ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

地上で新しく創造される

 

 原罪を持つ人間の住む地球。この世は、罪人の世界です。この世界に、天からキリストが来られました。人が想像するようなメシアではありませんでした。

 

 スーパーマンのように、颯爽と登場したのではありません。

 赤子として処女から生まれ、貧しいナザレの地で育ちました。彼には、人が見とれるような姿もなく、輝きもなく、人々が慕うような見栄えもありません。

 彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていたのです。人が顔を背けるほど蔑まれ、ユダヤ人たちは彼を尊びませんでした。挙句の果てに、神に背く者、神を冒瀆する罪人として十字架で処刑されたのです。

 

 彼は多くの人の罪を負い、自分のいのちを死に明け渡し、背いた人たちのために執り成しをするキリストでした。彼の知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を担ったキリストでした。

 

 神の子羊イエス・キリストを砕いて、痛めることは、神の御心でした。キリストは、人々の罪のために刺し通され、人々の咎のために砕かれました。彼への懲らしめが人々に平安をもたらし、彼の打ち傷によって、人々は癒されたのです。

 

 何故ならば、人々はみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かっていたのです。しかし、神は、人々のすべての咎をキリストに負わせました。彼は、痛めつけられ、人々の言う背きの罪のために打たれ、十字架で絶たれました。彼の墓は悪者どもとともに設けられ、「自分には罪がない」と自分を神よりも高くする者どもとともに彼は葬られたのです。

 

 神が遣わされたキリストは、スーパーマンではありません。神の御力によって悪魔を倒し、人々を死から救い出す英雄ではありません。

 

 彼は苦しんだけれども、口を開きません。屠り場に引かれて行く子羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように口を開かない、従順な神の子羊でした。

 

 彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはありませんでしたが、ユダヤ人たちは彼を、神に背く者、神を汚す者、神を冒瀆する者という、神に対する罪人に定めました。しかし、神は彼を義とし、キリストとされたのです。

 

 神は、神の子羊イエスの血を受け入れ、尊いとされました。イエス・キリストの贖いの血で、罪の呪い、死を打ち砕き、人々の原罪を赦されました。

 

 十字架の死は、人々の嘲りでしたが、神にはキリストによる救いだったのです。神に義とされた十字架の死は、キリストを墓から復活させました。死から復活したキリストは、復活のからだで天に帰りました。

 

 父の御元に帰ったキリストは、地上に聖霊のバプテスマを授けられました。イエス・キリストを主と信じる者を、御霊によって新しく生まれさせるためです。

 

 御霊は、イエスが弟子たちに約束した、もうひとりの助け主です。イエスが地上を去った後に、父が地上に遣わされる真理の御霊です。真理の御霊を受ける者は、聖霊の宮となります。聖霊の宮に、父と御子イエスが来て、その人とともに住まわれます。

 

 神は、「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を心に遣わしてくださいました。神は御自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者(ユダヤ民族)を贖い出すためで、その結果、彼らが子としての身分を受けるようになるためです。

 

 キリストの血で贖われた人、すなわち、イエス・キリストを主と告白する者たちは神の子とされる、神による相続人です。神は、神の子羊イエス・キリストによって、原罪を赦し、キリストの御霊によって新しく生まれさせ、神の子としての新しい創造を施されるのです。

 

 神が御子を地上に遣わされたのは、地に住む人々に罪の赦しを宣言し、御霊によって新しいいのちを与え、天上で永遠に生きる神の子として、新しい創造を施すためです。

 

 塵で造られた最初の人アダムは原罪を宿し、アダムにあってすべての人が死んでいます。しかし、神は、キリストによってすべての人が生かされることを望まれました。

 

 最初の人アダムは、神の息を吹き入れられて生きた者となりました。最後のアダム(イエス・キリスト)は、生かす御霊となられたのです。最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。

 

 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。

 

 土の性質の者に、主は仰せられます。

 「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。人々の心は鈍く、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしに癒されることのないためである。」

 

 血肉のからだは神の御国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できないのです。

 

 神は、天から遣わされたキリストによって、天上のかたちの者を創造されるのです。それは、御霊のものであり、永遠に生きる、神の御国の相続人です。

 

 神は、地上の血肉の人間の中から、天上で生きる神の子を新しく創造されています。これは、地球で働かれている、神のわざです。

 

 最初のアダムの創造が、神のことばとともにあったように、地上で働かれている神の子の創造は、イエス・キリストとともにあるのです。

 

 地上で新しく創造される神の子は、神の御霊によって完成します。

 

 生まれたままの血肉の人間が人生を終えても、神の国に入ることはありません。朽ちるものは、永遠に死に縛られるのです。

 

 地上で神の御霊によって新しく創造された人が人生を終えると、神の国に入ります。神は、主イエス・キリストによって、新しく創造された人に勝利を与えてくださいました。「死は勝利にのまれた」このみことばが、新しく創造された人に実現します。