ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

明けの明星の現われる時

 

 復活して天に上り、父なる神(全知全能の天の神)の御座の右の座に着座された神の子羊イエス・キリストは、神から黙示を与えられました。

 

 「イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。

 ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼(使徒ヨハネ)の見たすべての事をあかしした。」(ヨハネの黙示録1:1)

 

 新約聖書の最後の書簡「ヨハネの黙示録」は、神がキリストにお与えになったものでした。地上に起こる終わりの事を、キリストのしもべたちに示すために、神はキリストにお与えになりました。

 

 キリストは、神から主権が与えられています。キリストは、そのしもべたちを支配される主権者です。

 

 ダニエルはあかししています。

 「私(ダニエル)がまた、夜の幻を見ていると、

 見よ、人の子のような方(人の子として地上に下られた神のひとり子イエス・キリスト)が天の雲に乗って来られ(世の罪を取り除く贖いのみわざ〈十字架の死と復活〉を成し遂げられた神の子羊イエスは、神の子羊の血を携えて天に上られました。)、年を経た方のもとに(永遠の昔からおられる生けるまことの神、主の御前に)進み、その(神の)前に導かれた。

 この方(贖いを成し遂げられ、御霊によって生まれる神の子どもの初穂となられた神の子羊イエス・キリスト)に、主権と光栄と(とこしえの)国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼(神の子羊イエス・キリスト)に仕えることとなった。

 その主権(神の子羊イエス・キリストの主権)は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」(ダニエル7:13,14)

 

 十字架のみわざを成し遂げて、雲に乗って天に上られ、ご自分を地上に遣わされた御父のみもとに帰られたイエス・キリストのことが書かれています。

 

 御父に肉体を造られた神のひとり子は、世の罪を取り除く神の子羊として、神の祭司の国民イスラエルに遣わされ、ユダヤ人たちによって屠られました。

 「ユダヤ人の王ナザレのイエス」という罪状書きで十字架につけられたのです。木につけられて神に呪われた者となり、私たちの罪の贖いのために死なれました。

 神の子羊は罪の贖いの血を流し、神は神の子羊の血によって罪を赦されました。神は、十字架の死まで聞き従った神の子羊イエスを義とされ、神の子羊イエスの十字架による罪の贖いを信じる人々の罪を赦され、彼らをも義とされます。

 

 地上には、神の子羊の血によって、神に義とされる人々がいます。イエス・キリストのしもべたちです。キリストの十字架(神のしもべであるがゆえに世に憎まれ捨てられる)をともに負い、キリストの御霊によって生きる人々です。

 

 神は、キリストに黙示をお与えになりました。それは、世の終わりに備えさせるために、地上のしもべたちに示すためです。そして、キリストはその御使いを遣わして、使徒ヨハネにお告げになったのです。

 

 エデンの園で、アダムが神に聞き、被造物を支配したように、神の国では、キリストが神から受けて、しもべたちに告げられます。神の国の主権はキリストに与えられているからです。

 神は、キリストに、とこしえの国と国民とを与えられました。ユダヤ民族の中から出られた「ユダヤ人の王」イエス・キリストは、いまや、世界を救うメシアであり、キリストの御霊によって生きるすべての人(七つの御霊の教会の人々)の王、すなわち「とこしえのイスラエル王国の王」となられるのです。

 

 ヨハネは、七つの御霊の教会に書き送りました。

 「常にいまし、昔いまし、後に来られる方(永遠の昔からおられ、常におられ、また後に、再び地上に来られる神のひとり子)から、また、その御座の前におられる七つの御霊(七つの御霊の教会にそれぞれ導き、ひとつの御霊によっておのおのの教会を完成されるキリストの御霊)から、また、忠実な証人、死者の中から最初に甦られた方(神の子羊イエス)、地上の王たちの支配者である(王の王)イスラエルの王イエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがた(御霊の教会の人々)にあるように。

 イエス・キリストは私たちを愛して、その血(神が遣わされた贖いの子羊の血)によって私たちから罪を解き放ち、また、私たちを王国(過ぎ去ることがなく、滅びることのないとこしえの国の国民、すなわち、イエス・キリストを王とするとこしえのイスラエルの王国)とし、ご自分(イエス・キリスト)の父である神(イスラエルの神)のために(私たちを)祭司としてくださった方である。

 キリストに栄光と力とが、とこしえにありように。アーメン。

 見よ。彼(天に上られた復活のキリスト)が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼(神の子羊イエス)を突き刺した者たち(ユダヤ人たち)が、彼(再臨のキリスト)を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。(十字架につけて呪ったナザレのイエスが、長い間待ち望んできたキリスト(メシア)であったことを知って、ユダヤ人たちは、自分たちの犯した背きの罪、不信の罪ゆえに嘆く。)しかり。アーメン。」(黙示録1:4-7)

 

 天に上られ御父のもとに帰られた主イエス・キリストが再び地上に来られることは、御使いたちも証言しています。

 

 「イエスは彼ら(使徒たち)が見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。   

 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

 そして、こう言った。

 『ガリラヤの人たち(使徒たち)。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。』」(使徒1:9-11)

 

 天に上って行かれたキリストを肉眼で見ることができたように、キリストは肉眼で見える有様で、天からまた来られると、御使いたちは告げています。

 

 黙示の最後に、キリストは仰せられました。

 「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会(七つの御霊の教会)について、これらのことをあなたがた(しもべたち)にあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(黙示録22:16)

 

 イエスは、「ダビデを王に選ばれた創造主のひとり子であり、またダビデの子孫ヨセフの子としてダビデの町ベツレヘムで生まれたダビデの子、すなわちメシアである。」と、みずから仰せられました。

 

 明けの明星は最も暗くなったときに現われます。闇の深くなったときに現われます。

 イエスがベツレヘムにお生まれになったのは、主の民がローマ帝国の圧政に苦しんでイスラエルの贖われることを待ち望んでいるときであり、ユダヤ人たちのところに来られ彼らの間を歩まれました。

 

 キリストがイスラエルに公に立つ前に、キリストをあかしするバプテスマのヨハネが現われました。

 終わりの時、キリストが天から来られる前に、神の裁きとキリストの来臨を告げ、七つの御霊の教会を整える人々が立つでしょう。

 

 闇を照らす光です。御霊の教会を完成させる神のしもべたちです。二人の証人であり、十四万四千人のユダヤ人です。

 地上のユダヤ十二部族の人々と主の民は、彼らの預言を聞き、神に立ち返り、神に熱心でなかったことを悔い改めて、(永遠の)いのちを受けるでしょう。

 

 「御救いはあなた(神)が万民の前に備えられたもので(もはやユダヤ民族だけではありません。キリストの御名を呼ぶ者もともに救われるのです。)、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。(イスラエル〈血肉のユダヤ人〉が出したメシア〈イスラエルのメシアとアロンのメシア〉が世界を救うのです。)」(ルカ2:31,32)

 

 三年半が過ぎると、反キリストによって、これら真理の光は消されます。悪魔が支配する闇の世となります。

 その後、残された人々(ユダヤ人と主の民)は反キリスト像の試みや、刻印の試みをくぐり抜けます。悔い改めて神に立ち返り信仰に勝利する人々(像を拝まず、刻印を押されずに、神への信仰やキリストの御名を告白をして信仰を保つ人々は殺され、そして、神の民は地上から取り除かれます。そのとき、死によって信仰に勝利した信仰の勝利者たち(御霊の教会の人々)はいのちの冠を受けるのです。

 

 天地万物が創造されてから、最も暗い夜が来ます。

 

 そのとき、天が開かれ、白い馬に乗ったキリストがメシアを待ち望む人々(三年半の間、荒野に隠され神に養われていたユダヤ人たち)を救うために来られます。天にある軍勢はまっ白な、きよい亜麻布を着て、白い馬に乗ってイエス・キリストにつき従います。

 

 ハルマゲドンの戦いは、主の軍勢が勝利し、そして新しい世(御霊の教会の人々が国民となるイスラエル王国が地上に建てられ、イスラエルの王イエス・キリストが治める平和な世界)が始まるのです。