたのは神のことばでした。神のことばはいのちを与えます。

 

 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。

 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:1-5)

 

 神のひとり子イエスが、神のことばであり、永遠に存在される神です。ことばによって造られた天地は、ことばによって滅ぼされます。しかし、ことばは滅びることがありません。

 

 神の御子イエス・キリストにいのちがあります。闇の世に輝く希望の光です。死に定められた人々の心を神(唯一まことの天の神)に向けさせ、いのちを得させる永遠のいのちの光です。

 

 イエス・キリストは、闇の王悪魔に打ち勝った、永遠の光です。死に勝利した永遠のいのちです。

 

 神は、死に定まっている罪人に神のひとり子の主権の中に入るいのちを創造されました。神は、人に、死を打ち砕く永遠のいのちを与えられました。神のひとり子イエスです。イエスは、罪人の罪の贖いのために、罪の身代わりの神の子羊として、イスラエルに来られました。

 

 土の塵から取られ、土から造られた卑しい人、しかも、神の敵である悪魔の奴隷である誉れのない人の救いのために、神のひとり子は、みずから神の栄光の御姿を捨てて、人間と同じ姿となられました。天使たちに仕えられ栄光に輝く神のひとり子が、天使よりも卑しい人の子となられたのです。

 

 人の子となられた神のひとり子イエスは、神の民イスラエルから嘲りののしられ、蔑まれました。二度と見たくないもの、二度と聞きたくないものとして、イスラエルから嫌われました。神に遣わされた神のひとり子イエスは、イスラエルに憎まれ、忌み嫌われ、殺されました。

 

 神のひとり子イエスは、神が造られた神の民のところに来られたのに、神の民は彼を憎み拒みました。神のひとり子は、ご自分の民に捨てられたのです。

 

 しかし、十字架につけられた神のひとり子イエスは、父に祈られました。

 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)

 

 神のひとり子は、父の怒りをご自分ひとりで受けられました。神の民に父の怒りが下らないためです。ユダヤ人の王として処刑される神のひとり子イエスは、ご自分の民イスラエルにかけられた十字架上で、イスラエルを赦しておられました。神のひとり子イエスは、父にも赦しを請うキリスト(救世主)でした。

 

 イスラエルはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かって行きました。しかし、神は、不信仰で不従順なイスラエルのすべての咎を、神のひとり子イエスに負わせられたのです。

 

 神は、不従順な神の民イスラエルに御自分のひとり子をお与えになりました。彼らの不従順を赦すためです。神の子羊イエスの贖いの血でイスラエルの罪を贖って、永遠のいのちを得させるためです。 

 

 神は、神の子羊イエスの贖いの血を受け取り、自分の罪を悔い改める者、神のひとり子イエス・キリストを信じる者に、神の御霊を与えて、神のひとり子イエス・キリストの国民とされます。

 

 神は、イスラエルに御自分のひとり子をお与えになられただけではなく、神のひとり子イエス・キリストを信じる者のうちに、聖なる御霊を与えてくださいます。

 

 神は、神のひとり子イエス・キリストの血によって、イスラエル(神の民)の罪を赦し、義とされます。

 神は、神のひとり子の御名イエス・キリストを信じて義とされた者に、聖なる御霊を授けられます。

 

 神は、土から取られ悪魔の奴隷となった卑しい罪人の救いのために、御自分の民イスラエルを造り、神のひとり子イエス・キリストを遣わされました。

 神は、神が遣わされた主キリストの贖いの血により罪人の罪を赦され、神のひとり子イエス・キリストを信じる者を義とされます。

 神は、キリストの血で義とされた者のうちに天から聖霊を遣わして、聖なる御霊を住まわせられます。

 

 火に燃やされる枯れ木の枝を、実を結ぶ神のひとり子の木につぎ合わされるのです。死に定められていた罪人が、神が遣わされたひとり子キリストによって、永遠のいのちに結び合わせられるのです。

 

 イエス・キリストの栄光は、闇の中に輝いています。御救いの栄光です。悪魔は、神のひとり子に打ち勝ちませんでした。いのちが死を破ったのです。神のひとり子イエスの栄光は、永遠に輝きます。

 

 神のひとり子と、聖霊とをお与えになられた神の謙遜が、罪人を新しく、神のひとり子に従順な、イスラエルの王(イエス・キリスト)の国民に創造してくださいます。

 

 神が立てられるとこしえのイスラエルの王(神のひとり子イエス・キリスト)のために、神のひとり子に忠実な国民を造られます。

 

 「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ2:6-11)