女は、アブラハム、イサク、ヤコブの血肉の子孫ユダヤ民族のユダヤ教徒、シナゴーグと思われます。
シナゴーグで育ったひとりの男の子が、イエスがメシアであることを悟ります。これは、シナゴーグでは忌み嫌うことです。正統派ユダヤ教徒のユダヤ人たちから憎まれます。イエスを信じる者を迫害する力が益々勢力を持ちます。その中でイエス・キリストの御霊によって新しく生まれる者たちも多く起こされます。御霊の働きです。そういう状況の中で、ユダの総督ゼルバベルの霊の人が、新生するのだと思われます。パウロのように、ユダヤ教に精通し、熱心な人なのでしょう。
パウロ自身が自分で証言しています。ガラテヤ書1:11-14には、こう書かれています。
「兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
以前ユダヤ教徒であった頃の私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。また私は、自分と同族で同先輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。」
また、ユダヤ人たちに訴えられたパウロがアグリッパ王に弁明していると、ローマ帝国の州総督フェストが大声で、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」と言っています。パウロは、博学で人一倍熱心なユダヤ教徒だったのです。
パウロは、キリストを信じるユダヤ人を憎み、殺害の意をもって彼らを迫害していた者でした。しかし、突然、天からの光が彼を巡り照らし、主イエスが彼に語れたのです。
パウロは、神の選びの器でした。イエス・キリストの御名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、イエス・キリストの選びの器として立てられました。
このように、ユダの総督ゼルバベルの霊の人が起こるのだと思います。この男の子がイエス・キリストをメシアと公言することは、ユダヤ教徒たちの脅威であり、また、自分をメシアとする反キリストにとっても脅威です。反キリストは殺意に燃えます。
ゼルバベルの霊の人は、神が油注ぎ、立たせるのです。誰も阻むことは出来ません。彼は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずです。悪魔の勢力が滅ぼされ、悪魔が縛られ穴に閉じ込められている期間、地上はキリストをイスラエルの王として迎え、世界はキリストと神の民とによって治められます。
イスラエルの王(復活のイエス・キリスト)を迎えた世界は、全く新しいものになります。ユダヤ人とキリストの民は誉れを受け、高く上げられます。彼らがキリストとともに、世界を治めるのです。その千年の間、復活したゼルバベルの霊の人は、鉄の杖をもって世界の国々の民を治めるのです。
ハガイ書2:23には、「その日、―万軍の主の御告げ―シェアルティエルの子、わたしのしもべゼルバベルよ、わたしはあなたを選び取る。―主の御告げ―わたしはあなたを印形のようにする。わたしがあなたを選んだからだ。―万軍の主の御告げ―」とあります。
ゼルバベルの霊の人に権威を与えるのは主。また、その保証となられるのも、主です。誰によっても覆されることはありません。彼は、終わりの時代に立つように定められています。
ユダヤ教に熱心であった男の子は、イエス・キリストをメシアと信じて、神によって新しく生まれ、全く方向が変えられて、イエス・キリストの御名を宣べ伝える者となりました。シナゴーグで熱心に神に仕えた彼が、改心したのです。
この神に油注がれた男の子(主の御前に立つオリーブの木)を産んだ女シナゴーグ、つまり正統派ユダヤ教徒、或いはユダヤ教の指導者たちかも知れませんが、大鷲の翼を二つ与えられて、神が用意した荒野に導かれ、そこに三年半の間神にかくまわれ、また、養われて生き延びます。彼ら(ユダヤ教徒)に神の啓示が与えられて、それぞれがその神の声に従うことで神が用意した荒野に集められるのでしょう。
モーセに率いられたユダヤ民族は奴隷の家エジプトから脱出して、荒野を通ってカナンの地に向かいました。その途中、神は岩から水を出し、天からマナを降らせ、民が願い求めると、主はうずらをもたらし肉を与えて、荒野で彼らを養われました。荒野の四十年の間、誰の着物も擦り切れず、誰の足もはれませんでした。彼らを健やかに導かれたのです。
反キリストから逃げ延びたシナゴーグ(ユダヤ教徒たち、或いはユダヤ教の指導者たち)は、同様に三年半の間、荒野で養われます。聖書にある先祖と同じような体験を経験しながら、荒野にいる彼らの目が開かれ、悔い改めて、イエスをメシアと信じてキリストの再臨を待ち望むのです。