ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

御霊のものを蒔いたユダヤ人

 

 サウロは、厳格なパリサイ人で、高い学識を備え、宗教に熱心な人でした。彼は、主イエスの弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃え、祭司長たちからは、イエスの御名を呼ぶ者(主イエスを信じる者)たちをみな捕縛する権限を与えられていたのです。

 

 しかし、主は、サウロを、異邦人や権威ある王たちやイスラエルの子孫(イスラエルの周辺に住む十部族、北イスラエルの兄弟姉妹たち)にキリストの福音を宣べ伝えさせようと、選んでおられました。

 

 サウロは、律法の下にいるイスラエルの祭司長や律法学者やパリサイ人たちではなく、イスラエルの中に数えられていない者たちに、イエス・キリストの名を運ぶ、主の選びの器だったのです。

 

 目からうろこのような物が落ちて、神に立ち返ったサウロは、祭司長たちから命を狙われました。

 

 熱心なユダヤ教徒であったときは、サウロの目は閉じられ、神御自身を知らない者でした。しかし、天からの光とともに、主イエスがサウロに出会われると、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになったのです。視力が回復した時、霊の目が開かれました。肉眼の視力は弱くなりましたが、霊の目が開かれ、真理に精通する者となったのです。

 

 サウロは、キリストにある兄弟姉妹たちから、パウロと呼ばれました。サウロは、主イエスの民を迫害するサウロから、「イエスは神の子である」と宣べ伝える、主の弟子パウロになったのです。

 

 パウロは、異邦人の使徒として、主のために働きました。ペテロやヨハネたちはユダヤ人の使徒でした。学識がなく無学な漁師であった弟子たちが、ユダヤ人たちに宣教しました。彼らは、律法の専門家たちに御霊の力で、論破もします。一方、律法に精通したパウロが、律法の下にいない人々に、主イエスを宣べ伝えたのです。

 

 神の選びは不思議です。神の御霊の力と、謙遜な心によって、神の国は前進して行くのです。

 

 主イエスがキリストであることを知ったパウロは、イエスの十字架の贖いの血と、イエスの復活の栄光を、確信を持って宣べ伝えました。

 

 先祖の約束を持つ者は、ユダヤ民族です。イエス・キリストもユダヤ民族のもの、救いもユダヤ民族のもの、御霊もユダヤ民族のものです。

 

 イエスが約束された、もうひとりの助け主、真理の御霊を受けたのもユダヤ人です。彼らの信仰が、神のご計画を地に成し遂げたのです。

 

 異邦人の使徒パウロは言います。

 「もし私たちユダヤ人が、異邦人であるあなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。」(コリントⅠ 9:11)

 

 ユダヤ人は、神の契約を大切にし律法を守っており、他の国々のようにこの世の生き方をしていませんでした。神の民として地上に存在していたのです。しかし、神からいただいた恵みを神の民ユダヤ民族の間だけで味わうことをしませんでした。

 

 ユダヤ民族は、世界にあって、神の祭司の国民としての務めを果たしたのです。神が天から遣わされた神の子羊イエスを、神の御名で十字架につけて屠ったのも、祭司の国民でした。

 

 イエスの十字架の死によって、天が開かれ、地上で御霊を受けたのもユダヤ人でした。イエスの弟子のユダヤ人たちは、この御霊の力によって、復活のキリストの福音を宣べ伝えました。この恵みは、契約のなかった民、神のものではなかった異邦人にまで及びました。

 

 神の御心にへりくだり、神に忠実に聞き従う謙遜なユダヤ人によって、異邦人にも、救いが及んだのです。神のことばを持たなかった異邦人が、神のみことばを聞き、神のみわざを見、イエスの救いを受けて聖書を持つ恵みに与かったのです。契約の民ユダヤ人の預言者たちが見たいと切に願ったのに見られず、聞きたいと切に願ったのに聞けなかったのに、異邦人がキリストの栄光を見、神の御子イエスのことばを聞いているのです。

 

 まさに、ユダヤ人が、異邦人に御霊のものを蒔いたのです。目に見えるものではありません。彼らのうちに隠されていた永遠の宝を惜しげもなく、与えてくれたのです。

 

 パウロは言っています。

 「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(コリントⅡ 4:18)

 

 ユダヤ民族に託された、永遠のいのちと神の国の福音は、全世界に宣べ伝えられています。ユダヤ人の弟子たちが、忠実に神に従ってくれた結果です。

 

 「子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束もイスラエル人のものです。ユダヤ民族のものです。先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえに褒めたたえられる神です。」 ローマ9:4,5)

 

 異邦人の使徒パウロは言います。

 「思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。割礼を持つ人々(神との契約を持つイスラエル)からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。

 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの十字架の血によって近い者とされたのです。」(エペソ2:11ー13)

 

 イザヤも預言しています。

 「『わたしは彼の道を見たが、彼を癒そう。わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう。

 わたしはくちびるの実を創造した者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼を癒そう。』と主は仰せられる。」(イザヤ57:18,19)

 

 異邦人は彼の名(イエス・キリストの名)に望みをかけます。異邦人はこの方(イエス・キリスト)に望みをかけるのです。

 

 天から来られた救世主キリスト・イエスを宣べ伝えてくれたのは、ユダヤ人です。ユダヤ民族が、異邦人の私たちに御霊のものを与えてくれたので、永遠のいのちを持つことができました。私たちは、物質的なものをもってユダヤ人にお返ししましょう。

 

 主は、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活の支えを得るように定められています。キリストを生み、贖いのわざを成就し、永遠のいのちと神のことば(聖書)を与えてくれたイエス・キリストの血肉の兄弟姉妹、また、神の祭司の国民であるユダヤ民族を、献金と祈りをもって支えていきましょう。それは、主の喜ばれることです。