ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

天国って生きてる人が入るところだってわかったよね、春馬くん

 
  亡くなった方の事を、天国へ行ったって表現しますよね。これは、天国、地獄の事を言っているのではないのでしょうね。地上からはいなくなったけど、目には見えない世界で生きていると思っているゆえの表現だと思います。

  この表現に出合うと、いつも橋場兄は「おいおい、天国は死人が行くところではないぞ。」って言います。これは、天国、地獄の天国の事です。

  この天国は、神から永遠のいのちを受け取る人が過ごす場所です。地上に居る間はそういう場所が本当にあるかどうかわからない、死んでみなきゃわからない。って言う人もいます。でも、死んでしまってから、どうやったら永遠のいのちを受ける事が出来るのでしょう。

  永遠のいのちは、命の超超超アップグレード姿形です。最上級で最終的な命の到達点。命のスイッチが入っていなければ起動しません。

  地上の命が終わると、命のスイッチは切れて死にシフトして、もう永遠のいのちにつながる事が出来ないのです。

  死の間際に神を求め、幼子のように神にすがって永遠のいのちを得るチャンスがいただける人もいるのかもしれないな、と春馬くんの事で思いました。私には人の心の中はわかりません。神が知っておられます。

  病床の父に天国の話をするように、神にいわれました。父は信心深い人で、よくお墓参りは行きますし、毎年年が明けると、豊川稲荷、熱田神宮を参拝し、成田山に行っていました。家でも神棚を拝んでいました。

  「お父ちゃんはいろんな神様を拝んできたけど、それは地上の神様で地上ではお世話になったかもしれんけど、地上の神様は天国には連れて行って来れんよ。天国には天国の神様がいて、天国の神様と仲良くならんと入れんよ。天国の神様はいのちの神様で、名前があるんやよ。イエス・キリストっていう名前やよ(キリストとは名前や苗字ではなくて神が遣わした救い主という意味の称号です)。天国は永遠に生きる人達が入る所で、そこに入ると新しいからだになるんやよ。老いる事も病気になる事も苦しみも悲しみも涙もなくて死ぬ事の無い新しいからだで、神の子になるんやよ。地上の神様とはさよならして、天国の神様と仲良くなってね。」と伝えました。

  以前、ある伝道者に祈ってもらっている時の事です。私がお願いした祈りの課題を祈ってもらっていたのに、その人が「男の人が見えます。あなたによく似た人です。この人は誰でしょう?」と突然言い出されました。「父だと思います。」と言うと、「この人は悲しみの多い人だ、と主はいわれます。わたしの元に来るようにと、イエス様は両手を広げて待っておられます。」

  父は私がキリストを信じた時、勘当騒ぎをした人で、自分の兄弟姉妹と何人かのその配偶者を入れて10人位を家に集めて信仰するのをやめさせようとした人です。イエスに反抗的な父がキリストを信じる事は考え難い事でした。イエス様はこんな罰当たりな父をご自分の息子のように愛し待っていて下さっているとは驚くべき事でした。

  その伝道者の言葉を思い出して、天国の話をした後に父に伝えました。「悲しみの多い人だ」とイエス様がお父ちゃんの事をいわれた。と伝えると、「なんで俺のことを知っとる?」と驚きました。私を迫害していた後ろめたさもあるようです。イエス様が両手を広げてお父ちゃんが来るのを待っている。と伝えると赦された者の安らぎを得たようでした。「イエス様にちゃんと謝ってね。地上の神様を大事にして天国の神様を信じなかったことを。イエス様は待ってくれとるんやで。」

  赦される事は嬉しいものです。イエス様は赦して下さるのです。父の死顔は安らかで微笑んでいました。何も思い残す事のない良い人生だった!と言っているようでした。