ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の定め

 

 ユダヤ人の使徒ペテロが、聖霊によって異邦人のもとに遣わされた時に、コルネリオに語った言葉です。

 

 「あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事柄を、よくご存じです。

 それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました、このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者を癒されました。

 私たち(使徒)は、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行なわれたすべてのことの証人です。人々(ユダヤ人)はこの方を木にかけて殺しました。しかし、神はこのイエスを三日目に甦らせ、現われさせてくださいました。

 しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たち(イエスの弟子)にです。私たちは、イエスが死者の中から甦られて後、ご一緒に食事をしました。

 イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者との裁き主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、その証をするように、言われたのです。

 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、と証しています。」(使徒10:37-43)

 

 ユダヤ人の使徒として召されたペテロは、これらの言葉を話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々(異邦人)に、聖霊がお下りになり、聖霊の賜物が注がれた(異言を話し神を賛美した)ので、驚きました。

 

 この体験を通して、ペテロは、神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても分け隔てをせず、神を畏れかしこむ者や、神が遣わされたイエス・キリストを信じるという正義を行なう者は、神に受け入れられるということを知ったのでした。

 

 甦られたイエスは、弟子たちとともに食事をし、一緒に居てともに語らう時をもたれました。ペテロたちは、自分たちが体験したことをそのまま語っていました。

 

 イエスが父のもとにいたときに、見て聞いて味わったことをそのまま証しされたのと同様です。

 

 イエスは弟子たちに命じて言われました。「墓から甦った、復活のからだのナザレのイエス(キリスト)こそ、生きている者と死んだ者との裁き主として、神によって定められた方であることを人々に伝え、その証をするように。」

 イエスは、滅んで消滅するこの世と、死と、永遠の滅びから、人々を救い出す「メシア」であるだけではありません。生きている者と死んだ者、つまり、全人類を裁く「裁き主」として、神によって定められた方なのです。

 

 裁き主である神の御子ご自身が、自ら、ご自分のからだを献げて、人々の裁きが免れる(裁きが過ぎ越される)、いのちの道を設けられたのでした。

 

 イエスについては、預言者たちもみな、この方(神から遣わされた神の子羊イエス)を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、と証しているのです。

 

 モーセも言いました。「神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。」

 

 その預言者が、ナザレのイエスだったのです。ナザレのイエスに聞き従わない者はだれでも、神の契約の民イスラエルから折られ、滅ぼし絶やされるのです。ユダヤ人である、ないは関係ありません。イエス・キリストに聞き従わない者は、神の民であっても、滅ぼし絶やされます。神の約束を失ってしまうのです。

 

 イエス・キリストに聞き従う者は、異邦人であっても、罪が赦され、永遠のいのちを受け、イスラエルに加えられて、神の御国に入るのです。なぜなら、イエス・キリストが裁き主であるからです。

 

 それで、ペテロは聖霊に満たされて語っています。

 「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)

 これは、神が定めたことです。

 多くの者が「私こそキリストだ。」と立ち上がったとしても、神は、彼らを認めておられません。裁きの日に、彼らは悪魔と同じ刑罰を受けるのです。

 

 創世記12:3で、神はアブラハムを祝福されました。

 「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」このアブラハムの祝福を受け継いだのが、イスラエルです。

 

 アブラハムの子イサクが、父アブラハムから受け継ぎ、イサクの子ヤコブが、父イサクから受け継ぎ、ヤコブの子イスラエル十二部族(ユダヤ民族)が、父ヤコブから受け継いだのです。

 

 父イサクは、ヤコブを祝福して言いました。

 「国々の民はおまえに仕え、国民はおまえを伏し拝み、お前は兄弟たちの主となり、おまえの母の子らがおまえを伏し拝むように。

 おまえを呪う者は呪われ、おまえを祝福する者は祝福されるように。」(創世記27:29)

 

 この場合の祝福とは、永遠のいのちであり、神の御国に入ることと捉えてよいと思います。つまり、イスラエルを祝福する者は、神の祝福を受けるのです。しかし、イスラエルを呪う者は、永遠の裁きを受けるのです。

 

 主はモーセに告げて仰せられました。

 「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。

 『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。

 主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。

 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』

 彼らが、わたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」(民数記6:22-27)

 

 イエスの御霊をいただいた者たちは、御霊において、祭司の務めを受けています。民のために執り成し、きよめを宣言し、癒しの務めもします。アロンの系図の務めであった、イスラエルを祝福する務めをも受けたのです。

 

 今は、新しい契約の時代です。神の御子イエスが与えた新しい契約のうちにいる者は、アブラハムの祝福の約束をもって、イスラエルを祝福する者とされたのです。

 

 イスラエルを祝福する者が祝福されることは、神の定めです。また、イスラエルを呪う者が呪いを受けることも、アブラハムの時代から変わらぬ、神の定めなのです。