ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

新しい霊の教会

 

  イエスの十字架の死と死からの甦りにより、天は開かれました。地が天と繋がったのです。

 

  イエスが昇天されると、もうひとりの助け主、聖霊が地に下られました。聖霊が与えられるというイエスの約束のことばを信じた弟子達は、イエスに命じられたようにエルサレムに集まり、皆で祈り聖霊を待ち望んでいました。そのところに聖霊が下られ、皆は聖霊に満たされました。

 

  イエスは聖霊のバプテスマを授ける、唯一の権威者です。この世には、多くの聖者が現れ、宗教の開祖者も多くいますが、天の神である神格の聖霊を授ける権威を持つお方は、イエス・キリストただおひとりです。イエス・キリストの御名によって、聖霊は訪れてくださるのです。

 

  イエス・キリストが、神の御霊を授けられます。イエスを信じる、肉体を持つ人々に、神の御霊が授けられるのです。地に属する神々には不可能な事です。地の神々が与える事の出来るものは、この世の霊と闇の子の霊です。

 

  聖霊は、御霊となってひとりひとりの信者のうちに住まわれます。彼らは、地上を歩みながら、うちに住まわれる御霊によって、平安と喜びを味わいます。神の御国の味わいを体験するのです。彼らは、御国の子です。神の聖霊を宿した聖霊の宮であり、神の神殿であり、神の子なのです。今は、肉体を持っていますが、聖霊によってキリストが墓から甦られたと同じように、御霊によって復活のからだを頂くのです。

 

  人は、イエスを救い主と信じて教会に集います。教会では、キリストの十字架の贖いの血による罪の赦し、神の子としての新しい歩み、御国の希望が語られます。牧者がいて、信者はキリストにある共同体、キリストのからだを形成します。教会を構成する信者の信仰年数はまちまちです。今年受洗した人もいれば、信仰歴が5年の人も10年の人も30年の人もいます。

 

  信仰の種類にも多様性があります。イエスの奇跡を信じる人もあれば、眉唾に感じる人もいます。イエスを神から力を与えられた人の子だと思う人もあれば、イエスを神だと思う人もいます。預言を信じる人もあれば、信じない人もいます。霊的な事に心惹かれる人もあれば、無関心な人もいます。

 

  聖書を読む人もあれば、読まない人もいます。祈る人もあれば、祈らない人もいます。賛美に喜びを感じる人もあれば、そうでない人もいます。奉仕する人もあれば、しない人もいます。イエスを愛する人もあれば、そうでない人もいます。イエスを信じる人もあれば、信じない人もいます。

 

  一つの地方教会の中に、様々な信仰が混在しています。同じ教会に属しているので、同じ信仰のあり方であるというわけではありません。それは、信仰年数の違いによるのではなく、信仰の質の違いによると思います。もちろん、成長に応じて変化して行く人もいます。

 

  教会の中に、様々な信仰が存在しているのです。ひとりのキリストのからだと言われても、ピンと来ません。本当に多種多様で、この世の延長のような部分もあるからです。それは、この世に存在する、キリストのからだのひな型だからです。本物のキリストのからだの影なのです。

 

  本物のキリストのからだとは、神の御国に入る、復活のキリストのからだのことです。聖霊によって生まれた教会です。これは、黙示録に書かれている七つの御霊の教会のことです。目で見えない霊的教会です。

 

  地上の教会では、牧師が中心となって祈って教会の方向性が決められ、信者はその歩みをともにする群れのようなあり方が多いです。

 

  目に見えない霊的教会では、御霊によって新しく生まれた人が、苦難と困難の中で御霊に祈り御霊に教えられます。そして、神の新しい創造がされて行きます。様々な取り扱いによって内面が変えられ、神の御前を歩むことを意識します。

 

  地上のキリストのからだは、この世の意識を持ちながら、集うことが出来ます。肉の心のままでも、誰も咎め建てはしません。天に引き上げられる霊的なキリストのからだはそのようなものではありません。

 

  霊的な教会は目には見えないので、地上の同じ空間で集う群れではありません。ひとりひとりが信仰生活を送る中で、御霊によって生まれた人々のために用意された教会なのです。御霊が造られる御霊の教会なのです。

 

  狭き門から入る本物の教会です。「これを見出す人はまれである」とイエスが言われた狭き門をくぐった先にある、いのちの道の教会です。

 

  これは、霊とまことをもって神を慕い求め、神の真実を捜し求める人に見出されるものです。そして、これを見出すには、御霊の助けが必要です。

 

  目には見えないけれども、確かに存在する霊の次元の教会です。イエスを愛する人に開かれています。

 

  この七つの御霊の教会では、それぞれの教会が一致しています。信仰における矛盾がありません。同じ教会に属しながら、信仰が一致できないもどかしさや孤独や空しさを感じることがありません。皆の関心事は、イエスにあるのです。

 

  それぞれの教会の中には、同質の信仰が集められます。それで、教会内の分裂はありません。まるでひとりのからだであるかのように、一つです。霊的な緊張もありません。地上での国籍や民族、肌の違い、異なる言語によって分断されることはありません。

 

  一つの教会に、幾万、幾億の人々が群れとなります。しかし、完全なる一致があるのです。そして、それぞれの信仰の七つの教会には、完全な調和があります。御霊によって生まれ、キリストによって造られ、神によって完成される教会、キリストのからだだからです。

 

  地上の教会の中でうめいている人がおられるならば、そういう事なのです。霊の目を開き、霊の耳を開いて、神が喜ばれることとは何かを知り、イエスを愛し、神に従って行きましょう。霊の教会に属する人が存在している地方教会は神に覚えられています。暗い霊を照らすキリストの光を放っているからです。

 

  御霊が与えてくださった信仰をしっかりと握って御霊とともに完成へと導かれていきましょう。新しい復活のキリストのからだ、霊の教会に集められる希望があるからです。

 

 

    著書 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

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