ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖書の権威①ーどうして権威があるって言えるのー


  聖書に書いてある言葉にどんな権威があるというのでしょうか。

  キリストを信じている人にとっては、神のことばで神の権威があると思うでしょうが、信じていない人にまで及ぶ力がある、というのでしょうか。

  聖書は、千五百年以上の間に、様々な時代、地域、多様な身分の約四十人の執筆者が記述した書物を集めて編纂したもので、旧約聖書は紀元前四百年頃に完成しています。

  現代のように電話もなければ、便利な交通機関も無い時代の事です。しかも、千年以上の開きがあります。

  執筆者が互いに連絡を取り合う事は不可能です。それなのに、神の霊感に導かれて書いた書物のテーマは一致しており、すべてのメッセージが一貫しているのです。

  聖書は、宇宙の起源、地球の起源、人の起源から始まって、人類の終わり、神の裁き、天と地の消滅、新しい天と地までが書かれています。

  聖書は、一人の人の自叙伝ならず、神が叙述した人類の一生を記述したものです。

  聖書は、「初めに、神が天と地を創造した。」という言葉で始まります。神ありき、で書かれています。

  天地がまだ存在していない時、永遠の昔から神は存在しておられ、神によって目に見えているすべてのものが造られたというのです。

  多くの人は、この神の存在が信じられない事でつまずいてしまいます。そこで立ち止まり、その先に進めません。

  では、その神がいると仮定して、聖書の中に入っていきましょう。

  アダムから始まったという事は何となく知っています。ノアの箱舟の話も聞いた事があるでしょう。

  その後、神は一人の義人を見出したのです。ノアの大洪水から、三百六十年以上が経っていました。アブラムは全能の神を畏れる正しい人だったとあります。

  神は彼を選び、人類の救いのための契約を結ばれました。名前をアブラハムと改名させ、閉経後の妻サラの胎を開いて一人の男の子イサクを誕生させました。

  アブラハム百歳、サラ九十歳の時の事でした。イサクとも契約を結び、その子ヤコブとも契約を結び、ヤコブと十二人の息子とその子孫を神はイスラエルと名付けました。

  このイスラエルから人類の救い主が生まれる事を約束されました。このイスラエルは、神の子を地上に遣わすために、神が造られた民族でした。

  天地を造られた全能の神、創造主に仕えるようにと、モーセを通して神の律法、十戒も与えられました。聖書を書いたのもユダヤ人でした。全人類の救いのために設けられた、神の祭司の国民だったのです。

  旧約聖書は、人類の始まりから、救い主を生み出す民族としてイスラエルを造られた事と、神が彼らに与えた地ユダヤの地ベツレヘムで、ダビデ王の子孫としてキリストが誕生する事が預言されています。

  新約聖書は、紀元百年頃に完成しています。ユダヤ民族に与えられた聖書(旧約聖書)の預言が成就した事が書かれています。

  神の子羊イエスは、閉経後のサラから生まれたイサクの子孫から、預言通りダビデ王の子孫としてベツレヘムの地で、処女マリアから生まれたのでした。

  新約聖書は、イエスの生まれた次第、イエスの行った癒し、悪霊追い出し、死人を甦らせた事等のわざの記録でもあり、イエスが証しする天の父について、神の国について、永遠のいのちについて等が詳しく記述されています。              

  イエス・キリストは神がユダヤ民族と結んだ契約の成就であり、旧約聖書の律法、詩編、預言者の成就でもあったのです。

  イエスが預言の成就として、十字架にかかり、墓から三日目に甦り、死から復活したキリストとして、公に神の御子として知らされたのです。

  こうして、キリストはユダヤ人のみならず、人類の救い主となられたのです。彼は、アブラハムに「地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される」と神が語られた子孫でした。

  旧約聖書の預言者の言葉が、イエスがキリスト(神に油注がれた者)である事を証言しています。預言はイエスに於いて、ことごとく成就しているのです。。

  旧約聖書の中で立てられたユダヤ民族。このユダヤ民族に遣わされた、神の子キリストの事を書いているのが、新約聖書です。

  新約聖書は、天から地に人の子として来られた、神の子キリストが与えた新しい契約です。神と契約の無かったすべての人にも明らかにされた救いでした。

  イエスを神の御子キリストと信じ受け入れた人々には、神の子どもとされる特権を与えるという契約です。

  聖書はユダヤ民族だけのものではなくなりました。聖書はクリスチャンのものでもありません。

  神がおひとりならば、すべての人にとっての神であり、すべての民族、すべての国民、すべての人々に向けて発せられる神のことばなのです。

  聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

  新約聖書には、人類の終わりについての預言が書かれています。キリストのお告げにより、ヨハネは黙示録を書き、終わりについて啓示しています。旧約聖書のダニエル書やゼカリヤ書と一致しています。

  旧約聖書の預言者の預言通りに神の御子イエスが地に来られたように、新約聖書の預言通りに、復活のキリストが間もなく、地上に来られるはずです。

  終わりには、前兆があり、その時の様子についてもイエスは弟子に語っています。


  聖書を信じていても信じていなくても、その日は、全地のおもてに住む全ての人に臨むのです。