イエスはユダヤ人たちに言われました。
「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。」(マタイ5:14,15)
神の民は、世界の光として置かれています。闇が深ければ深いほど、光の存在は明確になります。隠すことはできません。わずかな光も、闇の中では、あらわになります。
山の上にある町のあかりは、人々の目に隠されません。暗闇に隠れることはできません。
また、燭台のあかりは、家にいる人々全部を照らすためにあります。あかりがなければ、目が開いていても、目をつぶっているのと同じです。人々は、あかりによって、ものを見、目があいた状態となります。
光がなければ、目に何も映しだすことができないからです。
イエスは、神の民を世界の光だと言われました。暗闇の世界を照らす光です。世界に輝く光、希望なのです。
イスラエルを奴隷の家エジプトから連れ上り、荒野をさまよわせられた神は、モーセの従者ヨシュアを立ててヨルダン川を渡らせ、カナンの地に導き入れられました。
その前に、ヨシュアは、カナンの地とエリコを偵察するふたりの斥候を遣わしました。
ふたりは、城壁の中にある、ラハブという遊女の家にかくまわれ、無事、任務を終えました。
ラハブはユダヤ人のふたりに言いました。
「(全地の)主がこの地(カナンの地)をあなたがた(ユダヤ民族)に与えておられること、私たち(エリコの住民)はあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地(カナンの地)の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。
あなたがたがエジプトから出て来られたとき、主(全能の神)があなたがたの前で、葦の海(紅海)の水を枯らされたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたエモリ人のふたりの王シホンとオグにされたこと、彼らを聖絶したことを、私たち(カナンの地の住民)は聞いているからです。
私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神(イスラエルの神)、主は、上は天、下は地において神(神々の上に立つ唯一まことの生ける神)であられるからです。
どうか、私(ラハブ)があなたがたに真実を尽くした(あなたがたをエリコの王からかくまった)ように、あなたがたもまた私の父の家に真実を尽くすと、今、主にかけて私に誓ってください。そして、私に(その誓いが真実であるという)確かな証拠をください。
私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属する者を生かし、私たちのいのちを死(イスラエルがカナンの地の住民を聖絶する事)から救い出してください。」(ヨシュア2:9-13)
イスラエルは約束どおり、ラハブに真実を尽くしました。ラハブは、ユダ族のサルモンの妻となり、ボアズを生みました。
ボアズに、ベツレヘムのキルヨン(ナオミの子)のやもめモアブ人ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデが生まれました。ダビデ王は、エリコの城壁に住んでいた遊女、ユダヤ人のふたりの斥候をかくまったラハブの玄孫(やしゃご、すなわち、ひ孫の子)なのです。
イスラエルを贖い、救う方、アブラハムが持ち望んだ神の御子キリストは、このダビデ王の系図の人の子です。なんと、キリストの系図に、イスラエルに真実を尽くした遊女ラハブもおり、イスラエルの神に真実を尽くした外国人のルツもいるのです。
「主(イスラエルの神)があなた(イスラエルの神に真実を尽くした異邦人)のしたことに報いてくださるように。また、(異邦人の)あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな恵みがあるように。」(ルツ2:12)
現在のクリスチャンは、まさに、イスラエルの神、主の翼の下(神の御子イエス・キリストの権威)に御救いを求めて来た異邦人です。
イスラエルの神は、神の民イスラエルを祝福する者たちに報いられます。また、イスラエルの神の権威(神の御子イエス・キリスト)の保護を求める異邦人たちに、イスラエルの神から豊かな恵み(御救い)があるのです。
カナンの地の住民は、イスラエルを恐れていました。全能の神、主がともにおられる民だからです。
イスラエルを救う方、神の御子イエスは、「インマヌエル(神が私たちとともにおられる)」と呼ばれました。イスラエルは、神がともにおられる神の民でした。
イスラエルがカナンの地を占領する当時の異邦人たちは、イスラエルに成される奇跡や出来事を見て、そこに神の御手を見ていたのです。イスラエルとともにおられる神を見ていました。
神は、神が選んだユダヤ民族とともにおられます。イスラエルの神は、イスラエルとともにおられます。
それゆえ、神の民ではないほかの民族は、神の民であるイスラエルを見て、自分たちとは違うものだと考えました。世界の中で特異な民族なのです。
イスラエルは、神を現わす民族です。世に神の存在を知らしめる民族です。闇に灯るあかりです。目に見えない神はイスラエルに、また、イスラエルを通して異邦人に御自身を現わされました。そして、人々は神を恐れたのです。
神が、世界の光として置かれたユダヤ民族ですが、神の敵である悪魔に噛みつかれています。神の栄光を現わさせないためです。イスラエルを暗くすれば、世の人々は、まことの神の栄光を見ることも、神の存在を知ることもありません。
イスラエルは、神の御子キリストの敵であるサタン(反キリスト)に噛みつかれています。ある者は、食い切られています。
サタンは、彼らを操り、神に逆らわせ、バラバラに引き裂きました。ヤコブ(イスラエル)の十二部族は引きちぎられています。どこにいるのか捜し当てることができないほど、荒らされています。
神は、イスラエルを世界の光とし、世界に真理を悟らせ、永遠の死と滅びから救う、救いの道(イエス・キリスト)を知らせる御計画でした。しかし、悪魔によって、中断されました。
ユダヤ民族の思いに覆いが掛けられて、彼ら自身が光を見失ってしまったのです。世界を照らす光が明るくなければ、世界の人々は闇の中をさまよいます。光が見えない世界に救いはありません。
かつて、諸国の人々は、イスラエルとともにおられる神を恐れていました。しかし、現在、神を見せることができません。イスラエル自身が神を見ていないので、神を映し出すことができないのです。
神の御子キリストは、ユダヤ人の所に来られましたが、ユダヤ人にはわかりませんでした。ユダヤ人たちは、神の子羊イエスに救いを見出せず、ほかのものを求めています。
イスラエルの神の御翼(神の御子イエスとキリストの御霊)の下に避け所を求めていないのです。それゆえ、異邦人たちは、イスラエルに、世界を造られた全能の神の栄光を認めることができません。
イスラエルの神の御救いは、異邦人に及びました。神の御子イエス・キリストの福音は異邦人に受け入れられ、神の御子イエス・キリストを信じる異邦人が、イスラエルの神の翼の下に、先に入っています。
クリスチャンたちが、世界の光の役割のイスラエルに代わって、神の御救いを伝えています。
クリスチャンは、イエスの教えを受けました。
「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父(創造主)を崇めるようにしなさい。」(マタイ5:16)
人を造られた創造主なる神、最後の裁きをされる全能の神、イスラエルの神のひとり子イエス・キリストの御霊に仕え、神の愛と赦しと裁きを伝えています。
人々の救いのために祈ります。神との和解(神の子羊イエス・キリストの血の贖いと罪の赦しと永遠のいのちの信仰)を受け入れ、神にへりくだり、神に悔い改め、神に立ち返るようにと伝道し、神の御国のために働いているのです。
イスラエルが世の光として神が造られたように、クリスチャンは、世に信仰と希望と愛を広める祝福の器です。
祝福することが、クリスチャンの役割です。クリスチャンの祝福は、天の神の祝福です。全能の神の祝福です。裁き主の祝福です。イスラエルの神の祝福です。
教会は、「ナザレのイエスは、生ける神の御子キリストです。」との告白の上に建てられています。イスラエルの神、主が遣わされた神の子羊イエス・キリストを「主」とする教会です。
ハデスの門も、教会に打ち勝てません。永遠の死の国の門は、神の御子イエス・キリストの血で砕かれたのです。
神の子羊イエスの血を受ける者(贖われた者)は、永遠のいのちを受けるのです。
イエスは、この永遠の死の門を砕く教会に、天の御国の鍵をくださいました。
「なんでも御霊の器が地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、神の神殿が地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16:19)
天の御国の祝福を世に与えるのは、真理の御霊を宿す神の神殿だけです。
私たちは、祝福することによって、神に仕えます。私たちの祝福は、人の祝福ではありません。永遠に生きられる神の祝福なのです。
道を歩いていても、何をしていても、どこにいても、祝福することができます。その祝福は、祝福にふさわしい人に届けられます。
また、イスラエルを祝福することは、イスラエルの神の大きな喜びであり、報いが伴うものなのです。