ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の安息に向かう

 

 「天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。

 しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どもの裁きと滅びとの日まで、保たれているのです。

 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。

 主は、ある人たちが遅いと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

 しかし、その日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。」(ペテロⅡ 3:5-10)

 

 神がこれから成そうとしておられることを告げても、多くの人は信じません。人の体験を超え、想像をはるかに超えた、気違いじみた事に思うのです。

 ノアの時代の人々もそうでした。七十年以上をかけて、一家で箱舟を造るノア一族は、気違いファミリーです。なんと馬鹿げた一族か。ノアが神の御声を聞き、洪水のことを知らせても、誰も信じません。物笑いの種です。

 

 しかし、ノアが箱舟を完成させて箱舟に入ると雨が降り出しました。最初は、「偶然だ、ノアの言葉が正しいわけではない。」と高をくくっていました。しかし、雨は降り続けます。恐れを感じる者たちがノアの箱舟に入ろうと集まって来ましたが、戸は堅く閉ざされて入ることができません。神が堅く閉じられたからです。不信仰な者は、箱舟に入ることが許されません。

 

 いよいよ、水かさが増して来ます。今までになかったことです。大勢の人が怯えます。これはどうしたことか。とうとう、家畜が流され、家が流され、人が流され、やっと、ノアの言葉が神のことばであったことに気づきます。しかし、もう遅いのです。

 

 水で贖われた地球に、神のことばを信じ神のことばに従って箱舟を造り、洪水をくぐり抜ける箱舟を用意したノア一族だけが生かされました。

 

 ノアに洪水を知らせ、箱舟を造るように命じられた神と同一の神が、今の天と地は、火で焼くために、不敬虔な者ども(悪魔と悪霊ども)の裁きと滅びとの日まで、保たれることを告げておられます。

 

 ノアの時代、神は天と地を水できよめられました。しかし、終わりの時には、天と地を火で焼くことを定めておられるのです。

 

 ノアの時代、ノア一家以外の者は、神のことばを嘲笑い、だれも信じませんでした。それと同様に、神のことばを聞き、神のことばを信じ、神に聞き従う、神の民(イエス・キリストを神の御子救い主であると信じる、イスラエル―御霊によって新しく生まれ御霊の新しい律法に服する霊的イスラエル―)以外の者は、神のことばを嘲笑います。

 

 人にとっての一年間は、神にとって一日間のようです。地上の時間と天の時とははかりが異なります。

 

 ユダヤ暦によると、アダムから現在までは、約六千年です。神からすれば、六日間に感じられる時間の長さです。

 人間は、犬や猫を見て、命が短いと思います。しかし、彼らは与えられた時間を懸命に生きています。彼らにとっては、人の一日二十四時間が、人の6~7日間くらいに感じて生きているのかも知れません。セミが3日間地上で過ごす時間は、人間の六十年くらいの時を感じているのかも知れません。セミが命の終わりに、自分が殻を破って生まれた頃のことを思い出したとしたら、人間が七十歳過ぎて、六十年前を振り返るくらい遠い過去のことになっているかもしれないのです。しかし、人間が見るセミの人生はたったの三日間で、なんと短いことか、と思うのです。

 

 地球の時は、人間の時間ではなく、神の時によって計画が立てられています。人には長いと思えても、神にとっては長くはないのです。

 

 人は神の時を過ごし、神の時を待ち望みます。人に遅いと思われる時間の長さの中で、神は、すべての人が悔い改めて、神に聞き従う、聖なる者になることを望んでおられるのです。神はひとりでも滅びることを望まず、忍耐深く、救いの手を伸べておられるのです。

 

 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。盗人が予告なく、留守であったり、油断している時にやって来るように、神のことばを聞かない者たちにとっては、不意に起こる出来事なのです。しかも、その日は、必ずやって来るのです。

 

 彼らが、嘲笑っていた神のことばが目の前で実現するのを、おののきながら目撃するのです。そんなことは絶対に起こらないと豪語していたことが目の前で起きているのです。天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地のいろいろなものは焼き尽くされます。人間が誇ったものが焼き尽くされるのです。その情景は、まさに、神のことばどおりであることを認知することもなく、神のことばの外で死んでいくのかもしれません。

 

 神は、神の御子救い主イエス・キリストを信じる者に、キリストの御霊を与え、神のことばを聞き、神のことばに聞き従う者として、新しく造り変えてくださいます。神の御霊に導かれる人は、神の子どもとされるのです。そして、御霊は、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、整えてくださるのです。

 

 世の人々は、慌てふためきます。

 

 「しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(ペテロⅡ 3:13)

 

 神が遣わされた救い主、神の御子キリストを主とし、御霊に導かれる人々は、火の状況の中をくぐり抜けた先にある、神が用意された、永遠の安息に向かっているのです。