ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の初穂

 

 「先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」(マタイ19:30)

 

 神の約束は、ユダヤ人のものでした。ユダヤ民族は、神が御救いのために造られた神の民です。神のことばを受ける祭司の国民です。神の契約を受けたのは、ユダヤ民族です。神は、契約を結ぶ民ユダヤ民族に、『聖書』を与えられました。

 

 聖書のことばは、さまざまな宗教に影響を与えています。真理と呼ばれるもののすべてに、聖書のことばが見え隠れしています。

 

 ユダヤ人の聖書がなければ、どうして人間は、アダムとエバを知り得たのでしょう。どうして、宇宙の創造を知ることができたでしょう。創造主の存在を明らかにするのが聖書です。

 

 また、聖書は、世の終わりについて、死後の裁きについて、新しい天と地である神の御国について教えます。人間が宗教で追求し哲学で追究してきた「真理」は、聖書の中にあります。

 

 真理は、ユダヤ人に託されました。彼らは、創造主である神を証し、世に真理を知らせる務めを担っているのです。彼らの目は光を見ていなければなりません。世は闇です。偽りの真理でごまかされており、まことの真理の光を打ち消す闇なのです。闇の中に真理はありません。

 

 ユダヤ人たちは、神のことばに従い、光(真理のことば)の中を歩まなければなりません。聖書のみことばは、闇の世を進むユダヤ人の足のともしびでした。このともしびによって、世に与えられた唯一の真理の道(闇から救い出される創造主が導く光に続く道)を見出すことができるのです。

 

 ユダヤ民族は、真理の道を世の人々に知らせる役目を持っているのです。彼らは、神の律法を目の前に置き、神の御教えを口ずさみ、約束のキリストを待ち望んでいました。このキリストが来られたならば、すべてのことを明らかにしてくださると知っていたからです。

 

 足のともしび(聖書)が与えられているユダヤ民族に、真理の光(キリストの栄光)が輝いて、すべてのことが明らかにされるのです。キリストは神から遣わされる人です。神のことばを生きる、生きたみことばです。キリストが道を示し、永遠の希望に導き入れてくださるはずです。闇から光に導き入れて、すべてのことを解決してくださるのです。

 

 聖書のみことばを守り、足のともしびを頼みとする闇の世の歩みから、真理の光とともに光を見ながら道を歩む確かな歩みとされるのです。

 

 キリストを待ち望むユダヤ人たちに、真理の光が輝きました。神の御子キリストが世に来られました。しかし、ユダヤ人たちには、ナザレのイエスがキリストであることがわかりませんでした。

 

 ナザレのイエスは、聖書のみことばどおりに、ダビデの町ベツレヘムで処女マリアから生まれ、卑しいナザレ人と呼ばれました。レビ人でもなく、正規の学びもしておられないのに、神のことばを教え、真理を明らかにしました。

 

 イエスは、イスラエルに契約を与えた神を、父なる神として教えました。イスラエルの全能の神、主はイエスの父であり、イエスは神の御子なのです。イエスは、神の御国について、永遠のいのちについて教えました。

 

 レビ人である祭司や律法学者やパリサイ人たちは、イエスを怪しみました。律法が彼らの思いを暗くし、生きた神を見えなくさせていました。彼らには、イエスのことばもわざも悪霊によるものだと思われたのです。ユダヤの民衆は、祭司たちに扇動されて、イエスを十字架につけました。

 こうして、聖書に書かれているとおりに、神から遣わされたキリストは、罪の贖いの神の子羊として血を流されて、罪を赦す贖いのわざを成し遂げられました。

 

 聖書のみことばどおりに、キリストは死から甦り、天に上って、神の御座の右に着座されました。キリストの約束どおりに、聖霊が注がれ、キリストを信じる者のうちに御霊が来て住まわれたのです。

 真理の御霊が心の割礼となり、心に記された律法となり、真理の光(キリストの栄光)を見させ、イエスのことばを思い起こさせていのちの道を歩ませ、永遠のいのちに導いてくださるのです。

 

 神の初穂であったユダヤ人たちが、キリストの新しい契約を受けて、キリストのことばに聞き従う群れをつくりました。モーセの与えた「彼に聞き従わなければならない。」との命令をユダヤ人たちは守りませんでした。しかし、キリスト・イエスを信じたユダヤ人は、モーセの命令を守りました。キリストを信じるユダヤ人こそ、神の律法を守る者だったのです。

 

 ナザレのイエスとイエスの弟子たちは、ユダヤ教の新しい教義を信じるユダヤ人としてナザレ派と呼ばれ、ユダヤ教の一派に数えられていました。

 しかし、イエスが天に上り、弟子たちが聖霊を受けると、ユダヤ教徒の知り得ない生きた神の御霊の導きにより、違う道を歩むことになりました。

 ユダヤ教の一派ではなく、神の教会となりました。

 

 異邦人もキリストを信じて救われ、救いを受けた異邦人が増加すると、ユダヤ人が排除されて、異邦人のキリスト教会となりました。

 

 異邦人のキリスト教会の中で、教会に異議を申し立てるマルチン・ルターが現われ、プロテスタント教会が誕生しました。

 儀式的で形骸化された教会から出て、聖書のことばに忠実であることを教義とし、キリストを信じる信仰によって救われることを主張する群れとなりました。

 

 ユダヤ人たちに与えられた救いの約束は、キリストを信じる者たちのものとなり、律法の下にいたユダヤ人たちは取り残されて、キリストを信じるユダヤ人と異邦人が受け取りました。

 

 律法の義を求めていたユダヤ人はイエスを信じることができず、ユダヤ人たちから罪人として嫌われていた取税人や遊女たちがイエスを信じて、祭司や律法学者やパリサイ人たちよりも先に、神の用意された救いに入ったのでした。

 

 救いの契約をいただいていたユダヤ人が神の遣わされたキリストを信じることができす、契約の外にいた異邦人がキリストを信じました。契約の民ユダヤ人よりも先に、キリストを信じた異邦人が神の御国に入っているのです。

 

 そのように、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。ユダヤ人の教会からユダヤ人を締め出し異邦人のキリスト教会とした先の教会よりも、あとにできたプロテスタント教会のほうが、先に神の国に入っているのでしょう。

 

 キリストは、永遠のいのちを与える世の光です。キリストの福音は、世界に広がりました。

 

 終わりの時代に、神および子羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた十四万四千人のユダヤ人のことが、聖書に書かれています。

 「彼らは女に汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、子羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および子羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われたのである。

 彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。」(黙示録13:4,5)

 

 神が、神と神の子羊イエス・キリストに献げられる初穂として贖われた十四万四千人のユダヤ人は、宗教に侵されていない人々です。ユダヤ教や、キリスト教や、その他のどんな宗教とも関わりを持っていません。真理以外のもの、人間の言葉や偽りの宗教に汚されていません。彼らは、宗教の神々を頼みとする者ではなく、自分のうちの良心に従って、神の霊とともにいた者たちです。彼らの中には、人間の教えはありません。

 

 彼らは、ユダヤ人の中から贖われた人ではなく、人々の中から贖われた人です。ユダヤ人のコミュニティの中にいないユダヤ人(アブラハム、イサク、ヤコブの血統の人々)です。

 

 彼らは偽りを好まず、目に見えない神を畏れ、自分の良心を偽ることなく正直で、良心に従って生きた、心に暗いところのない正しい者のようです。

 

 イエスは、先の者があとになることが多い、といわれています。しかし、神の初穂は、やはり、アブラハムの子孫であり、契約の民ユダヤ人でした。アブラハムのように宗教を持たず、生ける霊なる神に従ったユダヤ人です。神は、終わりの時のために、彼らを守っておられるのでしょう。神の時に、彼らが心の中に大切にしてきた霊なる存在が実は、真理の神と神の御子キリストであったことを悟る者とされます。

 

 キリストの血と聖霊によって新しく生まれ贖われた人々が、神の御国の聖徒です。血肉のユダヤ人ではありません。

 十四万四千人のユダヤ人が初穂として、神と子羊に献げられると、ユダヤ人は救われます。初穂が聖いので、粉全体が聖いとされるのです。