ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

仏教の働きと仏教徒の可能性

 

  仏陀は明けの明星の存在に気づきました。神の計画を知る事が許されたのです。

  仏陀の教えは、人々に人間の本質を明らかにしました。自分だけの悩みと思っていた事が人類共通の苦しみである事を知らせました。

  また、その苦しみを克服する先には何ものにも縛られない境地がある、という希望を知らせました。聞く者は皆、その境地を慕います。憧れます。

  世の様々な悩み、生きる事の苦しみ、老いる事の悲しみ、病いを患う事の嘆き、死の恐怖。これらから解放される道があるというのです。

  仏陀はまるで、イエスが世に現れる前に神が立てられたバプテスマのヨハネのような存在です。

  誰もが通る道で逃れる事の出来ない宿命、抵抗出来ない定めとして、神々を恐れる人間に一縷の望みの灯りをともしたのでした。

  人々にその道の存在を知らせ、それが世に現れる時のために、人々の心に救いを求める思いを与えて、備えさせたように思います。

  仏陀は、神と契約を持たない、無割礼で神の律法の無い異邦人の心が真理に向けられるために、神が用意された呼びかけの声だったように思います。   

  人々の心を真理に向けさせ真理を求めさせるために、仏教は大きな働きを担って来ました。

  仏教の教えがなければ、人間の煩悩とその罪深さを知る事は無く、正しい道を探る思いを持つに至らなかった、と思います。

  聖書の土台の無い日本国に、国民としてではなく人間として生きる律法を植えつけてくれたような気がします。

  罪の増し加わるところには、恵みも満ち溢れました。とキリストの使徒パウロは言います。

  罪が重い者ほど、赦された時、神をよけいに愛する者となるのです。よけいに赦される者はよけいに愛する者となるのです。

  もう一つの捉え方も出来ます。自分の罪を知れば知るほど、避ける事も克服する事も出来ない自分の中に宿る罪深さを理解すればするほど、神の赦しを知った時に神の恵みが分かり、神の慈しみと赦しの有難さが理解出来るのです。

  仏教の教えを受けている人、いえ、仏法を生きている人が、仏陀の説く悩みの解決を人類に代わって成し遂げた明けの明星の存在を知ったら、驚く事でしょう。

  クリスチャンが思っている以上に、神の恵みははかり知れない偉大なものです。人間の罪深さを悟っている仏教徒は、神の恵みに圧倒され、神の愛に出会い、キリストに従順な者となるでしょう。

  自分の罪に打ちひしがれる者、罪に苦しむ者こそが、神の赦しに救われるのです。

  天国の入り口で喜び楽しむ者では無く、天国の奥まで入って神の恵みの大きさを体得し、神を知り神に謙遜な者となる事でしょう。

  神の真理を得た時、神の愛を証言するキリストの忠実な証人になると考えます。使徒パウロのように大胆で、確信を持ってキリストの救いを知らせる者となるでしょう。

  パウロのように、多くの苦難は伴いますが、真理をはっきりと悟る彼らには聖霊が共におられ、聖霊が教え守られます。

  異教徒だからと言って切り捨てていましたが、神は彼らをも招いておられます。天地万物を造られた神は唯ひとり。彼らも神が愛をもって造られた、神のものなのです。

  聖書の歴史の浅い日本ですが、精神的な理解に於いてはかなり優れていると思います。心を働かせて、心を尽くし思いを尽くし精神を尽くして神を愛する国民となる望みを持っています。

  仏教徒は仏法で問い続けて来た答えを、キリストのうちに見出す事でしょう。罪の悩みの源の原罪を処罰し、死からの復活を約束し、永遠のいのちを与えるキリストを知って欲しいと思います。キリストに出会って欲しいと思います。

  明けの明星を信じるなら、限りない平安が心を満たすでしょう。明けの明星(イエスキリスト)に辿り着きますように、と祈ります。