イエスがユダヤ人たちに、「だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。」と言われたとき、ユダヤ人たちはイエスに言いました。
「アブラハムが死に、預言者たちも死にました。しかし、あなた(イエス)は、『だれでもわたし(イエス・キリスト)のことばを守るならば、その人は決して死を味わうことがない。』と言うのです。
あなた(イエス・キリスト)は、私たち(ユダヤ人)の父アブラハムよりも偉大なのですか。そのアブラハムは死んだのです。預言者たちもまた死にました。あなたは、自分自身をだれだと言うのですか。」(ヨハネ8:52,53)
「イエスは答えられた。
『わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光はむなしいものです。わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。この方のことを、あなたがたは「私たちの神(イスラエルの神)である。」と言っています。
けれどもあなたがたはこの方を知っていません。しかし、わたしは知っています。もしわたしがこの方を知らないと言うなら、わたし(イエス)はあなたがた(ユダヤ人たち)と同様に偽り者となるでしょう。しかし、わたしはこの方を知っており、そのみことばを守っています。
あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼は、それを見て、喜んだのです。」(ヨハネ8:54-56)
イエスは、ユダヤ人の神、イスラエルの神はわたしの父である、と言われました。イエスは、肉体を持つ人となって地上に来られる以前、天地万物を造られた全知全能の神とともにおられ、神とともに創造のわざをされた神のひとり子でした。
人の子イエスは、天から追放された天使長(闇の王者悪魔)が妬み、敵対して憎んだ神のひとり子です。アブラハムは、アブラハムの子孫に、神のひとり子キリストが生まれることを知っていました。それで、その子孫(蛇の頭を踏み砕く女の子孫「人の子」)が遣わされ世に現われることを待ちわび、その訪れの日を信じて喜んだのでした。
イエスはユダヤ人たちに言いました。イエスは自分で栄光を求め、自分自身で栄光を取るのではありません。父なる神の御計画に服従して神が造られた肉体に入り、神の子羊としてイスラエルに来られた神のひとり子、父に忠実に聞き従った神のひとり子(イエス・キリスト)が、父から誉れを受けられるのです。
イエスがユダヤ人たちに言われたとおり、イスラエルの神は、神の祭司の国民イスラエルから神の子羊イエスの罪の贖いの血を受け取られ、十字架まで忠実に聞き従い通したひとり子イエスを喜ばれて、神の子羊イエスを死から甦らせ、天に上げて御自分の御座の右に座らせられました。
神御自身が、罪の贖いのわざを完了し神の御救いを成し遂げた神の子羊イエス・キリストに誉れを与えられました。
イエスは、父がお与えになられる栄光を知っていたので、十字架の死まで父なる神に聞き従い通されました。
「彼(人の子となられた神の御子イエス・キリスト)は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。」と、イザヤ書53:11に書いてあることが、神の子羊イエス・キリストにあって成就しました。
イエスが、「アブラハムはわたしの日(神の御子イエスが遣わされてアブラハムの子孫のところ〈イスラエル〉に来られアブラハムの子孫〈ユダヤ人たち〉の間を歩かれる時代)を見て喜んだ、と言うのを聞いたユダヤ人たちはイエスに向かって言いました。
「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」(ヨハネ8:57)
アブラハムは、二千年も前に死んだ人です。そのアブラハムがイエスを見たとは、いったいどういうことでしょうか。
イエスはいぶかしく思うユダヤ人たちに言われました。ユダヤ人たちは、イエスは悪霊につかれていると思ったのです。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」(ヨハネ8:58)
イエスは、天地万物を造られる以前から、天におられた神のひとり子です。アブラハムが生まれる前からおられたのです。アダムとエバが造られる前からおられました。
イエスが神のひとり子であることを信じられないユダヤ人たちは、イエスがイスラエルの聖なるお方(イスラエルの神)を父と呼ぶことで、神の聖を汚す大罪者であると考えました。
ナザレのイエスは、神を父と呼び、聖なる神を冒瀆したのです。イスラエルの聖なる方を冒瀆する罪は、イスラエルをも冒瀆することです。
イスラエルの中から神を冒瀆する者を取り除かなければ、イスラエル全体が神に罪を犯したことになり、神にさばかれてしまいます。イエスは、聖なる神の民から取り除かなければなりません。
イエスは、ぶどう園を造って農夫たちに貸した主人のたとえ話を、祭司長や民の長老たちに話されました。(マタイ21:33-40)
「収穫の時が近づいたので、主人が自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わしたが、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、袋だたきにしたり、石で打ったり、殺したりした。
そこでもう一度、主人が前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。
そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、息子を遣わした。
すると、農夫たちは、主人の息子を見て、話し合って言った。「あれは跡取りだ。さあ、息子を殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。」
そして、農夫たちは、主人の息子をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。」
そして、イエスは、祭司長や民の長老たちに言われました。
「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。
『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。
これは主のなさったことだ。
私たちの目には、不思議なことである。』
だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民(イエス・キリストを信じる異邦人)に与えられます。」(マタイ21:42,43)
神がイスラエルに預言者たちを送られたのに、祭司長や民の長老たちは預言者たちのことばを憎み、預言をするなと怒り、殺しました。別の世代でも、預言者たちを送ると同じような扱いをしました。
神は、御自分のひとり子ならばイスラエルも敬ってくれるだろうと、神のひとり子イエス・キリストを送られましたが、イスラエルは、神のひとり子(ナザレのイエス)を十字架につけて殺しました。
神の国を待ち望むイスラエルに、イスラエルの神が、神の国を建て上げるために用意された礎の石は、神のひとり子イエス・キリストであり、イエスのことばです。
イエスはイスラエルの神を「わたしの父」と呼んでおられ、弟子たちに、父がどのようなお方なのかを教えられました。
また、ユダヤ人たちがイエスの弟子たちをユダヤ人の会堂から追放し、イエスの弟子たちを迫害し殺すことで、自分は神に奉仕しているのだと思うときが来る、と言われました。
このようなユダヤ人たちに対して、イエスは言われました。
「彼らがこういうことを行なうのは、父(イスラエルの神)をもわたし(イスラエルの神が遣わされた神のひとり子キリスト)をも知らないからです。」(ヨハネ16:3)
イエスは、聖なる父(イスラエルの神)から来て、父のみもとに帰ることを弟子たちに語られました。
イエスは目を天に向けて、言われました。
「(天の神であられる)父よ。時が来ました。あなたの子(神の子羊イエス)があなた(イスラエルの神)の栄光を現わすために、子(神のひとり子)の栄光を現わしてください。(死から甦らせて弟子たちにわたし〈ナザレのイエス〉が確かに神の御子であることを証してください。そして、イスラエルの神が死から甦らせていのちを与える神であることを知らせてください。)
それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子(神のひとり子イエス・キリスト)にお与えになったからです。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざ(盲人の目を開き、耳の聞こえなかった者が聞こえ、病人が癒され、死人が生き返り、悪霊を追い出し、また、多くのしるしや奇蹟)を、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。
今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前(天地万物を創造する前)に、ごいっしょにいて持っていましたあの(神のひとり子の)栄光で輝かせてください。
わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々(イエスの弟子たち)に、あなたの御名(イスラエルの神は神の子羊イエスの父、そしてイエスを信じる弟子たち、すなわち神の子どもたちの父)を明らかにしました。彼ら(イエスの弟子たち)はあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。
彼らはあなたのみことば(モーセのように神が遣わされる預言者〈神のことばを語る者〉であるキリスト〈神の子羊イエス〉に聞き従いなさい。)を守りました。
いま彼ら(イエスの弟子たち)は、あなた(父なる神)がわたし(神のひとり子)に下さったもの(ことばも奇蹟もしるしもすべてのもの)はみな、あなた(イスラエルの神)から出ていることを知っています。
それは、あなたがわたしに下さったみことば(父のことば)を、わたしが彼らに与えたからです。(イエスのことばによって弟子たちは信じました。)弟子たちはそれを受け入れ、わたし(イエス・キリスト)があなた(イスラエルの神)から出て来たことを確かに知り、また、あなた(父なる神)がわたし(神のひとり子)を遣わされたことを信じました。」(ヨハネ17:1-8)
イエスはいつも、自分から話されませんでした。神の御子イエスを遣わされた父(イスラエルの神)御自身が、イエスが何を言い、何を話すべきかをお命じになり、イエスは、父がイエスに言われたとおりを、そのまま話しておられました。(ヨハネ12:49,50)
イエスは、ひとり子(イエス・キリスト)を遣わされた父(イスラエルの神)の命令が「永遠のいのち」であることを知っておられたので、父がイエスに言われるままを話されたのでした。
イエスは言われました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたし(イエス・キリスト)を通してでなければ、だれひとり父(イスラエルの神)のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)
アブラハムの名でも、モーセの名でも、ダビデの名でもありません。イスラエルの神のみもとに連れて行く唯一の名は、神のひとり子イエス・キリストの御名にあるのです。
イスラエルの神は、神の御子イエス・キリストにお与えになったすべての者に永遠のいのちを与えるために、すべての人を支配する権威を神の御子イエス・キリストにお与えになったのです。