ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖霊を受けたら次は火のバプテスマ しかし御霊がともにおられる


  受洗してすべてが順調にいくかと思いきや、そうでもありませんでした。

  家族の中で孤立し、教会が逃げ場となっていきます。教会で過ごす時間が増えました。生まれたての赤ちゃんは大切にされて守られるし、すべてが新しい事で楽しくって仕方がありません。

  十代、二十代で受洗した新しい神の家族の私達は、ともによく話し、よく食べ、よく笑い、よく遊び(聖書に関するクイズ等)、よく歌い、互いの存在が喜びでもあり、守りでもありました。

  「神の子だ、わし。」十代の女の子が言います。なんだろう、と思って聞いていると、「神の子、だわし。」「亀の子、だわし。」「亀の子だわし。」と続くのです。皆でげらげら笑いました。イエス様は私達の中心にいる、大好きなお友達でした。

  イエス様は神の子でしたが、罪あるアダムの子孫(女)から生まれた人の子でした。天の父に従って、人間と同じように水のバプテスマを受けられたのです。

  バプテスマを受けるとすぐに、神の御霊が鳩のように下ってイエスの上に来られました。そして、御霊に導かれて荒野に行き四十日間、悪魔の試みに会われたのです。

  イエスは新しく神の子となる人々の先駆者でした。後に続く者の道を造っていかれました。

  神の子となる人はもれなく、この道を歩んで行きます。それを知るのは、ずっと後の事でした。

  聖霊を受けて神を感じるようになってからは、雑多な悩みはとげが抜かれたような感じで私を窮地に追いやるほどの馬力を失っていました。

  ところが、やつが来たのです。悪魔は環境に働いて私を苦しめ始めました。その頃は悪魔とか何も分かりません。

  目に見えないことをいい事に個人的に攻撃します。誰の目にも見えません。怯える私に、信仰が足りないからだと言って責めて来ます。

  それまで信頼し安心していた教会に不信感を抱かせます。追い込まれました。私の精神的問題として他人の目には映るようです。

  聖書を学びたい、日曜学校の子供達にちゃんと教えられるようになりたい、と聖書学校に入学しました。

  牧師や伝道師を育てる学校で寄宿生活が始まりました。信徒の学びのための三週間コース、教会献身者向けの一年コース、牧師等教職者向けの三年コースがあります。一年コースでの学びです。

  聖書の事が分からない私は、言葉の通じない人々の中に飛び込んだような不安な思いになりました。

  授業も質問の意味すら分からない有様です。周囲の人も大変だったと今ようやく理解出来ます。

  土曜から月曜にかけて教会に帰りました。その頃色んな問題に圧迫されていました。ある時、ある先輩に胸の内を打ち明け祈ってもらおうと、先輩の部屋に行きました。

  すると、私が訪ねた先輩はお留守で苦手な先輩がそこに居ました。「なあに?」と尋ねるその人に背を向けて、引き返す勇気がありませんでした。

  教会の事を祈ってもらいました。その人は祈りの中で私に説教し責めました。祈ってもらわなければよかったという後悔と、こういう事は人には言ってはいけないんだ、こんな事で悩む私が間違っているんだ、私は教会も神もまだ分かっていないんだ、と自分を戒めて、悩んでいた思いも苦しむ私も打消しました。

  すべての環境から逃げ出したい気持ちでした。でも、イエス様からは離れたくない。それなのにイエス様までが霞んでいきます。

  数が月後、スウェーデンの伝道者のセミナーが持たれました。彼はセミナーの中で「ここは苦しみに満ちている」と言われました。最後のセミナーの後で「苦しい。苦しい。この中で信仰を失おうとしている人がいる。前へ出て来てください。その人のために祈ります。」と言われるのです。

  驚きました。神学校で信仰を失くす人がいるなんて。すぐさま祈りました。「その人が勇気を持って出て行く事ができますように。苦しみが無くなりますように。」

  進路を悩む三年生が次々と立ち上がります。その時でした。内なる方が「今出なさい。今行きなさい」と強く命じるのです。こんなのって初めての体験でした。私の中に二人の人がいるようでした。

  「私は苦しんではいません。」と言っても「あなたが行きなさい。」と御霊に掴まれた感じで抵抗できず、一年生でただ一人、前に出ました。
  
  三年生から1人ずつ手を置いて祈っていかれます。「主よ、私に苦しみは無いですよ。」無感覚になっていた私は、場違いな所に座っている身の程知らずの自分を恥じていました。

  伝道者は最後の私に手を置くや否やうめき始めました。「あぁ、苦しい。苦しい。こんな苦しみは無い。」五十歳はとうに過ぎている年代の伝道者は男性なのに、初めて会った私のために、号泣されました。

  他人事のように冷めていた私の目から大粒の涙が溢れ流れます。私は考えました。
これって苦しいって言っていい事だったんだ。理解した途端、声を上げて泣きました。私と私の内にいる御霊は一つとなって激しく泣きました。私の泣き声と伝道者の泣き声がともに天に上りました。

  私の心は冷めていたのに、私の中の御霊が泣かれたのです。伝道者の内の御霊と私の内の御霊が一つとなってうめかれたのでした。

  私の内に私とは別の人格を持った御霊が住んでおられる、という体験でした。私は苦しくないと言っているのに、御霊は苦しんで執り成しておられた。私を心配して下さる方が内におられる事を知りました。

  また、一人一人の内におられる御霊はひとつなんだ、という事の体験でもありました。