ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

パウロたち使徒の伝えた福音と信仰

 

 「私たち(パウロの一行)の勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。(真実を語っています。)

 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。

 ご存じのとおり、私たちは今まで、へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。

 また、(パウロたち使徒は)キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした。

 それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。

 このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。

 (主イエス・キリストにある)兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。

 また、信者であるあなたがた(異邦人)に対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことは、あなたがたがあかしし、神もあかししてくださることです。

 また、ご承知のとおり、私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、御自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。

 こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことば(イエス・キリストのことば)を受けたとき、それを人間のことば(パウロたちのことば)としてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。

 兄弟たち。あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会にならう者となったのです。彼らがユダヤ人に苦しめられたのと同じように、あなたがたも自分の国の人に苦しめられたのです。」(テサロニケ第一2:3-14)

 

 パウロの勧めは、まず、ユダヤ人にされました。

 「『わたし(神)はエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしのこころにかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』と仰せられた神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主(イエス・キリスト)をお送りになりました。

 この方(ナザレのイエス)がおいでになる前に(イエスがイスラエルに公に現われる前に)、(バプテスマの)ヨハネがイスラエルのすべての民に、前もって(救い主キリストにお会いするための)悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていました。

 兄弟の方々、アブラハムの子孫の方々、ならびにみなさん(異邦人)の中で神を恐れかしこむ方々。この救いのことば(福音)は、私たちに送られているのです。

 エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者のことば(神が遣わすモーセのような預言者〈救い主キリスト〉に聞き従わない者はだれでも、聖なるイスラエルの民から断ち切られる。)を理解せず、イエスを罪に定めて、その預言を成就させてしまいました。

 しかし、神はこの方(神の子羊イエス)を死者の中から甦らせたのです。神は、イエスを甦らせ、それによって、私たち(アブラハムの)子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなた(神の子羊イエス)は、わたし(全能の神)の子。きょう、わたしが(御霊によって)あなた(新しい人〈神の子ども〉のかしらのキリスト)を生んだ。』と書いてあるとおりです。

 神がイエスを死者の中から甦らせて、もはや朽ちることのない方(復活の新しい神の子ども)とされたことについては、『わたし(神)はダビデに約束した(ダビデの子にとこしえの王を生み、ダビデの王座はとこしえに堅く立つという)聖なる確かな祝福を、あなたがた(イスラエル)に与える。(すなわち、とこしえのイスラエル王国を建てる。)』というように言われていました。

 ですから、(聖書の)ほかの所でこう言っておられます。『あなた(神)は、あなたの聖者(救い主キリスト)を朽ち果てるままにはしておかれない。(キリストを永遠に生きる者とされる。)』

 (イスラエルの王)ダビデは、その生きていた時代において神の御心に仕えて後、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。

 しかし、神が甦らせた方(キリスト、とこしえのイスラエルの王)は、朽ちることがありませんでした。

 ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方(神が遣わされた救世主イエス・キリスト)によるということを、よく知っておいてください。(神に遣わされた神の子羊イエス・キリストは、罪を赦す権威を持つお方〈神のひとり子〉です。)

 モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、(神が約束されたダビデの子〈イエス・キリスト〉を)信じる者はみな、この方(神の子羊イエスの血による御救いのわざ)によって、(罪に定める「原罪」からも)解放されるのです。

 私たち(パウロたち)は、神が先祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。(イスラエルの神がイスラエルに約束された救い主は、すでに来られました。イスラエルに約束された御救い(罪の赦しととこしえの救い)は、神の子羊イエス・キリストにより、成就したのです。)」(使徒13:22ー24,26,27,30、33ー39,32)

 

 パウロの伝えた福音は、人を喜ばせようとして、人道的に配慮したものではありません。神に認められてキリストの福音をゆだねられたパウロたちは、人を喜ばせるためではなく、自分たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語りました。

 それゆえ、へつらいのことばを用いたり、金銀を得るために人の金銀や衣服をむさぼるためにしたことがありません。そのことは、神が証人となってくださいます。

 

 パウロは、神の前を歩んだのです。

 福音を聞く人々からも、ほかの人々からも、人からの栄誉を受けようとしませんでした。パウロたちは、神の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、また、パウロたち自身も信者である人々に対して、敬虔に、(神のことばに従って)正しく、また(御霊に)責められるところがないようにふるまいました。

 

 また、パウロたちから福音を聞く人々もまた、神の使信のことば(キリストの福音)を受けたとき、それをパウロのことばとしてではなく(人間のことばとしてではなく)、神のことばとして受け入れました。

 この神のことば(御霊の力)は、信じている人々のうちに働いているのです。

 

 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

 造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの(すべてを見通される)神に対して弁明するのです。」(へブル4:12,13)

 

 パウロは祈ります。

 「私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。

 また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び(地上に)来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。(しっかりとした土台〈神のことば〉の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまりますように。そして、キリストの治められる「とこしえのイスラエル王国の国民」となりますように。)」(テサロニケ第一3:12,13)