イエスがバプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けると、聖霊が天から下って来てイエスに留まった。
イエスは御霊に導かれ荒野に行き、悪魔の試みに会われ、神への信仰に堅く立って試みに勝利した。
イエスは父に従い、父が選ばれた十二人を集め、弟子とされた。イエスは、しるしと癒しと奇跡によって、ユダヤ人に神の御力を現された。それを見て、弟子達はイエスを信じた。
イエスはいつも、アブラハム、イサク、ヤコブの神を父と呼び、父について語られた。全能の神としてではなく、父なる神としてユダヤ人の間に現れ、ユダヤ人と親しく語り、巡行した。
父は農夫であり、実を結ばない枝を取り除き、実を結ぶ枝はもっと多くの実を結ぶために、刈り込み(訓練し聖め整える)をされる方です。わたしの父がお植えなかった木(父から出ていない教え)は、みな根こそぎにされます。
弟子のピリポが言いました。「主よ。私達に父を見せてください。そうすれば満足します。」
イエスは言われた。「わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。わたしを見た者は、父を見たのです。」
ピリポを選んだのも父でした。すべてのわざは、父がイエスのうちにあって成されているのです。
父は目に見えないお方です。霊なる神だからです。風も目には見えません。しかし、木々が揺れるのを見て風の存在を知り、頬にそよぐ風を感じることが出来ます。神が地上に遣わされた人の子イエスを見て父なる神の存在を知り、イエスのことばを聞いて霊なる父と触れ合っているのです。イエスのわざを見て、父の働きを見ているのです。人は、イエスを見て、父を知ることが出来るのです。
イエスは、神の御国について語られた。子どものように自分を低くする者が天の国で偉い人であり、主人のように振舞い責任をとろうとする生き方を悔い改めて、父の御前にすべてを投げ出し、父に拠り頼み、父の愛に信頼する子どものようにならなければ、天の御国に入れません。
イエスは、地上に残していく弟子達のために父にお願いされました。「もう一人の助け主、真理の御霊を彼らに送って下さい。」
イエスは、地を去り天に帰られるからと言って、弟子達を見捨てて孤児にされる方ではありません。目には見えないけれども、神の御霊がイエスを信じる人のうちに住んで、その人のうちにおられるようにと、父が助け主なる真理の御霊をお与えになるのです。
イエスのうちに父がおられたように、イエスを信じる者のうちに御霊がおられるのです。イエスは、弟子達に聖霊について語られた。
「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安(父のうちにある安らぎ)を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」
イエスを信じる人は、御霊を受け入れます。しかし、世に属する人はその方を受け入れることが出来ません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。
イエスは、弟子達に命じられました。「聖霊を受けなさい。」キリストは、聖霊のバプテスマを授ける権威を持つ、唯一の人です。父は、キリストの御名によって、聖霊を授けられます。
イエスは、約束しておられます。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
御霊を受けた人は、イエス・キリストの証人となって、福音を宣べ伝えるのです。また、キリストの救いを証する者とされるのです。
キリストの福音は、父なる神が遣わされた神の子羊イエスの十字架の贖いと罪の赦し、父が復活のキリストの御名により与えられる聖霊のバプテスマと、御霊による新しい創造と神の御国です。福音は、ユダヤ人にも異邦人にも信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
イエスと父はひとつです。イエスを愛する者は、父をも愛しているのです。イエスを見る者は、父を見ているのです。イエスのことばを聞く者は、父のことばを聞いているのです。
イエスと父がひとつであるように、御霊を受けて御霊に教えられる人は、イエスとひとつになるのです。何故なら、父と御子イエスと御霊なる聖霊は、ひとつの神だからです。人は、御霊によってイエスとひとつとなるのです。
イエスとひとつとなる人々にとって、イエスの父なる神は、私達の父となるのです。神は、彼らを子として扱われます。
もし御霊によってからだの行いを殺すなら、その人は生きるのです。もし肉に従って生きるなら、死ぬのです。肉に従う者は、肉の奴隷です。
人を再び恐怖に陥れるような奴隷の霊ではなく、子としてくださる御霊を受けた人は、御霊によって、「アバ、父」と神を呼ぶのです。彼らが神の子どもであることは、御霊ご自身が、彼らの霊とともに、証してくださいます。
「アバ、父」とは、「お父ちゃん」と親しく神を呼ぶ者とされることなのです。神の御霊に導かれる人は、誰でも神の子どもなのです。
父なる神は、これらの神の子達を神の御国に集められるのです。
著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)
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