ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ふたりの油注がれた人

 

 預言者ゼカリヤは、全体が金でできている一つの燭台を見ていました。

 その(金でできている燭台の)上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついていました。

 また、その(燭台の)そばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一本はその左にありました。

 

 御使いは言いました。

 「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。

 大いなる山(妨げるもの)よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」(ゼカリヤ4:6,7)

 

 神は、ふたりの油注がれた人を立てられます。イスラエルの王イエス・キリストのそばの右と左に立つ人です。

 ゼカリヤが見た、全体が金でできている一つの燭台はイエス・キリストです。七つの金の燭台(七つの御霊の教会)を一つ(神の国民)にして、治められるとこしえの王です。

 

 黙示録を書いたヨハネは、この栄光のイエス・キリストを見ました。

 「振り向くと、七つの金の燭台が見えた。それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。

 その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。

 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣(真理の神のことば)が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。(栄光に輝いていた。)

 それで私は、この方(神に主権と光栄と国が与えられて永遠に生きておられるキリスト・イエス)を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼(主キリスト)は右手を私(使徒ヨハネ)の上に置いてこう言われた。

 『恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとの鍵を持っている。(イエス・キリストは、創造の初めから存在しており、創造を完成する者であり、とこしえに生きる神のひとり子である。人の子イエスは死んだが、死から甦り、いつまでも生きている。また、最後の裁きの永遠の死とハデス(永遠に滅びる者の永遠の火の池〈地獄〉)との鍵を持っている。』」(黙示録1:12-18)

 

 栄光のキリストは、右の手に持つ七つの星と、金の燭台について、その秘められた意味を明かされました。七つの星は七つの(御霊の)教会の御使いたち、七つの燭台は七つの(御霊の)教会であると、ヨハネに告げられたのです。

 

 預言者ゼカリヤが見たのは、金でできた一つの燭台でした。それには、七つの管があり七つのともしび皿がありました。七つの燭台(七つの御霊の教会)は、ここにおいて、七つの管と七つのともしび皿を持つ一つの燭台となっているのです。

 

 神の御座の前では七つのともしびが燃えています。このともしびは神の七つの御霊であると、黙示録4:5に書いてあります。

 七つの御霊の教会は、父なる神と、神の御子イエス・キリストと、聖霊によって守られ、建て上げられています。そのことは、神の御前でなされています。そして、それぞれの教会をそれぞれの御使いが守っています。

 

 神の御前で永遠に生きる神の子どもたちは、この七つの御霊の教会なのです。

 

 「ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた。彼の手が、それを完成する。このとき、あなた(ゼルバベル)は、万軍の主が私(御使い)をあなたがた(ユダヤ人)に遣わされたことを知ろう。

 だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。これらは、ゼルバベルの手のある下げ振りを見て喜ぼう。これらの七つは、全地を行き巡る主の目である。」(ゼカリヤ4:9,10)

 

 普遍の聖書の歴史は繰り返します。ゼカリヤの預言は、終わりの日において、もう一度、成就するのです。終わりの日のゼルバベルは、卍と十字のしるしのある人、すなわち、イスラエルのメシアとして現われるのでしょう。

 このゼルバベルの霊によって現われる人は、ふたりの証人のうちのひとりです。彼は、宮の礎を据えます。まず、ユダヤ人たちの信仰の土台にイエス・キリストへの信仰と忠誠を礎として据えます。ユダヤ人の信仰を神の御子キリストにある、とこしえの信仰として築き直すのでしょう。

 

 ユダヤ教は、神の御子イエス・キリストを生み、神の子羊イエスを十字架につけ、罪の贖いを成し遂げて目的を果たすと、蝶を羽ばたかせて抜け殻となりました。

 真理は、律法の契約というユダヤ教のさなぎから抜け出して、蝶(神の御子イエス・キリストの契約)となって、全世界に目を向けて飛び立ったのです。

 抜け殻からは、いのちは生まれません。いのちを生むものがユダヤ教に残されていません。神は、いのちあるものの中から、ふたりの証人を起こされます。

 

 おそらく日本人だと思われます。しかし、血統的には、ヤコブの子孫でしょう。彼を見たユダヤ人たちは、初めは懐疑的でしょう。しかし、彼の指揮のもと、エルサレムに第三神殿が建てられて行くのを喜びます。そして、神殿が完成すると、ユダヤ人たちは、彼がイスラエルの神に遣わされた者であることを知るのです。

 ゼルバベルが運び出したかしら石は、十四万四千人のユダヤ人であり、そのかしら石にある七つの目は、全地を行き巡る主の目です。ひとりひとりの信仰を探り、信仰の勝利者を御霊の教会に加える主の目です。こうして、神は、終わりの時に、十四万四千人のユダヤ人を宣教に遣わして七つの御霊の教会をそれぞれ建て上げていかれるのでしょう。

 

 神は、主のしもべアブラハムと契約を結んだ、アブラハムの血肉の子孫ユダヤ民族のことを忘れてはおられません。

 異邦人の時が完成すると、神は、ユダヤ人の救いの時を定めておられます。そのために、神は、油注いだふたりの証人を立てられるのです。

 

 「『わたし(神)がわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て(ユダヤ民族のために赦しを請い、罪の悔い改めをもって執り成し)千二百六十日の間預言する。』

 彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。

 彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵(反ユダヤの勢力)を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。 

 この人たちは、預言をしている期間は(エリヤのように)雨が降らないように天を閉じる力を持っており、また、(モーセのように)水を血に変え、そのうえ、思うままに、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。」(黙示録11:3ー6)

 

 彼らは、二本のオリーブの木です。

 二本のオリーブの木は、全地の主のそばに立つ、ふたりの油注がれた者なのです。(ゼカリヤ4:14)

 

 「ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。『先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。』

 イエスは彼らに言われた。『何をしてほしいのですか。』

 彼らは言った。『あなた(イエス・キリスト)の栄光の座(イスラエルの王の王座)で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。』

 しかし、イエスは彼らに言われた。『あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたし(イエス)の飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとする(十字架の死の)バプテスマうを受けることができますか。』

 彼らは『できます。』と言った。イエスは言われた。 

 『なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。

 しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。』(マルコ10:35-40)

 

 ゼカリヤが見た二本のオリーブの木は、燭台(七つの御霊の教会を持つイエス・キリスト)の右左にありました。

 

 このふたりの油注がれた人は、千二百六十日間の預言の期間を終えると、反キリストに殺され、三日半の間、彼らの死体は都の大通りにさらされます。

 しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らは死から復活します。

 「そのときふたりは、天から大きな声がして、『ここへ上れ。』と言うのを聞いた。そこで、彼ら(ふたりの油注がれた人)は雲に乗って天に上った。」(黙示録11:12)

 これらのふたりの証人に、十字架にかかられたイエスと同じような事が起こるのです。

 

 これらのふたりの油注がれた人(ふたりの証人)は、イスラエルの王として来られる主キリストの王座の右と左にすわる者として備えられた人なのでしょうか。