ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖霊の注ぎはキリスト教会から

 

 世の終わりが近いということは、異邦人の時の完成が近づいているということです。

 異邦人の時(神の御子イエス・キリストを信じる人々によって福音が広められ、その

結果、イエス・キリストを主と告白する人々が救われる時)は、御霊によって完成します。

 

 神は、世の救いに先立って、まずキリスト教会を試み、神に忠実な者、とそうでない者とに分けられるでしょう。

 

 異邦人の時に完成されるのは、キリスト教会の中にいる神に忠実な人々であり、御霊を受ける人々です。御霊を受け、御霊に従う歩みを心掛ける人々です。忠実な信仰を神に認められた彼らは、子羊の婚礼に招かれる人々です。おそらく、最後の裁きの後に、神が用意される住まいが新しい天に備えられる人々でしょう。

 

 彼らは、死に至るまでイエス・キリストに忠実な殉教者です。主の御名ゆえに、迫害され、苦しめられます。彼らは、死に至るまで忠実なしもべであり、神の栄光をたたえて殉教したステパノのような信仰者です。(使徒7:55-58)

 彼らは、真理の御霊に助けられて神の栄光を現わす、信仰の勝利者たちです。

 

 イエス・キリストを信じるけれども信仰に熱心ではないキリスト者たちは、子羊の婚礼に招かれることはありません。

 キリストの御思いに忠実でないキリスト者は、異邦人の時に御救いが完成される人々ではありません。彼らは、御霊に聞き従うことを学ばなかった人々です。

 

 しかし、あきらめないで信仰を持ち続けるならば、ユダヤ人の時に、神が立てられる十四万四千人のユダヤ人の宣教のことばで神に立ち返り、神に熱心でなかったことを悔い改めて、自分のいのちを救うことができるでしょう。

 神にすがり神のみことばを握って、反キリストの数字(666の刻印)を拒んで刻印を拒否するならば、反キリストの手下どもに殺されますが、永遠のいのちを得ることができます。彼らの永遠の住まいは、神が用意される新しい地に設けられるでしょう。

 彼らの死は、神の栄光ゆえの殉教の死ではなく、自分ひとりのいのちを救うための、自分自身の信仰の死です。信仰を持ち続けた彼らは、信仰の勝利者となるのです。

 神は、彼らにいのちの冠(悪魔に勝利して永遠のいのちを得る者の冠)を与えられます。

 

 迫害を恐れて、信仰を捨てる人々もいます。彼らは、イエス・キリストの御名を否み、棄教します。彼らは、自分を愛し自分の(肉の)いのちを守るために、みずから信仰を棄てるのです。彼らは、永遠のいのちの価値を理解していませんでした。彼らの思いは、この世にあったのです。

 

 迫害を逃れて自分を守るために、反キリストの勢力に寝返って聖徒たちを訴え、反キリストの手下となって、神に忠実な人々を苦しめる背教者となる人々もいます。

 彼らは、異邦人の時に、神に忠実な殉教者の数が満ちて殉教者が完成されると、自分たちの上に神の怒りが留まっているのを知り、震え上がります。しかし、悔い改めることはありません。御霊が取り去られているので、悔い改めることができないのです。

 

 キリスト教会を悪いものとするために教会に入り込んだ毒麦たちがいます。彼らは、クリスチャンよりもクリスチャンらしく、熱心に奉仕していたかも知れません。目に見える奉仕に明け暮れさせて、神の御霊に仕えることを妨げました。御霊によって新しい創造を受ける御霊の教会に属させず、イエスが「狭い門から入りなさい。」と命じられた狭い門に至ることを妨害して、広い道に導きました。

 

 神が異邦人の時の完成のために、キリスト教会に終わりの雨を注がれると、キリスト教会の中の人々は、ひとりひとりの信仰によって、はっきりと分かれます。

 

 異邦人の時に完成する異邦人は、子羊の婚礼に招かれる人々です。神に忠実な人々です。

 

 イエス・キリストの黙示を告げるために、キリストに遣わされた御使いは、ヨハネに言いました。

 「『(天で行なわれる)子羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。』と言い、また、『これらは神の真実のことばです。』と言った。」(黙示録19:9)

 

 花婿を出迎える十人の娘のたとえ話が、マタイ25:1-13に書かれています。

 天で婚礼をあげる花婿は、神の子羊イエス・キリストです。

 キリストを出迎えるのは、十人の娘です。娘であって花嫁とは書かれていません。娘は、携挙にあずかる、キリストに忠実なしもべたちでしょう。

 携挙される人々は花婿を迎える「娘」であって、狭い意味で花嫁は十四万四千人のユダヤ人であると、私は考えています。

 

 十人の娘は、ユダヤ人もいれば異邦人もおり、キリスト教徒もいれば神道や仏教や民族の伝統的信仰を受け継ぐ少数部族の人々など、様々な人がいるように考えています。

 昔から多くのキリスト教徒たちが持ち臨んで来た携挙(全世界に来ようとしている試練の時に、神に守られて生きたまま天に引き上げられる、神に選ばれた人々の身に起こること)は、ユダヤ人の時ではなく、異邦人の時に起こります。

 

 携挙は、キリスト教会のイエス・キリストに忠実な殉教者たちを完成した後に起こります。キリスト教会の殉教者たちが復活します。死から甦るのです。

 死から甦った彼らは、白い衣(贖われた者が着る復活のからだ)を着て、天に引き上げられます。

 

 そのあとで、携挙が起こり、この携挙をもって、異邦人の時は完成するのでしょう。

 

 異邦人の時に完成する御霊の教会は、キリスト教会のイエス・キリストに忠実な殉教者たちの御霊の教会、そして、生きたまま携挙される御霊の教会です。

 

 キリスト教会の中には、イエス・キリストに忠実な人々がいます。神は、忠実な人々を、異邦人の時に完成し、救われます。

 神に忠実な人々の中で、神が選ばれた人々が、生きたまま天に引き上げられます。この人々は、霊とまことをもって神に仕える人々であり、キリスト教徒に限らず、生けるまことの神に仕える真実な信仰を持つ人々です。

 

 神は、キリスト教会に終わりの雨を降らせて、悔い改める人々、また試みられて信仰に勝利する人々を分けられるでしょう。

 

 キリスト教会に悔い改めの霊が注がれるように祈りましょう。

 そして、キリスト者たちが信仰に目覚めて信仰の土台が築き直されますように。

 また、最後までイエス・キリストを信じる信仰を持ち続けられるように神に求め、どんな迫害や苦しみの中にあっても信仰を手放さず、勝利する者となるように祈りましょう。

 

 御霊を受けていないと、信仰を持ち続けることは非常に困難だと思います。私たちの救い主イエス・キリストが遣わしてくださる真理の御霊を求めましょう。

 

 異邦人の時に完成される御霊の教会に属さない人々のうち、すなわち、ユダヤ人の時に救われるはずの人々で神の憐れみにすがる人々は、神の憐れみによって、試練の時を通ることなく、異邦人の時の今、眠りにつかされているのでしょう。

 良い信仰者が、多く墓に入るでしょう。しかし、これは悲しむべきことではなく、神に熱心な彼らを、苦難から救う神の憐れみによるのだと思います。

 

 子羊の婚礼に招かれる人々は、イエス・キリストの足跡をたどる殉教者たちと、生きて肉を殺す生きたままの殉教者(携挙される人々)たちだと思います。

 

 殉教ではない死者たちは、天で行なわれる子羊の婚礼に招かれませんが、神の子羊イエス・キリストが地上に来られ、オリーブ山に立たれるとき、墓から甦るのだと思います。彼らは、千年王国で、神の子羊イエス・キリストとともに世界を治める人々となるのでしょう。

 

 「キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。

 なぜなら、裁きが神の家(キリスト教会)から始まる時が来ているからです。裁きが、まず私たち(神と新しい契約を結ぶキリスト者たち)から始まるのだとしたら、神の福音に従わない人達の終わりは、どうなることでしょう。

 義人(キリストの血で贖われて罪が赦されたキリスト者)がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たち(世の人たち)は、いったいどうなるのでしょう。」(ペテロ第一4:16-18)

 

 異邦人の時に、キリストの教会の中から、殉教者たちの御霊の教会が完成すると、次は、霊とまことによって神を恐れる純真なあらゆる信仰(神道仏教など)のうちに、御霊によって覚醒する人々が起こるでしょう。

 真理の御霊により神の子羊イエスの名と子羊の父である神の名を知った彼らは、まことの神とひとつとなり、神に選ばれた者が完成して、携挙される御霊の教会が完成するでしょう。

 

 キリスト教会の試みと御救いに始まって、神を恐れる人々の覚醒と御救いが起こり、異邦人の時に完成するはずの御霊の教会が完成します。そして、ユダヤ人の時の備え(ふたりの証人と十四万四千人のユダヤ人が起こされること)が完成することでしょう。

 

 異邦人の時が完成すると、ユダヤ人の時のこととなり、世の試みの時となります。

 

 キリスト教会が、悔い改めて、神の聖霊を受け、御霊の教会が生まれるようにお祈りしましょう。