ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

いのちは役目を果たしている

 

 家庭菜園を始めて、人は生かされていることに気づきました。人は土を耕して柔らかにします。ミミズが良い土を作るためにとても良い働きをしていることを知りました。目に見えないバクテリアも、落ちた葉や枯れた草などを分解して土の肥やしにしてくれます。

 

 水を与えますが、雨の日には天が水を与えてくれます。天が育ててくれるのです。害虫と思っている虫を食物にしているほかの生き物がいます。花が咲けば、ミツバチたちがどこからかやって来て、受粉してくれます。人間が受粉しなくても実をつけるのです。

 そういういろいろな事に気づきました。人が自分で畑仕事をして作物を育てていると思っていたら、実は、いろんな生き物に助けられていたことを知りました。

 

 鳥は日々生きて行くために、木の実を食べたり、餌をついばんでいます。鳥が落とすフンが種を持ち運んで木の子孫を絶やさないのを助けています。鳥は働いているわけではありません。ただ、生きて行くために、鳥なりの日常を送っているだけです。しかし、その鳥の生きざまが木の生命を維持し守る役割を果たしています。

 鳥は生きているだけで、いのちの役割を果たしているのです。鳥は生きているだけで、ほかの種(しゅ)をも生かしているのです。

 

 花は、咲いているだけで、人の心に優しさと幸せと慰めを与えてくれます。また、蝶やミツバチたちに蜜を与えます。ミツバチは蜜を集めながら、花の受粉を担っています。受粉がなければ、実をみのらすことはできません。実がみのらないならば、子孫を残すことができません。

 

 人は、ミツバチに助けられて、実を収穫します。また、ミツバチが集めたはちみつを食料とします。すべての生き物は、生きているだけで役目を果たしているのですね。生き物は、互いに生かし合っているのだと思いました。

 

 鑑賞するために花を咲かせているだけなのに、多くの虫の役に立っているとは、なんというご縁なのだろうと思いました。自分の喜びのためにしていたことが、ほかの生き物を生かす助けとなっていたとは、嬉しい話です。知らずにしていることが、ほかの生き物のためになっているのです。

 

 すべてのものは、存在する意味があるのですね。価値は人間が測れるものではないです。おのおのが生きているだけで、それぞれのために陰で支え合っているのです。あまりにも陰のことなので、そのことに気がつかないでいますし、また、本人も気づいていません。

 

 創造主であられる神は、被造物全体が互いに助け合う調和のとれたものとして造られました。互いに生きているだけで、互いを生かし合う存在なのでしょう。

 知識が増し、理屈をこねる人間は、そのことを見失ってきました。いのちがあれば、死も訪れます。互いに生かし合ったいのちを生きていた人々は、死によって喪失感を体験します。なくした命によって、自分のうちにも死が入り込んだように感じます。自分が死んだわけではないのに、ともに死を味わうのです。それは、悲しみであり、悔いであり、涙です。神は、被造物の死によっても、いのちを知らせておられます。

 

 生きていることの恵みです。生きることはつらい事と思っていたのは、いのちあってのことです。死が、いのちを美しいもの(思い出)としてくれます。遠い所にあると思っていた死が身近なものになると、自分のものと思っていたいのちが、自分のものではないように思われます。いのちが生かしてくれていることを不思議に思います。

 

 私たちは、生きているだけで、実は、いのちの働きをしているのです。子どもの存在は、親に働く意欲と耐える力を備えることでしょう。日々の勇気と慰めを受け、慰めによって優しさと愛を育みます。

 永遠を思う人は、空を仰ぎ、太陽を見、月を見るとき、とても大きな愛に包まれている感覚を抱きます。自分の外に目を向けると、何か計り知れない、つながった空気のような目に見えない霊的なものが働いていることに不思議な憧憬を持ちます。

 

 昨日までつぼみだった花が開き綺麗に咲いたとき、木々で鳥たちが互いに呼び合っているとき、猫の鳴き声、子どもたちの声など、「ああ、みんな生きているんだな。同じ世界で生きているんだ。」と感慨深く思います。

 自分と関わりのない自分の外にある世界が、また、自分の意識にのぼる一つ一つの事が、自分は今生きているんだと実感させてくれます。

 

 被造物は存在しているだけでそれぞれ、いのちの役割を果たしているのです。

 人は霊的な生きものです。それゆえ、肉体がなくなった人々とも霊でつながっています。懐かしい思いと彼らの生きざまを思い起こすのです。

 

 霊となった人が生きている人に、死後の世界について霊的に警告して来ることもあるかも知れません。彼らは肉体に死んだだけで、霊は生き続けているからです。死者を生かしていたいのちが、死後に備えるように、正しい道を歩むようにと警告を与えているのでしょうか。

 

 いのちを持つ方がおられます。それは、いのちをお与えになる方です。いのちの役目を果たす人々に、肉なる人々に隠された霊の真実を知らせようとされるお方です。いのちの役目を果たす人々に、肉体を脱いだ後に霊のからだを与えて永遠に生きるいのちを得させたいと望まれるいのちの主です。

 

 自然の摂理の中で、いのちを愛し、生かされていることを感謝し、ほかの被造物を慈しみ、互いのいのちを尊重し和合する魂に、創造主は、「生きよ。」と切に望まれます。

 

 創造主は、永遠のいのちを、彼らのために、天から遣わされました。神のひとり子です。神は、御子イエスの血をもって彼らの魂を死から買い戻して、彼らに永遠のいのちを得させるためのいのちの道を設けられ、真理の御霊を授けられます。

 

 「わたし(神の御子イエス・キリスト)を遣わした方(天の神、すなわち父なる神)の御心は、わたし(キリスト)に与えてくださったすべての者(魂)を、わたし(神の子羊イエス)がひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日に甦らせることです。

 事実、わたしの父の御心は、子(神の御子イエス・キリスト)を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたし(神の子羊イエス)はその人たちをひとりひとり終わりの日に甦らせます。」(ヨハネ6:39,40)

 

 神は、いのちの役目を果たす者(常に感謝し喜び祈る人々)に、永遠のいのちを得させ、神のひとり子キリストにお与えになるのです。

 神は、彼らに、神の御子イエス・キリストを信じる新しい心をお与えになられます。