ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

学びを深める聖書

 

  聖書のみことばを理解するには、みことばから読み取ることが大切です。語句の理解を深めるためには、他の聖書箇所を参照にしてみましょう。

 

  聖書のみことばをもって聖書のことを解くのです。みことばのことは、みことばに聞こう、ということです。そのために役に立つのが、日本聖書刊行会発行の、『新改訳聖書』です。いのちのことば社が発売しています。

 

  新改訳聖書は、すべてのページの下欄には、他の書簡の参照箇所が明記されています。これが、かなり役立ちます。

 

  たとえば、ピりピ人への手紙一章九、十節を見て見ましょう。

  九節  私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、

  十節  あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。

 

 

  九節の【あなたがたの愛】の部分に1)が付いています。下欄の9の欄に①Ⅰテサ三・十二とありますので、テサロニケ第一三章十二節を見ます。「また、私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように」とあります。

 

  九節の、真の知識の【知識】の部分に、小さく2)とあります。下欄の九節を表す9の数字の下を見ると、②があります。②は、文中の2)のことを表しています。②を見ると、コロ一・九とあります。コロとは、コロサイ人への手紙の書簡をさします。つまり、コロサイ人への手紙の一章九節に、【知識】という語句の参照となる使い方がある、と言う事です。

 

  コロサイ人への手紙一章九節を見ると、「こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。」とあります。

 

  真の知識とは、神のみこころに関することだ、と読み取れました。続けて十節も読んでみると、「また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。」とあります。

 

  主に喜ばれ、良い実を結ぶための、神を知る知識、ということもわかりました。

 

  真の知識とは、神のみこころに関することであり、神を知る知識であることがわかりました。しかし、具体的にはどんなことを言っているのでしょうか。神のみこころとは、一体何でしょうか。もっと深く知りたいと思います。

 

  そこで、コロサイ人への手紙一章九節の、真の知識の部分を見ると、今度は、【知識】ではなくて、【真の知識】の部分に、4)のしるしがありました。下欄の九節を表わす、9の数字の欄の➃の部分を見ます。そこには、エペ五・十七と、ピリ一・九の二か所の参照箇所が書かれていました。エペソ人への手紙五章十七節と、ピリピ人への手紙一章九節のことです。

 

  まず、エペソ人への手紙五章十七節を見ます。「ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい」とありました。【主のみこころ】の部分に1)のマークがあります。参照箇所があるようです。下欄の17の欄の①を見ると、ロマ十二・二と、コロ一・九と、参考として、Ⅰテサ四・三も載っています。

 

  まず、ローマ人への手紙十二章二節を見ると、「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

 

  【この世】の参照箇所、マタイの福音書十三章二十二節を見ると、「また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心遣いと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。」※印によれば、この世をこの時代とする解釈もあるようです。もう一か所ガラテヤ人への手紙一章四節「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。」

 

  【今の悪の世界】と言う語句が気になりました。参照箇所コリント人への手紙第二四章四節(Ⅱコリント4:4)を見ます。「この世の神が不信者の思いをくらませて」とあります。この世には、この世の神々を使って、神に敵対する悪魔が働いているようです。

 

  【主のみこころ】について調べている途中でした。参考箇所テサロニケ第一4:3を見ます。3~6節を見て見ましょう。「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、また、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。なぜなら、主はこれらすべてのことについて正しくさばかれるからです。」【自分のからだ】の部分に※印がついています。自分のからだを別訳では、妻となっているようです。

 

  ここまでで、真の知識は、神を知ることであり、神を知らないと神のみこころが理解できないこともわかりました。また、神のみこころは、聖くなる事だ、と言うこともわかりました。

 

  最初のテキストの、ピリピ人への手紙一章十節を調べてみましょう。真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように、の【すぐれたものを見分ける】の部分に、※印があります。別訳では、「異なっているものを区別する」とあります。

 

  【見分ける】の部分に、1)があるので、下欄を参照にローマ人への手紙2:18を見ます。「みこころを知り、なすべきことが何であるかを律法に教えられてわきまえ、」とあります。【なすべきこと】の※印には、別訳「何が重要であるかを律法に教えられて、それを判別し」が書いてあります。

 

  これで、テキストのことばの内容が立体的になりました。

 

  何が良いことで神に受け入れられるのかをわきまえるには、この世と調子を合わせないことが大事なようです。この時代に翻弄されて目に見えるところで心騒がせたり、富を頼みとしてこの世の生き方の延長で富に心奪われたりしていると、神のみこころを捉える事が出来ません。

 

  神のみこころが何かを求め、聖書から教えられて心を一新して神に喜ばれることに思いを合わせて行くと、何か変だな、何かがおかしい、と神と異なっているものを区別する感覚がついて来ます。良いものと悪いものとを見分ける感覚によって、あなたがたの相互の愛は感情的なものに左右されず、神にある聖いものとなり、兄弟姉妹としての愛はいよいよ豊かになっていきます。

 

  愛が豊かになると、真にすぐれたものを見分ける力が養われていくようです。

 

  そして、真理から迷い出ることがないように互いを戒め合い、神に喜ばれることを積み上げて行くと、イエス・キリストが再び地上に来られる時には、純真な者で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となるようです。

 

  「あなたがたのうちに良い働きを始められた方(神)は、キリスト・イエスの再臨の日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。(ピリピ1:6)」とパウロは言っています。

 

  みことばを掘り下げて行くと、理解が深まります。新改訳聖書は、聖書を学ぶのに良い導きをしてくれます。新共同訳聖書や口語訳聖書を使っている人にも参考書としてお勧めする聖書です。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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