ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

裁くのはキリスト

 

 キリストの訪れを告げるために、神に遣わされたバプテスマのヨハネは、キリストをこのように証言しています。

 「私(バプテスマのヨハネ)は、あなたがた(ユダヤ人たち)が悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方(キリスト)は、私よりもさらに力のある方です。私(ヨハネ)はその方(キリスト)のはきものを脱がせてあげる値打ちもありません。その方(キリスト)は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

 (キリストは)手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」(マタイ3:11,12)

 

 キリストは、人々に悔い改めの(水の)バプテスマを授ける方ではないようです。実際にイエスが公生涯にはいられて、水のバプテスマを授けたのは弟子たちであってイエスご自身は授けておられません。

 

 主の前ぶれとして現われたバプテスマのヨハネは、キリストを証し、イスラエルにキリストを示すために神に遣わされていました。また、神の子羊イエスに水のバプテスマを授けるためでもありました。

 キリスト御自身は罪を犯さず、父なる神とひとつ心の従順なしもべですから罪のないお方です。しかし、永遠のいのちを得る人々の模範として、罪人たちが通るべきいのちの道を明らかにするために、新しく創造される神の子どもの初穂として、ご自身みずから、バプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けられました。

 

 罪人は自分の罪に気づき、罪を悔い改めなければ、神にお会いすることができません。水のバプテスマは罪を悔い改めるしるしです。罪人は、水のバプテスマを受けて、神に罪の赦しを受け、聖霊のバプテスマを受ける備えがされます。この世の思いから神の国を思う新しい心とされるからです。

 

 キリストは、ヨハネよりも偉大です。ヨハネは、ユダヤ人たちに神にお会いする備えをさせる者ですが、キリストは、神の御霊をお与えになる方です。すなわち、キリストは、天のものをお与えになる方です。キリストは、神に選ばれ遣わされたヨハネでさえ足元にも及ばない、聖なる神の御子です。

 

 キリストは、罪を悔い改めて悔い改めのバプテスマを受けた罪人に、聖霊と火とのバプテスマを授ける方です。キリストは罪を悔い改めた罪人の罪を贖い、きよめられた彼らのうちに真理の御霊を授けられます。

 

 キリストは、聖霊のバプテスマを授ける権威をお持ちになるお方です。創造主であられる全知全能の神が、聖霊のバプテスマを授ける権威をお与えになられたからです。キリスト(救世主)とは、神の霊を授ける方です。その霊は、キリストの御霊であって、永遠のいのちです。

 キリストがお与えになる聖霊(キリストの御霊)は、火のバプテスマを授けられます。罪が贖われた罪人のうちに住まわれる御霊は、火のバプテスマ(試み)によって、その人の思いをきよめられます。罪の根を持つ暗い心を数々の試みによって砕き、火のようにその人の肉の性質を焼き、新しく御霊の性質をかたち造っていかれます。

 

 神は、何度も火入れをして、不純なものを取り除き、真理を知る新しい人(キリストに似た神の子ども)に造り変えていかれます。

 聖霊によって新しく生まれ肉の思いから御霊の思いへと変えられ、火のバプテスマによって神のお与えになる試練をくぐり抜けた人は、試みを経た生ける石となり、不動の信仰に成長していきます。

 このような聖霊の生んだ新しい御霊の人たちによって、御霊の教会が建て上げられていきます。

 

 キリストは、聖霊と火とのバプテスマを授ける方で、御霊の教会を建て上げて彼ら(御霊によって生まれた人々)を死んでも甦るとこしえの神の家族とされます。

 神は、死と裁きに定められた罪人を、神の子羊イエスの血と聖霊によって新しい創造を施され、神の子どもに造り変えていかれるのです。

 

 キリストは、手に箕を持つお方です。キリストは、脱穀場をお持ちです。イエスのことばによって種を蒔き、子羊の血と御霊とによって育て収穫した新しい創造の麦(罪を悔い改めて、キリストの血によって贖われ、神のものとされた魂)を、麦の実と殻とに分ける脱穀場です。

 

 この脱穀場には、イエスを主キリストと告白した人々が集められています。キリストご自身が手に箕を持って、実と殻とに分けられます。キリストはふるいにかけて麦の実を(天の御国)の倉に納め、殻を消えない火(永遠の火の池)で焼き尽くされます。

 

 父なる神も、キリスト(神の子羊イエス)も、聖霊も、この麦の実(神の子ども)を得るために働いておられます。

 

 キリストは、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。キリストは、キリスト教会をこのように、実と殻に分けられます。脱穀場の実を天の御国に納め、殻を消えない火で焼き尽くし、ご自分の脱穀場をきれいさっぱりと片づけられ、何一つ残すものはありません。

 

 ほかの宗教の中にキリストの脱穀場があるわけではありません。キリスト教会の中にキリストの脱穀場があるのです。

 

 キリスト教会は、自分たちがキリストの脱穀場の中にいることに気づいていません。キリスト教会を裁くのは、キリストご自身です。クリスチャンたちが自分たちは永遠のいのちを得る神の子どもであると信じている憩いの場所に、実は、キリストの脱穀場があるのです。

 

 キリストは聖霊と火とのバプテスマを授け、また麦を育てておられます。麦は、真理の御霊を受け、何度も火入れを通され罪と戦って勝利した者や、御霊のいのちを宿す者です。神の新しい創造です。

 御霊を持たない者は、実を結びません。神が求められる実は、御霊のいのちによって生まれ、義の実を結ぶ新しい創造です。

 肉の者は、天の御国を受け継ぐことができません。天の御国に朽ちる者が入ることはできないからです。御霊によって生まれた者、それが天の御国で生きる永遠のいのち、神の子どもなのです。

 

 「わたし(神の御子イエス・キリストの父)は、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。

 『あなたがたは、わたしの民ではない。』と、わたし(天の神)が言ったその場所で、彼らは、生ける神の子どもと呼ばれる。」(ローマ9:25,26)

 

 キリスト教会がそのまま神の子どもなのではありません。ユダヤ教も然りです。神の御霊によって新しい創造を受けた人々が神の子どもなのです。天の御国にはいるのは、御霊の教会なのです。

 

 キリストの脱穀場は、キリストご自身がすみずみまできよめられます。

 父なる神は、キリスト教会ではない場所(ユダヤ教、神道、仏教)から、聖霊(神の御霊)を受ける者たちを起こし、生ける神の子どもを集められることでしょう。