聖書のピリピ人への手紙1:9,10に、こういう言葉があります。
「あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。」
人は愛すれば愛するほど、欠点も赦し受け入れ包もうとするし、また、それを期待するものです。
聖書のこの言葉が心に止まった時、不思議に思いました。
真の知識とは、神のことばである聖書。聖書を読み、神のことばを知ること。
あらゆる識別力とは、御霊による判断。あらゆる事を正しく理解する力。
神のことばと御霊に教えられる事で、愛は豊かになる。この愛が豊かになればなるほど、真にすぐれたものを見分ける感覚が鋭くなる、というのです。
神の愛は、本物を見分ける力を与えるというのです。永遠のもの、真に価値あるものを知る事が出来るようになるというのです。
神は愛するわが子を懲らしめる、といわれます。
「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。
主に責められて弱り果ててはならない。
主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
神は子として扱っているから、懲らしめられる。もし、誰でも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生児であって、本当の子ではない、ともいわれます。
神は子をご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめます。すべての懲らしめは、その時は喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせるのです。
人が考えていた愛と、神がいわれる愛とはだいぶ違いますね。
人の愛は、真綿でくるむように優しく守り、本質を包んでぼんやりさせる気がします。何もかも飲み込んで、気づいたら妄想を追いかけていたって事もあります。そして、やがて色褪せ、愛は陽炎のように消える。実体は失われるが心に痕跡は残るのです。
神の愛は、永遠です。色褪せる事はなく、消えてしまう事も無く、成長し、豊かになっていくのです。神の方から去って行く事はありません。
神ご自身の愛が成長していくのではありません。神ご自身の愛は、永遠に変わる事が無く、出来上がっている完全なものです。神の愛によって人が成長していくのです。神の愛は人を育てるのです。
神の愛によって取り扱われた者は、真にすぐれたものを見分ける力が増し加わっていくようです。そして、純真で平安な義の実を結ぶ神の子とされるのです。
キリストの使徒パウロは言います。「私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしていません。」
真にすぐれたものを見分ける力が乏しいと、方向を見失ってしまいます。
真にすぐれたものを見分ける歩みの先で、いのちの冠、永遠に朽ちない冠を受けられるのですね。
神に愛されていることを知る事は、いのちを得ること。神を愛する事は、いのちを愛すること。いのちを愛する事は、自分と人を愛すること。この愛が、神の国へと連れていってくれるんですね。
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