ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

祝福の基

 

 神は神を畏れる正しい心のアブラハムを見出され、仰せられました。

 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名は祝福となる。

 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。

 地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:1-3)

 

 アブラハムは、65歳の不妊の妻を持つ75歳の男性です。子どもはありません。アブラハムを選ばれた神は、年老いて子どものいないアブラハムに、あなたを大いなる国民とする、そして、地上のすべての民族を祝福する者とすると仰せられました。

 

 アブラハムは、神のことばを受けたとき、神を信じて、妻サラと、甥のロトと、彼らが得たすべての財産と、カランで加えられた人々(しもべ)を伴い、カナンの地に行こうとして出発し、カナンの地に入りました。アブラハムは、神を信じ、神に従う者でした。

 

 「アブラハムは信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(創世記15:6)

 アブラハムは、信仰によって義と認められた、神の義人です。信仰によって神に義と認められる神の民イスラエルの最初の人です。

 

 地上のすべての民族は、アブラハムによって祝福されます。アブラハムの信仰が、神のひとり子イエス・キリストを世に生むことになります。世の罪の呪いである死から救い出し、永遠のいのちを得させる権威を持つメシア(イエス・キリスト)が、アブラハムの信仰の中に存在していました。神は、アブラハムのうちに、御自分のひとり子イエスの御救いをご覧になっておられたのでしょう。

 

 神は、アブラハムに、「あなたの名は祝福となる。」と仰せられました。アブラハムは、御救いをもたらす神の民の父なのです。

 

 アブラハムは、「神が私たちとともにおられる(インマヌエル)。」と呼ばれる神のひとり子イエス・キリストを遣わされる唯一の民族、神の民イスラエル(ユダヤ民族)の父となるのです。

 

 神はアブラハムに、祝福の基としての契約を与えられました。それは、アブラハムの子孫の祝福に留まりません。地上のすべての民族を祝福する、祝福の基としての約束です。神の祝福を、地上のすべての民族は、アブラハムから受け取るのです。そして、アブラハムは、天の神を信じるすべての人々の父となります。アブラハムは、信仰の父です。信仰を持つ者の始まりなのです。

 

 祝福の基であるアブラハムのうちに、神が造られる神の民イスラエルがあり、永遠のいのちを得させるメシア(永遠に生きるキリスト)がいます。

 

 メシアの祝福とは、何でしょう。「神は私たちとともにおられる(インマヌエル)。」という名です。イエス・キリストの御名に、インマヌエルの御霊がおられます。

 

 神は、信仰の義人アブラハムの子孫に、御自身のひとり子イエスを遣わすことを定めておられました。それゆえ、アブラハムの子イサクも神が造られました。90歳になろうとしている不妊の妻サラの胎に、アブラハムの子を身ごもらせられたのです。サラはすでに閉経していました。人間の常識では、閉経した女に、しかも九十歳になろうとしている老婆に、子どもが宿ることはありません。

 しかし、神は、アブラハムに約束したとおり、妻サラに男の子を与えられました。祝福の基となる御計画は、神のひとり子イエス・キリストのうちにあるのです。このこと(祝福の基)が神から出たものであることは明らかです。

 

 アブラハムに与えられた神の祝福の契約は、神の御力によって、閉経した不妊の老妻サラの胎に男の子を宿すことからスタートしました。人間には不可能な妊娠でした。

 

 アブラハムに約束されていた、アブラハムの契約と祝福を受け継ぐ子は、神によって用意されたのです。アブラハムもサラも誇ることができません。

 神の約束の成就が遅いことにしびれを切らしたサラは、エジプト人の女奴隷ハガルを夫アブラハムに与えて、アブラハムに肉の子どもイシュマエルを設けたからです。

 また、アブラハムはサラの意見を聞き入れて、ハガルのところに入り、イシュマエルを得て、肉の子どもで満足していたからです。

 

 神がアブラハムに約束された跡継ぎは、肉の子どもではありません。神の祝福を受けるのは、霊の子どもでなければなりません。

 神は、不可能を可能にし、神の御力によって、イサクを得させられました。インマヌエルなる神の霊が働いて、神がともにおられる男の子を、アブラハムにお与えになりました。

 アブラハムにお与えになった神の契約と祝福を受け継ぐのは、霊の子どもイサクです。肉の子どもイシュマエルは、イサクとともにアブラハムの契約と祝福を受け継ぐことを神に許されていません。

 

 神のお与えになった契約と祝福は、神が選ばれる者が相続するのです。イサクに双子の男の子が生まれました。妻リベカの胎にいるときから、神は、「兄が弟に仕える。」と告げておられました。

 神は、兄エサウを退け、弟ヤコブを選ばれました。腹をすかせた兄エサウは、レンズ豆の煮物と引き換えに長子の権利を弟ヤコブに売るほど、長子の権利(長子の特権)を軽んじる愚かな人でした。

 

 ヤコブは神と戦い、神の祝福を受けるほどに、神を求める信仰の人でした。ヤコブは、神がともにおられる恵みを悟る賢い人だったのです。

 

 神がアブラハムにお与えになった神の契約と祝福は、イサクに受け継がれ、ヤコブが相続しました。

 ヤコブの子ら(ヤコブの十二人の息子を族長とするヤコブ一族)は、四百年間、外国の地エジプトで奴隷とされて苦しみました。彼らの尊厳は踏みにじられ、家畜のように扱われました。

 

 神は、この奴隷の苦しみを通ったヤコブ一族が、アブラハムにお与えになった神の契約と祝福を受け継ぐのにふさわしいとされ、奴隷の家から救い出されたあと荒野で、彼ら(ヤコブ一族)と神の民としての契約を結び、彼らに神の律法を与えられました。

 

 彼らはユダヤ民族であり、神の民イスラエルです。こうして、アブラハムに与えられた神の契約と祝福は、アブラハムの子孫ユダヤ民族(イスラエル)が受け継ぎ、神はイスラエルをアブラハムにお与えになったカナンの地(現イスラエル)に植えて一つの国、一つの国民とされました。

 

 エジプトは、この世の奴隷の象徴です。この世は悪魔の奴隷です。神と契約を結ぶイスラエルは、神の奴隷です。イスラエルは、奴隷の家エジプトから出て、神の奴隷となったのです。人間の奴隷であったユダヤ民族は、荒野で神の奴隷となりました。神の民イスラエルは、神の奴隷です。

 

 神の奴隷イスラエルは、神の祝福を受け継ぐアブラハムの子孫です。アブラハムに与えられた契約と祝福を相続する民族です。アブラハムの祝福をそのまま受け継ぐ国民です。

 

 イスラエルは、神が父祖アブラハムに仰せられた「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。」という約束の伴った祝福を、神から受けた神の国民です。

 

 神が選ばれた信仰の父アブラハムも、アブラハムの子孫イスラエルも、信仰によって神に祝福されたものです。「神が私たちとともにおられる(インマヌエル)。」という祝福を受け取った、神のものなのです。

 

 聖書の申命記32:10-12に書かれています。

 「主は荒野で、獣の吠える荒地で彼(イスラエル)を見つけ、これを抱き、世話をして、御自分の瞳のように、これを守られた。

 鷲が巣のひなを呼び覚まし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。

 ただ主だけでこれを導き、主とともに外国の神は、いなかった。」

 イスラエルは、神の民なのです。

 

 万軍の主は、預言者ゼカリヤに仰せられました。

 「あなたがた(イスラエル)に触れる者は、わたしの瞳に触れる者だ。見よ。わたしは、こぶしを彼ら(イスラエルを略奪した国々、ユダヤ民族を苦しめた人々)に振り上げる。彼らは自分に仕えた者たちの虜となる。」(ゼカリヤ2:8,9)

 

 預言者イザヤは、終わりの日に起こることを預言しています。

 「まことに、主はヤコブを憐れみ、再びイスラエルを選び、彼らを自分たちの土地に憩わせる。在留異国人も彼ら(イスラエル)に連なり、ヤコブの家に加わる。

 国々の民は彼らを迎え、彼らの所に導き入れる。イスラエルの家は主の土地(神の御子イエス・キリストがイスラエルの王として治めるイスラエル王国)でこの異国人を奴隷、女奴隷として所有し、自分たちを虜にし、自分たちを虐げた者を支配するようになる。」(イザヤ14:1,2)

 

 アブラハムは、地上に置かれた神の祝福です。私たちの御救いを約束する祝福の基です。アブラハムの信仰は、地上に祝福の基をもたらしました。私たちは、神の御子イエス・キリストを信じる信仰によって、神に義と認められるのです。

 

 神のひとり子イエス・キリスト(メシア)の信仰が、御救いを完成しました。イエス・キリストは、天の御国に入る信仰の創始者です。イエスは、十字架で流された子羊の贖いの血で罪を赦し、死から甦り、永遠のいのちを得させる御霊を与えられました。

 

 神が地上に用意された祝福は、アブラハムの信仰であり、イスラエルの信仰であり、神の御子イエス・キリストの御救いの信仰です。

 

 アブラハムを呪う者、イスラエルを呪う者、イエス・キリストを呪う者、イエス・キリストの民を呪う者は、神の祝福を呪う者です。アブラハムを祝福する者、イスラエルを祝福する者、イエス・キリストを祝福する者、イエス・キリストの民を祝福する者は、神の祝福を祝福する者です。

 

 神の祝福を呪う者は、神を呪う者。神を呪う者は、神に呪われます。

 神の祝福を祝福する者は、神を祝福する者。神を祝福する者は、神に祝福されます。

 

 神の祝福は、御救いであります。

 祝福の基を呪う者は、神の御救いを軽んじる者です。神は、彼を笑われます。

 「天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもを嘲られる。ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。」(詩篇1:4,)

 

 祝福の基を祝福する者は、神の御救いを尊ぶ者です。神は神の主権に服する彼らを祝福されます。

 「アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。

 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、『あなたによってすべての国民が祝福される。』と前もって福音を告げたのです。

 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。」(ガラテヤ3:6-9)