ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

備えられた魂に訪れる真理の御霊

 

 「イエスは苦しみを受けた(十字架で殺された)後、(死から甦り墓から復活して)四十日の間、彼ら(イエスの弟子たち)に現われて、(実在する国、すなわち死から甦り永遠のいのちを得る新しい人たちが住む)神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって(弟子たちに実際に現われて、一度死んだが神の御霊によって甦り永遠のいのちを持つ新しいからだで復活したご自身(イエス)の存在を明らかにして)、ご自身(イエス・キリスト)が生きていることを使徒たちに示された。

 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。

 『(神が住まわれる神の都)エルサレムを離れないで、わたし(イエス・キリスト)から聞いた父の約束(神の御子イエス・キリストが去った後で、もうひとりの助け主、すなわち、真理の御霊を遣わす、との父〈イエス・キリストの父であられる天の神〉の約束が実現すること)を待ちなさい。

 (バプテスマの)ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがた(イエスの弟子たち)は(キリストに授けられる)聖霊のバプテスマを受けるからです。』(使徒1:3-5)

 

 聖霊のバプテスマを授ける権威を神から受けたキリスト、すなわち、神の子羊イエス・キリストは、死から復活して天に上ると、神の子羊の贖いを信じる人々に、聖霊のバプテスマを授けられます。

 

 イエスは、言われました。

 「聖霊があなたがた(イエス・キリストを信じる人々)の上に臨まれるとき、(聖霊を受けた)あなたがたは(真理の御霊の)力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたし(神の御子イエス・キリスト)の証人(十字架につけられたナザレのイエスが、世の罪を取り除く神の子羊であり、神が遣わされた神の御子キリスト〈救世主〉である、とあかしする者)となります。」(使徒1:8)

 

 神は、神が救いのために遣わされた者(神の子羊イエス・キリスト)を信じる人々に、聖霊(イエス・キリストの父であられる、生けるまことの神が遣わされる、死んだ者を生かす御霊、すなわち真理の御霊)を臨ませることを約束しておられます。

 

 その聖霊を受けるならば、人間の力ではなく、御霊の力によって、真理を知り、大胆に真理を証しする者に造り変えられます。

 イエス・キリストの御名によって与えられる御霊により、新しい創造を受けて、神のことばが語られるエルサレム、またユダヤ人の住むユダヤ(二部族)と、混血の者が住むサマリヤ(十部族)の全土、および(異邦人の住む)地の果てにまで、(天の神が地に遣わされた唯一の救い主である)わたし(天から遣わされた神の御子イエス・キリスト)の証人(ユダヤ人のダビデの子であるイエス・キリストこそが、神が遣わされた唯一のキリストであることを宣べ伝える証人)となります。

 

 神は、天と地を造られた生けるまことの神、ただおひとりです。

 この唯一の神が遣わされた救世主も、神の御子イエス・キリストただひとりです。

 そして、死から甦る永遠のいのちを与えて、天の御国へと導く助け主「真理の御霊」も、イエス・キリストの御名によって与えられる「生かすキリストの御霊」ただおひとりです。

 

 イエスの弟子たちはイエスのことばに従い、五旬節の日(モーセの律法が与えられた記念の日)になって、エルサレムの一つ所に集まって、イエス・キリストの父の約束(聖霊のバプテスマ)を待ち望みました。

 そこに、聖霊が下り、みなが聖霊に満たされて、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話し出した、と聖書に記録されています。

 

 聖霊のバプテスマを受けるように、とイエスに命じられた弟子たちはみな、イエスから言われた通り、エルサレムに集まり、聖霊のバプテスマを待ち望んでいました。

 彼らの魂は、信仰によって、聖霊を受けるにふさわしく、備えられていました。

 

 突然、聖霊を受けたのではありません。彼らは、聖霊が与えられることを知って、待ち望んでいたのです。彼らのうちには、信仰がありました。

 

 聖霊は、聖霊を受けるにふさわしい魂のところに来て、住まわれます。

 終わりが近い今、救い主イエス・キリストを知らない神道や仏教の人々のうち、真理を知りたいと切に望む人々は、御救いを求めて、身魂をきよめています。

 

 彼らは、聖書を知りません。しかし、彼らの霊は、神は聖なる方であることを捉えているのです。救い主である神の子羊イエス・キリストを知らない彼らは、聖なる方にお会いするために、身魂をきよめています。

 

 このように、聖なることのために身魂をささげる人々のことを、神は、聖書の民ではないからと言って、知らん顔されると思いますか。

 

 イエスは、異邦人の信仰を見て、「あなたの信仰は立派です。あなたの願い通りになるように。」(マタイ15:28)とも、「イスラエルの中でさえ、わたし(イエス)はこれほどの信仰を見たことがない。」(ルカ7:9)とも言っておられます。

 

 神道や仏教の人々のうちにある、目に見えない真実な方を恐れて身を正す信仰は、神に受け入れられます。

 彼らは、真理の御霊を迎える用意がされているのです。

 

 終わりの雨(終わりの時代の救いのために注がれる聖霊〈生けるまことの神の霊〉)は、備えられた魂を満たすことでしょう。

 備えられた魂に、真理の御霊は訪れ、その人のうちに住まわれるのです。なぜならば、聖なる御霊は、聖なる御住まい(聖霊の器)を喜ばれるからです。

 

 真理の御霊が訪れると、御霊は、聖書を知らなかった人々に真理を知らせ、イエス・キリストの御救いを悟らせるのです。

 彼らは、人に教えられたからではなく、御霊によって教えられて、神の子羊イエスの御救いを知り、永遠のいのちに至る信仰(いのちの道)にはいることでしょう。