ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

何を信じたらいいの


  人々の魂を神から奪った悪魔は、この世を我がもの顔で支配しています。人々は生まれた時から死ぬまで、一生涯死の恐怖につながれる罪の奴隷、悪魔の奴隷です。

  かつて、ノアの箱舟の時代に大洪水を起こして、暴虐に満ちた世界を滅ぼし、人類をリセットされた神。

  ノアの家族から再スタートした世でしたが、やはり、悪魔が働き、神の創造した世界を破壊しました。

  神をよく知る悪魔は、人が神にどういう態度をし、何をしたら、神の怒りを買うかを計算して、人の心を掴んで支配します。

  悪魔が入れる思いによって、人間はこの世が現実で、死んだら終わりと思います。

  目に見えるものが真実であるとして、現象に人間の心を向けさせます。

  人間は神に造られたのではない、創造主なんていない、作り話だ、と思わせます。

  悪魔も存在しない。霊の世界を信じる事は、知識人のする事ではない。迷信だ、と思わせます。

  神を信じる事を嘲笑います。生きていても世の楽しみを知らない見栄えのない人生だ、つまらない、と思わせます。

  キリストの御霊を侮らせます。御霊の働きを信じさせません。神の聖霊の働きを、悪魔の働きだと思わせます。

  なんと悪魔に支配された人類の思いは、悪魔の偽りに騙され、神に目を向けさせないようにされ、滅びに向かわせられた事でしょうか。

  悪魔の好物は、悲しみ、怒り、憎しみ、失望、汚れ等です。人間のその感情を食べて楽しんでいます。

  その感情の留まらない心に悪魔は、食べ物を見つける事が出来ません。

  悪い感情を留まらせない方法として、鳥(悪魔)が心に巣を作り始めたら、完成しないように、何度も巣を壊せばいいと言われます。

  悪い心を持ち続けない事が、大事なようです。

  人間は願っても、弱いものです。自分の力で簡単に出来るなら、苦労はしません。

  悪魔の支配下にあっても、滅びのようなものを察知した人々が、解放を求めて試行錯誤した結果が、宗教なのかも知れません。その宗教も悪魔に与えられたものです。

  宗教によって、誰もが確実に辿り着く保証は得られたでしょうか。見た事のない景色、高い山の上に求めるものがあるのでしょうか。

  必ず幸せにすると約束する神から遣わされたイエスが、人類の解放のために自らの命を差し出し、彼らを悪魔の支配から救い出して下さいました。

  私達人類に要求されるのは、信仰でした。十字架にかかったイエスを神が天から遣わされた救い主キリストだと信じる信仰です。

  信仰による救いは、寝たきり状態の人にも子どもにも、男子も女子も、貧しい人も無学の人も、どこの国の人にも得られる、誰もが手にする事の出来るものです。

  神の御子への信仰が、神と人を繋ぐものです。神の御子を信じる事は、御子を地上に遣わされた神、天の父を信じる事になります。

  火の池から救い出す力ある方、悪魔よりも強い神の御子キリストにゆだねた人生の先にあるのは、希望であり、辿り着く場所は永遠の愛です。

  神が用意されたこの救いをないがしろにせず、キリストの御霊を受ける者となりたいですね。

 

 

      著作本 『世界のベストセラー聖書を読み解く 人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

    アマゾンkindle、紙書籍、楽天kobo