ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

光あるうちに

 

 「わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。

 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」(ヨハネ9:4,5)

 

 また、イエスは、言われました。

 「昼間は十二時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。

 しかし、夜歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです。」(ヨハネ11:9,10)

 

 イエスは、真理の光として、世に来られました。闇の世を照らす、世の光です。世から出たものではありません。天から降りて来られたまことの光です。真理の光は、神の知識(真理)を与えます。

 

 善悪を知る知識の木の実を食べて、まことの知識(生ける神の知識)を失った人に、いのちの木である神のひとり子イエスが、善悪を知る知識の木の実の「罪の呪い」と、罪の報酬の「死」を打ち砕き、真理(神と神のことば)を知らせ、真理を受け入れる者にいのちの木の実を与えて永遠に生きる者とするために遣わされました。

 神の命令に背き、神の光を失った人類は、どこに向かっているのかもわからず、心の安らぐ場所を切望しながらも望みなく、死に飲み込まれて行きました。

 

 太陽のもとで光を見ているようで、心は闇でした。心の闇を照らし出す光はなく、神が与えた聖書の御言葉が唯一のともしびでした。しかし、そのともしびは、全人類にあったのではありません。神が造り、また、選ばれたイスラエルの民に託されたものだったのです。イスラエル以外の者は、ともしびもなく、彼らの霊は暗闇の中を彷徨うばかりでした。ただ、暗闇に浮かぶぼんやりとした、微かな灯りを遠くにながめているだけです。

 

 ともしびは足のともしびであって、全体を照らすわけではありません。道は見えません。ただ、ともしびに従って歩むだけです。これが、ユダヤ民族の歩みでした。足のともしびですが、確かに彼らには、進む道を示すともしびがあったのです。

 

 ともしびを持つユダヤ民族に、世の光が輝きました。この光は、イスラエルの神がイスラエルに遣わされた真理の光です。真理の光は、足のともしびとは異なり、すべてのものを照らす、神のひとり子でした。

 

 父なる神から遣わされた神のひとり子イエスは言われました。

 「わたし(イエス)を信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方(神)を信じるのです。また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方(父なる神)を見るのです。

 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれも闇の中に留まることのないためです。

 だれかが、わたしに言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。

 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。

 わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父御自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。

 わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」(ヨハネ12:44-50)

 

 神の御子イエスを信じない者は、最後の裁きのときに、イエスの語ったことばによってさばかれることを言われました。イエスのことばは、天から神のひとり子イエスを遣わされた父なる神のことばなのです。神は、御自身のことばによって、さばきをなされます。

 

 父なる神も、神のひとり子イエスも、最後の裁きを下される裁き主であられるからです。

 

 イエスが語った父のことばとは、父の命令です。父(全能なる神)の命令とは、永遠のいのちです。永遠のいのちとは、イエスのことばを聞いた人々が、唯一のまことの神である父と、父の遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(ヨハネ17:3)

 

 神は、御子イエスに、すべての人を支配する権威をお与えになっておられます。それっで、主イエス・キリストは、父からいただいたすべての者に、永遠のいのちをお与えになるのです。

 

 最初の人アダムへの神の命令は、「善悪を知る知識の木の実を食べてはならない。それを取って食べるとき、必ず死ぬ。」でした。アダムは、その命令を守らずに死にました。神の命令は、永遠のいのちなのです。

 

 神が、アダムの罪を贖う神の子羊イエスを遣わされ、罪の呪いと死を滅ぼす主キリストを御自分の民イスラエルに与えられました。主キリストを遣わされた神の命令は、「神の子羊イエス、神の御子、主イエス・キリストを信じて生きよ。」なのです。

 

 イスラエルの足のともしびであった神のことば(モーセやダビデや預言者たちのことば)は成就して、主イエス・キリストのことばが、世の光として、世界を照らしています。

 

 主キリストがお与えになった、キリストの御霊によって、世の光は輝き続けています。しかし、死から復活された御子イエスが天に引き上げられたように、やがて、キリストの御霊も天に引き上げられるときがやって来ます。

 

 御霊が引き上げられると、世は、イエスが降誕される前のような、光のない世界となります。神に召された者の上に聖霊がおられた旧約の時代のようです。すべての者が、神のことばを伺うときは終わりました。神のことばを聞けない者たちは、足のともしび(神の立てた者の語る神のことば)にすがります。

 

 「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。闇があなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。

 あなたがたにお光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」(ヨハネ12:35,36)