ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

今はどんな時

 

 イエスは、世の終わりの前兆について語り、人に惑わされないように気をつけるようにと警告されました。

 

 「わたし(イエス・キリスト)の名を名乗る者が大勢現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。(裏を返せば、偽キリストに多くの人が惑わされるのです。)

 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。(「終わりが来た。」と落胆したり、「希望も何もない。」と言って自暴自棄になったり、動揺して、少しでも明るい望みを得ようと神から出ていない言葉にすがりついてはいけません。)このような暗いニュースの出来事は、必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。(御救いは、これらの戦争や災害や真理の錯乱の後にある、ということが定められています。)

 (聖書に書いてあるように)民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震が起こります。(水に恵まれた豊かな地で飢饉が起こったり、地震のなかった国や地域で地震が起こります。)

 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。(新しい神の世が地上に起こるためには、霊的な世界の主権交代がなされなければなりません。人の世は古びて機能を失い、神を中心とした神の世が新しく生まれるための苦しみです。)

 そのとき、(神から遠く離れた世の)人々は、あなたがた(御霊によって真理を知る人々)を苦しい目に会わせ、殺します。(迫害だけでは収まりません。必ず、聖霊の器は殺されるのです。)また、わたし(神のひとり子イエス・キリスト)の名のために、あなたがた(生かす御霊を受けて永遠のいのちを得る人々)はすべての国の人々に憎まれます。(地上のどこの国にあっても同じことが起こります。例外はありません。地球上のどこに逃げても、殺されるのです。)

 また、そのときは、(苦しみと迫害、殺戮ゆえに、キリストを主と告白する)人々が大勢(偽りの救いにすがって)つまづき、(信仰者たちがおのおのを訴えて)互いに裏切り、(キリストの御名を呼ぶ者たちが互いに敵対し)憎み合います。

 また、(自分の心に浮かぶ自分の良いと思うことを教えて惑わし、唯一の救世主イエス・キリストから信仰の望みを外す)偽預言者が多く起こって、(神に忠実に歩んでいる)多くの人々(キリスト者)を惑わします。

 (世の中に、もっともらしい言葉で神のことばに逆らわせる人間の教えや悪魔の言葉が蔓延し)不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。(キリストが本当に唯一の御救いであるのかを疑い、信仰がわからなくなって希望を失うと、何を信じてよいのか懐疑的になり、すべての言葉に心を閉ざします。)

 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。(イエス・キリストのことばを土台とし、イエスのことばから外れないように、常に御霊に尋ね、御霊に聞き従う信仰の歩みを選ぶ人々は、周りが動揺している状況にあっても、十字架の死に至るまで神に聞き従われたキリスト・イエスの信仰にならい、死を恐れることなく死に至るまで神の御子キリスト・イエスに忠実です。彼らは、死によって引き離されることなく、信仰を保ち続ける忠実なしもべです。

 

 それは、生かす御霊を受けた者の恵みです。

 生かす御霊によって、新しく生まれ、新しい創造を受けた者は、もはや肉の人ではありません。神の御子キリストにあって、死から甦られた神の子羊イエスとひとつ心の御霊を宿し、神の子どもとされる新しい創造の「新しい人」です。

 イエス・キリストの信仰によって生まれ、御霊の信仰によって新しい人に造り変えられ、新生した御霊の子なのです。

 

 「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか。苦しみですか。迫害ですか。飢えですか。裸ですか。(地上に属すキリストのからだを持たないことですか。)危険ですか。剣(真理を憎む者たちの殺戮)ですか。

 『あなた(真理であられる主)のために、私たち(キリストを信じる者や真理を愛する人々)は一日中(始終)、死に定められている。(命を狙われている。)私たちは、ほふられる羊とみなされた。』と(神のことばである聖書に)書いてあるとおりです。

 しかし、私たち(御霊にあって、父なる神を「アバ、父。」と呼ぶ神の子どもたち)は、私たちを愛してくださった方(私たちを救うために、十字架で死んでくださったイエス・キリスト)によって、これらのすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(悪魔の策略に惑わされず、人の言葉にも騙されず、偽預言者たちの教えについていかず、御霊に守られた私たちは信仰を持ち続けて、永遠のいのちを得るのです。)

 私(使徒パウロ)はこう確信しています。死(死の恐怖)も、いのち(生き残る望み)も、御使い(宇宙生命体の霊的な言葉や創造主の御使いを名乗る堕天使の存在)も、権威ある者(宗教の指導者)も、今あるもの(世のもの)も、後に来るもの(反キリスト)も、力ある者(神のようなみわざをしてみせる者)も、(知恵の)高さも、(知識の)深さも、そのほかのどんな被造物(超自然の偉大な力と思われる神のような気高いもの)も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛(子羊の贖いの血と罪の赦しと、死から甦る永遠のいのちと復活のからだ)から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:35-39)

 

 もう、終わりの舞台は整っています。

 神は、キリスト教会内に火(信仰の試みの試練)を投じ、ひとりひとりの信仰を試みられます。

 教会内は二分され、真理の御霊に導かれる人々と、人の間における忠実と献身を強要する人々に分かれるでしょう。

 

 御霊を知る人は御霊に従い、ますます、真理を知り、神に喜ばれる歩みをすることでしょう。

 こうして、神は、キリスト教会の中に火を投じて、神に忠実な人々を定められます。そして、神に忠実な人々を、神の栄光を現わす殉教者として取り分けられます。

 

 また、神に忠実なしもべたちのうち、御霊とともに歩む正しい人々を、生きたまま携挙される人々として選ばれることでしょう。

 

 異邦人の時の完成へと近づいているのです。