ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

生きる意味 約束の御霊

 

 神が、自分の内臓を造り、母の胎のうちで自分のからだ(ダビデの肉体)を組み立てられたことを悟るダビデは言いました。

 「私は感謝します。あなた(神)は私(ダビデ)に、くすしいことをなさって恐ろしいほどです。私の魂は、それをよく知っています。

 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。(母の胎内でひそかに内臓が造られ、人のからだとして〈肉体を造られた〉ダビデの形造られる様は、人の目にはわかりませんが、神の目には明らかでした。神は、母の胎内で育つダビデを御覧になっておられたのです。)

 あなた(神)の目は胎児の私(ダビデ)を見られ、あなたの書物(いのちの書のことでしょうか)にすべてが、書きしるされました。(ダビデが羊飼いとなりイスラエルの王となること、そして、ダビデ王の系図からアブラハムに約束されたひとりの子孫〈とこしえのイスラエルの王・神の御子イエス・キリスト〉が生まれ、ダビデの王座はとこしえに堅く立つことが書きしるされたのでしょうか)

 私(ダビデ)のために造られた日々が、しかも、その一日もないうちに。(ダビデが母の胎から出て「おぎゃあ」と、呼吸する前から、すなわち、この世の空気に触れる前に、ダビデの人生の終わりまで知られていたのです。」(詩篇139:14-16)

 

 預言者エレミヤは言いました。

 「次のような主のことばが私(エレミヤ)にあった。

 『わたし(神)は、あなたを(母の)胎内に形造る前から、あなた(エレミヤ)を知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」(エレミヤ1:4,5)

 

 ダビデもエレミヤも、母の胎内に入る前から神の目的をもって造られたようです。ということは、肉体が造られる以前から彼らの魂はあったということになりますね。

 

 彼らは、神のお役目を担って世に生まれました。

 イスラエルが神の祭司の国民として造られたようにです。神は、アブラハムと契約を結び、アブラハムの子孫イスラエル(ユダヤ民族)を選び、ユダヤ人のうちに王が生まれることを約束されました。

 神はアブラハムに、すべての民族、すべての国々の祝福となるひとりの子孫(女の子孫である人の子、すなわち神の子羊キリスト)が生まれることを約束されたのです。

 

 アブラハムに約束したこのひとりの子孫(キリスト)を生むために、神は、ダビデを選ばれました。神は、ダビデをイスラエルの王とし、その王家にとこしえのイスラエルの王イエス・キリストを遣わされたのです。

 

 アブラハムの時代に聖書(モーセの律法)はありません。アブラハムは神を信じ、それがアブラハムの義とみなされました。アブラハムは信仰の父であり、信仰による人々(神の約束を信じる人々、すなわち神が遣わされた約束のキリスト〈ナザレのイエス〉を信じる人々)がアブラハムの子孫です。

 

 ユダヤ民族に与えられた神の律法は、イスラエルをキリストへ導くための養育係でした。みことばによって神の約束を知り、イスラエルはメシアを待ち望んでいるのです。

 しかし、信仰(の対象である、待ち望んでいたキリスト)が(世に)現われた以上、私たちはもはや養育係(律法)の下にはおらず、キリストご自身からことばを受け、キリストの授けられる聖霊(真理の御霊)によって、神を知り、神に従うのです。

 

 「聖書は、神が異邦人(御救いはユダヤ民族だけではありません。キリストを信じる信仰によって異邦人にも御救いを得させられます。)をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、『あなたによってすべての国民が祝福される。(アブラハムの契約によってすべての国民が信仰の義を得る。)』と前もって福音(御救いのための良き知らせ)を告げたのです。

 そういうわけで、信仰による人々が、信仰の父アブラハムとともに(「アブラハムは信じた。主はそれを彼の義と認められた。」〈創世記15:6〉そのように、神が遣わされた約束のキリストを信じた。それが、その人の義と認められるのです。神は、義と認める人々に永遠のいのちを得させられます。)、(とこしえの御救いの)祝福を受けるのです。

 というのは、律法の行ないによる人々はすべて、呪いのもとにあるからです。(旧約聖書に)こう書いてあります。『律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、呪われる。』(律法のすべてを守らなければ失格者です。たった一つの違反でさえ、違反者となり呪いを受けるのです。)

 ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。『義人は信仰によって生きる。』のだからです。(アブラハムも信仰によって義とされました。)

 しかし律法は、『信仰による。』のではありません。『律法を行なう者はこの律法によって生きる。』のです。(律法を守る事で神に認められようとする者は、律法を完全に守らなければなりません。しかし、だれも完全な人はいません。)

 (それゆえ、神が遣わされた神の子羊)キリストは、私たちの違反のために呪われたものとなって(私たちの罪の身代わりとなって、すべての罪を負って死んでくださいました。イエス・キリストは罪の贖いの子羊です。)、私たちを律法の(違反の)呪いから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられた者はすべて呪われたものである。』と(旧約聖書に)書いてあるからです。(十字架のイエスは、神の御救いのしるしです。十字架が救いではなくて、贖いの血を流された神の子羊イエス・キリストが救いであり、神の子羊キリストの血が救いなのです。)

 このことは、(全能の神の)アブラハムへの祝福が、(アブラハムのひとりの子孫)キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり(「地上のすべての民族は、アブラハム〈の神の契約と、約束のキリスト〉によって祝福される。」〔創世記12:3〕の約束どおり、アブラハムは、〈異邦人も含む〉多くの国民の父となるのです。)、その結果、私たち(神が遣わされたキリストを信じる人々)が信仰によって約束の御霊(聖霊)を受けるためなのです。」(ガラテヤ3:8-14)

 

 神は信仰の人アブラハムを選び、約束どおり、アブラハムの子孫イスラエルに、救世主キリストをお遣わしくださいました。

 キリストはアブラハムの信仰の子孫(神の御子イエス・キリストを信じる人々)に、約束の御霊(永遠のいのち)をお与えになります。

 

 母の胎内に内蔵(肉体)が形造られる前に、魂は存在しているようです。神は、魂を救うために、肉体を造られます。肉体を持つ魂は、約束の御霊を受けるために生まれて来たのです。

 肉体を造られたということは、約束の御霊を受けるチャンスが与えられたということです。肉体を得た魂は、キリストの血によって贖われ、そして、約束の御霊(永遠のいのち)を得る恵み、すなわち永遠に価値ある新しい創造の約束をいただいて、この世に来ているはずです。

 

 希望に満ちたその目的は、神が魂に用意された憐れみであり、神の愛です。肉体にいる間に達成しなければなりません。

 

 人は、神に与えられた生命を生き切らなければなりません。そして、神の愛を知り、神が与えてくださる約束の御霊(永遠のいのち)を受けることが、地上に生まれ落ちた魂の目的であり、生きる意味なのだと思います。

 

 私たちを造られた創造主であられる神は、約束の御霊を与え、キリスト・イエスに対する信仰によって、罪人を贖い魂をきよめて天の御国を相続する神の子どもとされます。

 

 「主は私の魂を生き返らせ、(栄光の神の御子の)御名のために、私を義の道(いのちの道)に導かれます。」(詩篇23:3)

 

 神のことばから外れて、罪の報酬である死と死後の裁きが定められていたすべての人は、神のことば(神のひとり子)によって神との和解を得ました。そして、神のことば(神の御子キリスト)に繋がり、約束の御霊を受けて永遠のいのちを受けるのです。

 

 この世に生まれ落ちた目的を神(創造主であり裁き主なる神)の御心どおりに成し遂げた魂(神が遣わされた救世主〈神の子羊イエス・キリスト〉を信じ神に立ち返った魂)は、約束の御霊を受け、永遠のいのちを得ます。神は、そのような魂を祝福されます。

 

 「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。(ひとりの罪人が悔い改めるなら、〈すでに贖われた〉悔い改める必要のない九十九人の正しい人にもまさって大きい喜びが天にあるのです。)」(ルカ15:10)

 

 「あなたがた(私たち)は、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分の魂の牧者であり監督者である方(神のことば、すなわち神のひとり子)のもとに帰ったのです。」(ペテロ第一2:25)

 

 この告白こそが、神に生命を受けた者の生きる意味であり、人生の目標です。

 死ぬべき魂が、約束の御霊を受けて新しく生まれ、永遠に輝く神の子どもに新しく創造されるなら、信仰によって、圧倒的な勝利者となるのです。