創世記10,11章に、地上で最初の権力者二ムロデのことが書かれています。ノアの洪水の後の出来事です。神がノアとその家族を箱舟に入れて洪水から守り、世界を大洪水で滅ぼして暴虐に満ちていた地をきよめた後の人々のことです。
四十日四十夜雨が降り続け、水は百五十日間、地の上に増え続けて、すべての生き物を地の面から消し去りました。神が命じられたからです。
神は箱舟に入ったノアたちに心を留めておられ、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めました。そして、水は、しだいに地から引いていき、地が乾ききると、神は、ノアに「箱舟から出なさい。」と命じられ、ノアたち箱舟に入っていたものが外に出ました。
ノアは、主のために祭壇を築き、祭壇の上で全焼の生贄を献げたのでした。神は、ノアとその息子たちを祝福されました。
アダムの堕罪から原罪の実を結んだアダムの子孫は、洪水によって一掃されました。神が選んだノアとノアの家族だけが生き残り、ノアの家族から世界は再び動き始めました。現在地上に住む人々は、ノアの子孫です。
ノアの三人の息子、セム、ハム、ヤペテの子孫です。セムの子孫はアジア系の人々(黄色い肌の人々)、ハムの子孫はアフリカ系の人々(黒い肌の人々)、ヤペテの子孫は欧米系の人々(白い肌の人々)と言われています。
今の人類は、神を畏れるノアの築いた祭壇の上での全焼の生贄から始められました。被造物であるノア(人)が、創造主であられる神を恐れ、神の怒りをなだめ、神への全き献身を誓ったのです。
洪水から救い出されたからと言って、ノアとノアの家族に罪がなかったわけではありません。彼らもアダムの子孫です。アダムの罪の性質を受け継ぐ者です。神のことばから外れ、神の主権にへりくだることのできない罪の性質を受け継ぐ者です。
ノアとその家族も原罪(神に背く性質)を持つ者です。原罪は、洪水の水できよめられるようなものではありません。洪水は罪に満ちた世界を滅ぼすことによって世をきよめただけで、人の心まできよめる力はありません。
さて、主のために全焼の生贄を献げたノアの信仰から再スタートした世界ですが、生き残った者のうちに宿る原罪の性質が再び働き始めました。
ハムの子クシュの子二ムロデが最初の権力者となって人々の心を、創造主である神に立ち向かわせました。彼らは、自分たちの名をあげるために、天に届く塔を建てようとしました。彼らの反逆の心をご覧になった主なる神は、彼らの言葉を通じないようにして混乱させ、人々をそこから全面に散らされました。神は人々の心の一致を乱し、神に反逆する力を分散させられました。
最初の権力者二ムロデの策略は、無に帰したわけではありません。言葉が分かれ、民族、国に分立した人類ですが、二ムロデを立てた悪魔は今も働いています。霊なる存在の悪魔は、肉体を持つ人間のように朽ちることがないのです。今も生きて働いています。生きていても、彼らの居場所は死の世界なのです。
世の終わりに、反キリストが立つことはよく知られたことです。彼は、二ムロデが建て始めたが完成できなかった塔を完成する、悪魔のしもべです。
オスマン帝国の復興を促し、彼が権力者として支配する彼自身の国を建てることでしょう。おそらく、二ムロデが塔を建て始めた地シヌアルの地(イラク)に、かつて大いに栄えたバビロニア帝国のような覇権国をつくることでしょう。
反キリストは、二ムロデが建て始めた、神に歯向かう者の町を、神に敵対する国として完成させ、世界中を悪魔の民とすることでしょう。なぜなら、反キリストに権威を与えるのが、悪魔だからです。反キリストは、悪魔の心と権威をもって、神の民であるユダヤ人とクリスチャンたちを迫害し殺戮します。
反キリストは、ユダヤ人に自分の像を拝ませ、クリスチャンに人間の数字666を刻印して、彼らを神と断絶させます。刻印とは、現在では、高度な技術のチップのことではないのかと考えられています。
多分化した言語を一つのようにするでしょう。チップには、高性能の自動翻訳機能があって、自国の言語で、世界の人々と繋がるのです。神が、悪魔の力で一致しないように分断した言語を、悪魔は、自動翻訳機能で一つの言語であるかのように世界を一つにすることでしょう。
言葉の壁がなくなった世界は、反キリストの忠実なしもべとなります。悪魔の奴隷となるのです。反キリストによって、世界中の人々の心が悪魔になびきます。
アダムの罪は、数千年の時を経て、再び、原罪の実を結ぶのです。
神が、御自分の民を造るためにアブラハムを立て、イスラエルを造り、神の御子イエスを遣わされたように、悪魔は、自分の国、自分の民をつくるために権力者二ムロデを立て、人の子イエス(神の御子キリスト)を生むユダヤ人を惑わし、イスラエルの王(復活のキリスト)を地上に迎えるイスラエルに戦いを挑みます。
そして、世の終わりには、反キリストを立てて世界中の神の民の信仰を砕いて神から引き離し、反キリストに国を与えて世界中を悪魔の民で満たします。
すると、天からキリスト・イエスと軍勢が来て、彼らを滅ぼすのです。
神は、世界を火で滅ぼす前に、救い主を遣わされました。神の御子イエス・キリストです。イエスは罪の贖いの子羊として十字架で血を流しました。
天から遣わされた神の子羊イエスの贖いの血は、アダムの罪、原罪を砕く力があります。ノアの時代の洪水は、世をきよめましたが、生き残った人々の心をきよめることはありません。彼らは原罪を持ったままで、世を再スタートさせたのです。
しかし、世が火で滅ぼされる前に、神は、神の子羊イエスの贖いの血による罪の赦しのわざを、世に与えられました。イエス・キリストを信じる者は、神から、キリストの贖いの血による罪の赦しを受けます。キリストの血によってきよめられるのです。キリストの血は、原罪の呪いを打ち砕きました。アダムの罪は赦され、アダムの罪から解放されます。イエス・キリストを信じる者は、神に義とされます。それは、神のことばを信じたからです。
神のことばを信じて、神の御子イエスを信じキリストの御霊を受ける者は、キリストの性質に造り変えられます。彼らは、アダムの性質(肉の性質)に死んで、第二のアダム(キリストの御霊の性質)によって生まれ、永遠のいのちを受ける神の子どもたちです。
イエス・キリストを信じても、肉に従って生きる者は、義の実を結びません。義の実とは、神に罪赦された者が、神に義とされる者に与えられるキリストの御霊を宿し、御霊によって新しく造り変えられて、キリストに似た者に創造されキリストのからだにふさわしい者とされることです。
キリストの血で罪赦されて義とされても、御霊の新しい創造を受けていない者は、義の実を結ぶことはありません。神に義とされながら、神の義によって歩まなかった者です。神の恵みを無にする者です。神に義とされたことで満足し、義人として歩むことを怠った不信仰な者です。義人として歩むとは、聖霊の宮となることです。
神に義とされた者は、御霊によって新しい創造を受けてはじめて、永遠のいのちが保証されるのです。御霊の創造は、キリストの血による義が結ぶ実であり、永遠のいのちなのです。
生まれつきのままの人間として生きる者と、キリストの血によって義とされキリストの御霊によって新しい創造を受ける人の子に分かれます。
第一のアダムと、第二のアダムです。罪あるままの者と、罪赦された者です。原罪を抱える者と、キリストの血によって原罪が取り除かれた者です。
原罪の結ぶ実は、悪魔の支配下にあって、その報酬は死です。
義の結ぶ実は、神のことばのうちにあって、キリストのからだであり、その報酬は永遠のいのちです。